2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

写真・写真展

2017年1月27日 (金)

2017年沖縄写真まぶいぐみ連続写真展「小橋川共男&牧志治」

 私の友人であり、水中写真家である牧志治さんが小林川共男さんと共に写真展を開く。見て損しない、否、見るべき写真展だ。

 この企画は昨年から開かれてきた「沖縄写真まぶいぐみ連続写真展」の17年版、第一回の取り組みだ。

 牧志さんは水中カメラマンで、サンゴ礁などの写真で知られており、辺野古・大浦湾もフィールドにしている。その彼が昨年12月13日に安部に墜落したオスプレイを海の中から撮った。

 私は船の上から撮っているが、海の中から見た画像はぜんぜん違う。無惨さが際立っており、美ら海をぶっ壊した姿は、奇妙である。ただの物質の画像のはずだが、唯物(タダモノ)主義を超える何かが宿っている。

 これらの写真を見て、これは治さんの独壇場だと私は舌を巻いた。

 共演は、小橋川共男さん。彼の主題は高江。ただの記録写真を超えた状況が克明に映し出されている。共男さんは泡瀬干潟の写真で有名。

 日時:17年1月25日~2月5日(30日は休館)

 会場:ギャラリー ラファイエット(沖縄市中央4-1-3 2階 070(5691)9008

詳細は 以下

http://rougheryet.blogspot.jp/

2016年5月 5日 (木)

カメラの置き方(2)

 「カメラの置き方」で検索されている方がいる。私の場合は、野外でのもの。決していい条件でないときの、止む終えぬ措置。そこを了解の上、ご理解願いたい。

 基本は、①カメラ本体(レンズ)の安全性、②次の行動に向けた素早い展開を可とする、迅速性、③自分の安全の確保を図る安定性、この3つから考えるべし。この3つを完璧に満たす事はない、と知るべきだ。そうはいっても、どれかに欠けると思えば、無理してはならない。やはり、これが基本だろう。

 それでも、ここはなんとしてもというときがある。③、①、②で考え、常に次の展開を考えながら、ことを写す事。

 落とさない、濡らさない、汚さない、だ。レンズは風下に向けること。カメラを地面に置いたときは必ず点検して汚れ等がないことを確認すること。

 第3者が居る場では、置いても良いか確認して。ここにおいてますとわかるように。盗まれそうな場所には置かない、置くならば自己責任で監視する。

 なおお行儀よく使う室内カメラマンは、別途注意点があるはずだ。

2016年4月 2日 (土)

左手-小指・薬指の付け根が痛い

 昨日あたりから左手の小指・薬指の付け根が痛い。何故かと思う。3月25日~30日、与那国島で約800枚ほど撮りまくったためだろう。

 デジタルになって、重くなった。望遠レンズをつければ約2kg。これを2台持ち歩き構える。左腕を左胸に当てて、その先の手首から先でカメラを支える。中心線が体の真ん中にくるように。そのポーズを取ってみれば、やはり左手の小指と薬指の付け根に重みがかかる。ここが痛くなるのは、撮影のポーズが決まっている証拠。だとすれば、やむおえない。

 今朝は左手が昨夜よりも痛くなっていた。今日の中城の海保前で撮影可能かと不安だった。サロンパスを貼って、いざ出陣。やってみれば、痛みは消えている。問題なかった。

 撮影が終われば、また痛みが戻る。治ったわけじゃないのだ。集中力から重み・痛みがきにならなくなっていただけだ。これはいわば職業病か。

2016年3月10日 (木)

京都からパネルが返却されて来ました

 昨日、京都のかもがわ出版さんにお貸ししていた私のパネル「沖縄・辺野古-この海を、生きる希望をあきらめない」が無事に返却されて来ました。ありがとうございました。

 今回の京都での沖縄企画は写真展(牧志治さんの辺野古・大浦湾の海中写真、高江の写真、そして私の写真で構成)や歌、沖縄物産展も交えた企画だったようです。多分、牧志さんの海の中の写真とあいまって、今どんな海がどのように壊されようとしており、如何なる抵抗が続いているのかが分かる展示になっていたと思います。

