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対話の中から

2017年1月28日 (土)

個人で現場を確かめたくてと来られた人たち(17年1月27日)

 昨日17年1月27日の辺野古テント村は、団体で来られた方で賑わった一方、個人でこられ方も目立ちました。

 まず、宮城県からこられた60代過ぎの男性。「案外静かなんですね」との第一声に、こちらはきょとんとし、正直、何が言いたいのかと疑いました。そりゃ、うるさいか、静かなのかは状況次第です。何もいつもワーワーしているわけじゃない。米軍の演習音がうるさいのか、右翼がうるさいのか、機動隊と遣り合っているのがうるさいのか、いろいろありますが、此処は本来静かな海辺です。

 現状を確認したければ、ぜひとも澄んだ目をしておいでいただきたいものです。議論したら理屈をならべておられましたが、悪い視点ではありませんでした。ただ現状から学ぶ姿勢がより重要ではないでしょうか。そこと、重要な論点を重ねて考えないと頭でっかちになりすぎます。大変失礼ながら、議論はしても何も動かないでは困ります。

 また70代の大阪から来た男性。一度現場を見たかったと。色々と熱心に聞いてくださいました。彼はご自身の沖縄ノートを作っておられ、新聞の切抜きやメモを書かれて居ました。なかなかよくわからなくてと。現場から学ぶ真摯な気持ちが滲み出ていました。こういう方には、(相手が許せば)いくらでもお話したくなります。もっとも夢中で話していると、暑さや疲れから無理を強いることもあるので、相手の体調を慮りながらやらないと、かえってご迷惑をおかけすることもあり、その度に反省。

 20代から30代ほどの東京からきた女性二人。熱心に聞いてくださいました。私はこの国が沖縄に何故これほど基地を押し付け続けているのかを、比較的丁寧に1時間ほどお話しました。現場を見せながら、地図を示しながら、写真を示しながら。一つ一つ合点してもらえたと思います。

 浜のフェンスで撮影していると、同年代ほどの女性がひとり。東京からだと言われていましたが、一度来て現場を見たかったとしみじみ。30分ほどの立ち話。3.11以降、問題に気付いたと。マスコミの報道やインターネットをみてもよく分からなくてと来たようです。水陸両用装甲車が丁度浜でやっていましたので、こちらの説明や、東京の問題など。彼女曰く、なかなか自分の主張が友達にも通らない気配が強いと。「沖縄は基地で食べているのでしょう」などと。だから沖縄に基地群を置いといたら安心というのでしょう。この差別の構造。この知らん振りが東京の、日本の現状をよく現しています。遠い異邦の話だと考え、自分はさわらない、煙たがる。こういう人たちに、まずは現実を知ってもらうことが重要でしょう。お会いした彼女には、やや中途半端に終わって申し訳なかったですが、些細な会話が動き始めるきっかけになればと願います。

 団体で来ていた30代の女性。団体の全体の集会や船での海案内を終えてきたのですが、よりつっこんで聞きたい、合点していく積極性をおおいに買いたい。積極的だと思えば、こちらもよりきちんと対応するように努めています。

 那覇から来た70代の男性は他の方に、軍隊は住民を守らない、米軍は住民を守らないから、新基地は造らせないと、念をおしていました。これは安保を支持するか否かとは異なる問題だと。 

 刺激に満ちた一日でした。

2016年12月18日 (日)

見過ごせない反応に一言(16年12月17日)

 今日の午後、シュワブゲート前で、行なわれたオスプレイ墜落事故に抗議する集会がもたれた。その集会に参加した後、ある集団が辺野古テントにもやってきた。ここで私がオスプレイの墜落事故から、高江、辺野古、伊江島との関連、南西方面重視政策の動きにも触れながら説明した。そして来年早々にも政府は埋立て工事を再開する腹づもりであり、私達は再び海保とのバトルが始まるのかと思うと、たまらないのだと話した。

 この場面で、突然、笑いが漏れた。何故笑えるのか、私には理解不能なシーンだった。私達は海上で身体を張って、行動してきた。時に海保に海の中に沈められたり、転覆させられても、カヌーチームは頑張ってきた。船の仲間も海保に乗り込まれて鍵を奪われたり、漂流させられたり、もろに転覆させられもした。私自身、カメラを奪われ、弾きとばされもしてきた。

