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沖縄ガイド(ヤマヒデ)

2016年10月 5日 (水)

台風明けの高江までお連れしました(16年10月4日)

 16年10月4日、東京からお見えになる団体20名様のご案内を承りました。生憎の台風のさなかの沖縄。お気の毒でした。

 4日は台風がそれてくれた。風はともかく、雨は大丈夫そう。波も何とかなるだろうと判断して、出発。

 機動隊の前に自然災害に阻まれ、高江に到着できないかとの危惧は、無難にパス。高江の売店(休業)前で高江についてレクチャ。何故日本政府が強引なのか。辺野古・高江・伊江島も。

 ここまで警察車両との遭遇はなかったのですが、ここで機動隊の車列が続々通過。現場に向かうようだ。10時頃。

メインゲート手前右側の空き地は入れないように車止めが置いてある。

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メインゲート手前で停まるな、先に行けと指示だしの機動隊員。ハイハイハイ。10時50分

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メインゲート前。品川ナンバーの車。警視庁か? 10時50分

N1まで流す。途中の警備はなし。

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ゲート前。あいかわらずのアルソック(綜合警備保障)。10時54分。

一旦、国頭村区堺まで行く。やんばるの森の一端をお見せして。

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左(南)側に車列が、15台。どうも作業員関係だろう。11時3分。

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機動隊は約10両。先ほど来た奴らしい。大阪府警と警視庁。11時5分。

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警視庁のバスを車寄せ。11時5分。

N1ゲート前で7月22日以降の現況を解説。

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工事はやっていないようだ。11時18分。

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上から降りてきたアルソック。何をしていたのか。11時19分。

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お兄さんたちは何を思う。

裏に移動。新川ダム奥からの途中、1本道を間違えて、戻っていただいた。申し訳けない。

到着、誰も居ない。

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11時49分。台風対策、ご苦労様。

ここでも解説。すると。

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山城博治さん登場。ラッキー。12時。

同行のPさんともどもお話いただいた。抗議し、一日でも遅らせながら、共にがんばろうと。座るだけでも拡がるし、大きな意味があるのです、と来訪を歓迎される。

自分も久しぶりにあった。握手。

Kさんが来たので、彼からもお話いただいた。県外からMさんもお出でだ。

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高江の展望台から旧揚水発電所を見る。海は荒れているが、予想ほどではない。12時25分。

帰りは大浦湾へ。瀬嵩の浜から埋立て予定地をお見せする。長島と辺野古崎の間も。

それから昼食をと思っていたが、台風明けなのでやっていなかったり、2軒に振られて、困った。とうとう名護市二見まで戻ってしまった。そこで、運よく人数分あると。大変助かりました。これでコンビに弁当になったら、私の評判もガタオチに。メシの恨みは怖いから。

 辺野古は明日にしました。

 私は車酔いに陥らず、なんとか任務をこなせました。

 参加された皆様、ありがとうございました。








 

2016年3月 4日 (金)

サンシン・ダイインてか…(「今日の1枚」-16年3月4日)

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第1ゲート前。16年3月4日7時15分頃。今日も沖縄防衛局は6台のトラックをさしむけてきた。こちらが「サンシンの日の演奏中だ、10分待て」と言っても、機動隊はこれを無視。徐々に襲い掛かってきた。これに唄で踊りで、ダイインで抗議。晴れ着も汚れるが、躊躇せず。

 しかし7時30分過ぎにトラック等が工事現場に入った。ある女性など、警官にリフトアップされて、たたたと走られて、車前から追い出された。力任せのやりかただ。

 粘り強い闘いは今日も続いているのだ。チバリョー!

2016年2月25日 (木)

読谷~嘉手納~普天間の歴史と現実を探る旅

16年2月22日~23日の2日間、私は平和ガイドを引き受けた。22日が19名、23日が17名のツァーだ。22日は晴れていたし、いわば自分のホームグランド。前記の通り滞りなく終了。

2日目の旅は、いわば沖縄戦を辿る。45年4月1日にリセットして考えるものだ。

23日は朝から雨。これは予定通りいけないかもと懸念しながら私は自宅を出た。ホテルに8時5分に合流。皆さん、ロビーにでておられ、拍手で迎えていただいた。ありがたい。早速国道58号線を南下し、読谷村に向かう。まずは座喜味城址だ。道路がすいており、予定よりも早くついた。9時~10時25分。