 私たちが身体を張り、怖い思いをしながらも、なぜ、止めなければならないのか、彼はわかっているのだろうか。このグループは、政治的な認識は深く持っているはずの人たちだ。それなのに、物見遊山のような対応に呆れてしまった。その場でも、何故笑えるのかと問い掛けたが、応答をしていただけなかった。

 海でも陸でも現場での闘いは戯画ではないのだ。漫画を消費するような、笑える場面ではないのだ。一寸先を読めないこともあり、予定調和で行かない、シリアスな場面の連続なのだ。

 彼らの現場の闘いのイメージはどうなっているのだろうか。高江でも辺野古でも、座り込みながら排除される体験をすることが、◎だと思われている人をこれまでも見かけていたが、これも違う。同じように見える体験をすることではないのだ。その中で、自分が何を感じたのかを突き詰めて欲しい。

 どうか、当事者意識を欠いた平和学習を卒業していただきたい。当事者意識がなければ、沖縄とどこそこ、沖縄と自身は繋がらない。沖縄を考えることを通した、自分への問いかけが、様々な問題とも繋がる契機になるはずなのだ。

 無論、笑いは重要なことだ。笑い飛ばす、笑える余裕、などを、私は大切なことだと考えている。しかし今回のシーンで出た笑いを私は看過しない。どこかでじっくりとお話しできることを願っている。

2016年10月31日 (月)

爆破予告に対話の心を

女たちの戦争と平和資料館(東京)から連絡が入ってきた。爆破予告のはがきが届いたと。誰の仕業だかわからないが、脅して言論を封じる。世相は完全に71年前かよ。

私達は表現の自由を知っている。自由が特に大切だとも知っている。歴史を振り返り反省することが大切だとも。差別と暴力、私はこうしたことにたじろいではならないと考える。

彼女達の声明はこちらを。

http://wam-peace.org/20161030/

皆さん、女たちの戦争と平和資料館を支えよう。お近くの方は見学してください。沖縄の資料もありますよ。

2016年6月19日 (日)

女たちの戦争と平和資料館に行ってきた(16年6月東京③)

 去る16年6月10日14時~16時過ぎまで、東京都新宿区西早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に行って来た。ここに私が行ったのは沖縄に移り住んでから2回目か。今回は、去る4月の事件に対して沖縄タイムスの取材に応じてくださった池田恵理子館長を尋ねることにあった。

 14時丁度に到着。職員、ボランティアの方々は忙しそうだった。新たな年間展示の準備中なのだ。池田館長に先日の沖縄タイムスへの寄稿(電話取材を記者がまとめた)に感謝申し上げた。池田さんは「特別なことは言っていません」と謙遜していたが、東京に居て、ぱっと言える含蓄は普段の活動のなせる業であり、沖縄への思いは、以前からの特に沖縄展(12年から13年)の際の調査・交流等の行いのなせる業だろう。短い文にも温かみを感じた次第。

 その後の捜査のことや追悼の取り組み、海兵隊撤去決議などの経緯等をお話した。自分としてもあの95年9月4日の事件に大きく揺さぶられて沖縄に本気で関わることになりながら、このような事件に直面したことは、痛恨な思いであるとお伝えした。特に今回の未来を断ち切られた女性はあの事件の後に生まれたのだろうと思うと、何ともいえぬ。

 米兵の事件を考える際に、私たちは日本軍の性暴力事件とも重ね合わせて考える必要があると改めて考えており、この資料館のさらなる発展にも協力していきたいとお話した。最も自分にできることは会費を払うことぐらいだが。

 丁度今開催中の「インドネシア 日本軍占領下の性暴力」を見た。館長から展示の概要をお話しいただき、その後に逐一見ていった。あの島嶼からなる島々に日本軍はあちこちに慰安所をつくり、地元の、オランダの、朝鮮からの女性たちを騙して連れて行き、犯しまくっていた様がよくわかる。特に対照的なのは、女性たちと兵隊の記録の落差。兵隊は当たり前の感触で戦記等に記録しているのだ。

 全く兵隊とは、男とは、と思うと、力がぬける。この後、何とか武蔵小金井の講演の会場にたどり着きました。

 私は「軍隊は女性を守らない-沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」(1800円)を買って来た。

 同資料館については、http://wam-peace.org/

 皆さんにもお勧めの資料館です。問い合わせは上記を参照。

2016年5月 3日 (火)

名護人(なごんちゅ)が語ったある真実

 今日(2016年5月2日)の午後、突然、50代から60代ぐらいの男性が一人で辺野古テントに現れた。名護人(なごんちゅ)だと名乗る。脇に座っていた孝子さんと話し始めていた。うちなんちゅは、怒りが爆発すれば硬いけれど、くすぶってきた。ここにきて、やっとはっきりしてきた。ここに基地を造るなんて、許しがたい。絶対に止める。

 話の口調からして、彼も作業員かな。しっかりとした考えに到達しているようだ。97年のこの話の最初から見てきて、今はっきりと態度表明しているのだ。

 孝子さんが、沖縄は、基地経済、基地経済といわれるが、実態とかけ離れていると指摘したら、彼もすぐさま同意。稲嶺名護市政は従前よりも健全財政になっている。彼も、土建屋さんは景気がよくなっていると、にっこりしていた。私はこの笑顔を見逃さなかった。

 別れ際に彼から孝子さんに握手。後ろにいた私にも握手を求めてきた。私は殆ど話しに入らなかったのだが、会話はスムースに回っていた。

 私も嬉しくなったし、大いに励まされた。私は、彼のような名護人とお会いしたのは初めて!もっともっと彼のような名護人が増えていけば、確実に止められる。その兆しは確実に大きくなっていくだろう。

2016年4月14日 (木)

組織で来ている人にも、個人の関心に寄り添ったアプローチ

 今日は9日ぶりに辺野古テント前で新基地建設の非・否を説いた。彼等の団体はある鉄道会社の労組。一通り話し終わり、質問や感想をいただいた。ある方は、自分は戦争に協力したいがために今の会社に入ったのではないと前置きされて、何故沖縄に鉄道がないのか前々から疑問に思っていたと言われた。

 この話がでたのは、私の説明の中で、既にこの国は戦時体制になれば、鉄道(労働者)にも戦時協力がかかってくる法律が施行されており、皆さんに戦争協力が強いられかねないのだと話したことからだった。沖縄には戦中まで幾つかの軽便鉄道があったのだが、あの沖縄戦で破壊されつくし、72年まで米軍の統治下に置かれてきたのだとお答えした。また、モノレールは2003年に開通(首里から那覇空港)したが、いまだに沖縄島の主要部に米軍基地があり続けており、鉄軌道の開通は悲願といわれながら、なかなか進捗していないと。

 こうした問題意識ならば、彼等彼女等のお仕事からして、すんなり入るだろうと、私は考えたのだ。

 また同じ彼は自分はダイビングをやっており、ここからこの海を見ただけでも、直ぐにでも潜ってみたいと言われたので、改めてきていただければ、魅力的な宝の海が待っていますよとお話したのだ。

 さまざまな個人的な関心が分かれば、色々なアプローチが可能であり、私たち自身の奥の深さが試されもしているのだと改めて考えた次第。相手がある組織だから、この組織にはこうだけでなく、個性の多様性に応じた接点をもっと探る努力が、個々の参加者に、忘れがたい印象を残し、ここから考え直す可能性が生まれるかもしれないと思ったのだ。

 

2016年3月11日 (金)

どうして危機感がないのだろう

 2016年3月11日の辺野古にて。大阪からきたという50代のぐらいの男性と話した。私はいつものように、この国は何故辺野古・沖縄しかないと断じているのかを説明したくだりで、彼は、中国との戦争など考えられないという。ないでしょ、と。いやいや0.1%でもあったら沖縄が戦場になるのだから、絶対に受け入れられないのだよと私は返した。

 また来る参院選で改憲派に3分の2を取らせないことが死活的に重要なのだと話したのだが、彼は、そうなるでしょ、と済ましている。

 身近には戦争は起こらないし、影響も受けない、改憲されても止む終えない程度のことだ。否、あってはならないけれども、この流れを止められない。彼は、諦めの境地にあるのか。