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このお城を見ると、皆さん感嘆される。

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この下に四角な場所に屋敷があったのだろう。正面は海。東シナ海。

夕日もきれいだろうねと、嘆息が漏れていた。

だが、44年から45年、ここに日本軍が高射砲陣地を造り、戦乱の中で、この城も相当破壊されたようだ。1973年から85年にかけて調査・復旧作業が行なわれて、今の姿に蘇ったものだ。このお城の上から45年4月1日の50万もの兵力が押し寄せてきた状況を想像。

 このあと私達は隣にある読谷村立歴史民俗資料館・美術館を見学。沖縄戦の展示や読谷遺跡、民具など。いくつもの資料をいただいたり、購入。美術館は『読谷やちむん展』を開会中だったが、時間がなくてまたの機会にした。

 ここからトリイステーション(米陸軍諜報部隊)を経て、国道58号に合流しながら普天間基地がある宜野湾市に向かう。

 まずは大謝名2丁目のここだ。

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すっかり改修された誘導塔。この内外に亀甲墓がある。住民の土地がとられて71年目を迎えているのだ。

攻撃ヘリが飛んでいた。

佐真下ゲートに向う。

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脇に入るとオスプレイがいた。

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オスプレイの上を飛ぶヘリ(UH-1)。

即やってきたポリス。ゲート前。

そこから嘉数高台へ移動。

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オスプレイが見える。

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こちらは北側。読谷~嘉手納~北谷。米軍が上陸してきたエリアだ。
沖縄戦から現代の歴史を要約して説明した。だから現在の基地問題につなっがっていることを解説。そこから昨日回ったところと重なっていくのだ。見所はたくさなるが、ここでは省略。







2015年11月21日 (土)

11月17日 名護~読谷~嘉手納~宜野湾~那覇

 2015年11月17日、晴れ。武蔵野の皆さんらと以下のコースを訪ねました。今回はレンタカー3台で(お客様)10名様。

15年11月17日予定・結果表から転載(一部加工)

Ⅰ:今日の眼目

 沖縄を知ることは、沖縄と日本の歴史を学びなおす事でもあります。何故、これほど基地が集中しているのかを、沖縄戦を具体的に辿りながら学びましょう。ここから沖縄を自分の課題にしていきましょう。

Ⅱ:本日のコース(註:以下の時間は実際の時間でした)

◎名護出発(9時15分)~(国道58号)~◎読谷村座喜味城(10時10分から10時50分)●米軍上陸の現場を概観(読谷から嘉数・嘉手納基地)~◎嘉手納道の駅(11時5分から11時38分)~◎宜野湾市上大謝名(12時から12時20分)●普天間基地南西端(フェンスの内外に亀甲墓が点在)~◎佐真下ゲート●駐機場の近く(12時35分から13時20分)~途中昼食休憩(13時20分から13時50分)~◎嘉数高台(13時56分から14時40分)●沖縄戦最初の激戦地(戦跡あり)・普天間基地の展望台(首里方面、基地と住宅・学校等、オスプレイ等の飛行経路に注意)~(国道330号)~那覇空港そばのレンタカー屋さん(15時40分)~那覇空港

Ⅲ:やや具体的な視点

①沖縄戦から現在の時間、70年の時間の推移を考える。

②百田発言のウソを再確認。

③普天間即時撤去の要求の正当性を確認する。

④「普天間基地が危険だから辺野古」の誤りを確認する。政府こそ、危険撤去に向けた努力を回避。この看板は口実に過ぎない。-16年1月の宜野湾市長選でも主要な論点。

Ⅳ配布資料

①当初の予定表

②「百田尚樹らの発言は、何を、どこまで考えてのことだったのだろうか?」(当ブログ記事)

③沖縄戦経過図

④沖縄を中心とした東アジアの地図

◎以下は写真を中心にお伝えします。

 名護市を出発して国道58号線を行く。まずめざしたのは読谷村座喜味城址。海抜129m。

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参加者の殆どの人が初めて来たらしい。今回の旅のなかではもっとも観光地らしいところだったようだ。大いに喜んでいただいた。古くは護佐丸を城主としたお城。1945年には日本軍の高射砲の陣地だった。45年4月1日、この眼下の海に連合軍は50万の兵隊をそろえたのだ。18万人が上陸。しかし日本軍は無血上陸を許した。連合軍は読谷・嘉手納・北谷にかけて上陸し、南部へ、北部へと進撃していった。