 何故こうした反応になるのだろう。このときも辺野古テントには銃撃音が鳴り響いていた。これ銃撃音ですよという私。それがという顔をする彼。この溝にめまいを覚える私。

 戦争が起きるかもしれない、言いたいことが言えなくなる社会になっても口を噤んで従うだけの人生。違和感の表明だけで獄中に引っ張る国。いや表明しなくても嫌疑をかけられて、弾圧された過去。

 こんなことはありえないことなのか。ヘイトスピーチが起こって、「○○は死ね」みたいなことが堂々と叫ばれている社会の中で、私たちの表現は押しつぶされそうになっているのに。

 私は、今がやばいと思うから、諦めない。諦められないのだ。諦めないからこそ現実から学び、危機感を覚えるのだ。何故、どうして?の問いが極めて重要になっている時代に私たちは生きているのだ。

 思えばあの3,11の後、私は「これで日本は終わったな」と思ってしまった。諦めたのだ。もうだめだと。事態の推移を洞察して何をしなければならないかを考えていなかったのだ。

 しかしあきらめないからこそ、事態の諸相に感度をもち、私たちの対処方針を考えなければならない。

2016年3月 9日 (水)

修学旅行生とのやり取りの中で

 3月6日~8日の3日間、私たちの辺野古テントに修学旅行の生徒達がやってきた。京都のA高と東京のB高だ。B高は6クラスがクラスごとにきた。両校とも平和教育に力を入れているようで、事前学習もやってきているようだ。

 クラス全員がくれば、さまざまな生徒がいるのは当然だ。平和こそ大事だと思う子がいれば、いざとなれば自分は戦争に行くと考える子もいるだろう。否、平和が大事だから戦争に行くと思っているかもしれない。

 私が話したり向き合ったなかでは、こうした子は見当たらなかったが、沖縄の民意とは?と問いかけ、基地建設反対が多数だと言うが、基地従業員や業者さんらの再雇用先を保障できるのかとか、少数の人を無視していないかなどとの質問も受けた。

 聞き方は丁寧で、是非知りたいとの気持ちを私は感じた。民主主義において大切な事は、お互いの意見を聞き、議論することだ。また、ご指摘のとおり、少数派の意見の尊重も大切だ。

 私の答えは、基地建設容認派がいることを前提にしながら、容認派の動きの多くは、この国による経済的誘導によって形成されてきたこと。これは、原発現地などと同様だと答えた。また、人間が生きていくうえで、生き続けられる希望になりうるあり方を追求するのが重要だとも話した。

 雇用の問題は重要な問題であり、実績として、基地を返還した後の経済効果についても説明した。また、今即全基地撤去といっているわけではなく、基地経済からの転換のプログラミングが大切なことも言うまでもないと答えた。

 今思えば(時間の都合で十分な議論にならないとしても)、①民主主義を単純な多数決の多い少ないで判断するのは、形式民主主義にすぎないこと、②沖縄は歴史的に作られてきた、この国による差別支配の結果、沖縄の民主主義は闘い取ってきたものであり、底力があること、③米日両国による戦争政策によって、基地と戦争は押し付けられてきたものであり、沖縄人は幾多の人権侵害を撥ね返しながら、反基地の闘いを維持し、発展させてきたなどを、もっと構造的に述べるべきだった。

 沖縄と東京や京都との落差は、単なる距離の差ではない。基地があるか否かだけでもない。一言で言えば、差別されている側か、差別している側なのか、個々人はそれをどう考えているのか、その根拠を問わなければ何も見えてこないだろう。

 だからこそ、歴史的に推進されてきた国策に乗せられてしまうのか、それを疑問視し撥ね返せるかが私たちにダイレクトに問われているのだ。他方で、軍事力が必要だという人には、それで何ができるのかと、問うてみたい。

 相手が高校生だからこそ、私は丁寧な応答を重ねたい。担当教員に、私の応答に感謝されたが、次回からはもっと基本的な応答ができるように考えを深めていくつもりだ。

 

 

2016年3月 5日 (土)

タッグを組むという方法

 先月Yさんのお誘いを受けて、北九州からお見えのグループ20名ほどの交流会(飲み会)に参加した。こちらはカヌーチームのT君と船長のYさん、そして私の3名。

 私は全く知らない皆さんだったが、一人よりも複数のほうがいいのだろうと思ってついていった。私たち3名は、それぞれの立場から話した。見えている視点が違うから、同じ場面を話しても少々異なることがでてきておもしろかった。

 来られた皆さんも現場の本音が聞けたと思うし、それぞれの実感を聞き取っていただけたと思う。

 考えてみれば、チームを組むほど、きちっとしていないが、ホンワリ協力というやり方は、案外いいコミュニケーションを産むようだ。そうにちがいない。

 これは聞く側も人さまざまであり、感性も思想も違う。相性もあるし、こちらが何人かで話せば、それだけチャンネルがあって、いい結果を生む。

 

 これはつい先日の話。与那国島でたまたま出会った方々3名とこちらの2名と宿主が飲みながら雑談した。この3名は基地建設ではない建築関係者らしいのだが、全く見ず知らずの方々に何を話せばいいのか戸惑うものだ。天気がどうのじゃつまらない。

 簡単に自己紹介したから、彼らが共通の建築に携わっているチームだと理解できた。で、私が何処からお見えですかと訊ねた。2名が東京で1名が長野。長野と言えば知らないでもない私が突っ込みを入れた。どこ? そしたら私が行った事のある場所だった。

 また、話しているうちに共通の関心事が見えてきた。その話しで盛り上がり、私も勉強させていただいた。ここでもこちらのタッグが効果的だった。

 翌朝同室で泊まった長野の彼(私と同年齢)が、マグロを見に行こうと誘ってくれた。与那国の海で取れたカジキマグロだ。まだ漁港は薄暗く、漁船も帰って来ておらず、誰も居ない。少々ドライブして、結局彼の建築現場まで案内していただいた。立派な木造の建物だ。戻ってきたら11尾のマグロが解体されたり、梱包されていた。近くのおばさんが刃渡り30センチほどの包丁をもってきて、さくさくっと切っていた。

 同乗させていただいた私がナビをした。棟梁である彼の辛口の本音も聞けた。Yさんは私たちよりも早起きしてバイクで島を回っていた。島内滞在22時間だったが、熱心に見て回ったようだ。

 

2016年2月13日 (土)

ある宗教者との対話

 「ゆいの風だより」発行人のIさん」ご夫妻はゲート前、辺野古テント村の常連メンバーであり、何かと支えていただいている。先日その第13号をお持ちになった。ご夫妻は真摯なキリスト者であり、私にも何かとお言葉をかけていただいている。

 「ゆいの風だより」には、聖書の言葉を引きながらも、日々の思いが書かれており、貴重だ。

「平和の祈り」というゴスペルにこうあるそうだ。「慰められるよりも慰めることを 理解されるよりも理解することを 愛されるよりも愛することを、私が求めますように」と彼女は引きながら、能動的になることを希求されている。愛すると言うこと、平和を創り出すということを重ねて、考えておられる。

 具体的な場面での話も多々出てき、具体相の中から、考えを論じられている。ガンジーの言葉を引きながら、「非暴力の闘いとは、すべての人を等しく愛する事のできる力のこと」と看破されている。

 正直無信心な私にはちょいと臆するところがあるのだが、自分は神との対話がない分、自分との対話を、他人との対話を図りながら、まっすぐに立つしかないだろうと、思いをめぐらしている。あらためて覚悟しなければならないことなのだろう。

 その彼女にどうしたら安倍政権の暴走を止められるのと問われるのだが、なかなか名案は浮かばない。基本は自分との対話を、他人との対話を重ねながら、国の力に引きずり込まれない生き方を見いだしていくことだろう。その第一歩がシュワブゲート前や、海上行動の中にあるのだと私は考えている。

 多くの宗教が政治に張り付きながら、権力の誇示を進めるようなものが多数派になっている今日、彼女達のような真摯な歩みに、私は励まされている。「勝つ方法は諦めないこと」という記しとも重ねながら、結いを結び合っていきたい。

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