 説明に夢中で、肝心なこの高台から見える海を撮りませんでした。お粗末。

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 嘉手納基地が見える嘉手納道の駅(4階から)からみていたら、F15戦闘機が着陸してきた。2機編隊だった。

次に行ったのが今回のハイライト。普天間基地南西端のフェンス際。大謝名2丁目。奥に亀甲墓があるのだ。普天間基地は改修工事が始まっているとはきいていたが、こんなだったとは。大謝名公民館が近くに新築なったばかりだ。

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真正面からみると。ふぇんすの中に住民が使っていたお墓があったことは、何を意味するのか?住民がすんでいた場所が米軍に盗られて70年が経つ。この事実を忘れないでいただきたい。捻じ曲げないでいただきたい。

次は佐真下ゲートだ。ゲート脇の狭い道(草道)に入る。

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そこ(右奥)が駐機場なのだ。オスプレイがいる。

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こちらはAH-1とCH-53大型ヘリ(奥)

次は嘉数高台。無血上陸後初めて激戦地になった。4月8日から23日。日本軍は爆弾を抱えて自爆攻撃を行った。

ここは嘉数高台に残されているトーチカ。銃座が見える。この下に兵隊が隠れていた地下壕があった。

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嘉数公園にある京都の塔。全国の戦没者の慰霊碑のうち、ここだけが沖縄に敬意を表した文面があり、侵略戦争に批判的だ。

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嘉数高台の展望台から。駐機場を見下ろす。

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嘉数から先ほど行った大謝名の誘導塔を見下ろす。滑走路の端。住宅が隣接していることもわかるだろう。

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碑文を写す。平和でありたいとの心我が記されている。

以下は那覇軍港。

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将校用のクラブ。半旗だ。パリの襲撃を哀悼しているのだろうが、フランスや米国が行ってきた一方的な爆撃は、テロではないのか。不信を煽り、戦争を続けることは愚かな事だ。武力で平和は作れないことを肝に銘じたい。

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海兵隊の水陸両用装甲車が3台居た。韓国帰りか。

























 

 

 

 

今こそ沖縄に来て欲しい

 私が沖縄に暮らし始めて3年目に入った。この間に、旧知の人が来て、再会したこともあるが、私の友人・知人達はなかなか沖縄に足が遠いようだ。却ってはじめてお会いした方に、すっかり、意気投合して、再会するチャンスを得た人のほうが多いかもしれない。東京時代にお付き合いのあったひとで、今でもお出でになるのは、限られた方々だ。

 皆さん、お忙しいから、度々来れないのは、理解できるが、一度も来ない人が多いのは、残念だし寂しい。

 日本政府は露骨に沖縄を差別し、隔離して、貶めようとしている。日米同盟が強化されるということは、沖縄の米軍基地と自衛隊の再編強化が重なっている。演習ひとつをみても、そうなってきている。新基地建設を止める意義のひとつはそこにある。もはや米軍は米軍、自衛隊は自衛隊と分けて考えることは不可能だ。

 私が沖縄に来て欲しいと考えるのは、支援に来て欲しいのではない。当事者意識をリアルにもっていただきたいのだ。沖縄に来て、考えて、行動すれば、さまざまな問題との繋がりが見えてくる。どうみえてくるのかは、個々に考えて欲しいし、共に考えたい。自治・主権者は誰かと問えば、これほど分かりやすい場所は他にないだろう。自分が主権者だと考え始めれば、どんどん視界は広がるはずだ。

 やや視点を変える。沖縄で「日本を取り戻す」などと、さすがの自民党も言わない。言えない。だがしかし、自民党は沖縄の慰霊の日を16年夏の参議院選挙の公示日にするかもしれないとアドバルーンを揚げている。何処まで沖縄をばかにしているのだろう。しかし見方を変えてみれば、これは彼らの最大の弱点かもしれない。「安全保障」を政治の根幹に据える事は、「安全保障」の大部隊を抱えさせている沖縄から反乱が起きれば、これはものすごく脅威になるのだ。沖縄を恐れるが故の沖縄蔑視。

 神の国日本は軍事国家としても再生しなければなりたたないのだ。いや軍事国家の再生を図りたいからこそ、神の国を思考しないわけにはいかないだろう。

 今(戦争法は成立してしまったが)沖縄に来る意味は小さくないはずだ。7月参議院選挙前に来て、自分のいく末を考えていただきたい。私も皆様にお役に立てるよう、尽力したいと考えている。