 大勢の方々がお出でになったようなので、私も嬉しく思っています。あらためて、主催者の皆様に感謝申し上げます。

 このパネルは昨年春に制作したものですが、今でも引き合いがきています。3月の下旬、今度は長野県内での展示が決まっています。全部で15枚とコンパクトなものですが、ちょっとした場での展示に便利だと思います。

 貸し出し料は、1日、3000円、2日~7日(展示期間)、5000円です。詳細はメールかコメント欄にお問い合わせください。

2016年2月14日 (日)

レンズとの結合を確認

 デジタル一眼にして従来もっていたレンズとの結合が可能か否かをすべてチェックした。1本を除けば、可能であり、他の1本がレンズ内部に多少の汚れが付着しているので、この2本を除けば使用可能だった。Kマウントは大丈夫だと聞いていたが、これでほっとした。これで2台、7本態勢となる。

 ただアナログ用のレンズなので、微妙なレンズ味がどうかは撮って見なければわかりません。楽しみが増えた。

 もっともデジタルになって暗いところに強いわけで、明るいレンズの価値は相対低下しているだろう。色々と状況に応じて使い分ければよい。

 マクロレンズの100ミリを新たに買ったが、試し撮りの結果、これは強力な力になりそうだ。接写撮影の技量を磨けば、おもしろいものがとれそうだ。望遠レンズも新たに一本買ったので(高い)、こちらも使い道が増えそうだ。

 ただデジタルはカメラボディーが重いので、何本も持ち歩くことは不可能だ。体が壊れる。

2016年2月 3日 (水)

デジタルカメラへの移行に四苦八苦

 2014年の11月から私はコンパクトデジカメを導入し、2015年春に遂にアナログカメラの一眼レフカメラが壊れ、修理不能といわれて、止むをえず、デジタル一眼のカメラを買った。

 本当に悲しいと言うか辛い決断だったが、もはやこれまでのフィルムからデジタルに切り替えた。それにしてもデジタルの発色の悪さはどうにかならぬか。この半年間、デジタル一眼をいじり、試行錯誤しながらようやくそこそこの色を出せるようになってきた。デジタルとは魔法のようにさまざまに調子を変えられるものの、如何したらこうなるかが分かっていないとどうにもならぬ。そもそも色やトーンの調子を変えられるし、色のバランスも自由自在にセットできる。ホワイトバランスを変える事で調子が違う。

 こうした細部にまで気を使わなければならないのは難儀だが、もはや、やむおえない。しかしこんなことにばかりふりまわされていれば、心が入らない。いくら構図がよくっても、いくら発想がよくっても、心が篭っていないものはダメだ。

 というわけで、お手軽なコンパクトデジカメを多用してきた。オリンパスのタフシリーズだ。これは近距離の撮影であればなかなか好調だ。特に雨や海の中でも可だし、撮影していることが目立たない分、撮りやすい被写体も多い。


これは液晶でラフに撮れる分、私は水平感覚に特段の注意を払っている。また、シャッターの時間差はぎりぎり致し方ないと思うのだが、この誤差をカバーするのは前倒しでシャッターを押す感覚を磨くしかない。

つうことでコンパクトデジカメの一枚。

P2032862_convert_20160203193002_3

のっぺらと眠るにゃんこ。両足と頭の乗せ方にご注目を。ちなみに、ストーブの上でございます。

デジタル一眼も近日公表予定。

2016年2月 2日 (火)

「サンライズ 瀬嵩(せだけ)」 後記

 ご存知のとおり、1月31日20時頃、勇んで「サンライズ 瀬嵩」を上げた。これは多くの方々にみていただけるだろうと期待していたが、どうも余り反応はかんばしくない。ツイッターやフェイスブックに、他のブログに転載されていないようだ。何故反応があまりよくないのだろうか。

 無論、何人かの方々からコメントで、メールで、よかったとの反響は入ってきている。しかし広がりを感じることができない。

 私はこれまで長年にわたって、サンライズとサンセットを撮ってきている。海でも山でも、北海道から沖縄まで。辺野古・大浦湾でも、自分史に残る2004年11月の3日連続撮影がある。今回は辺野古からでなく、瀬嵩から眺めた安部から出たサンライズだ。ここのサンライズの特徴は東側に陸域が広がっており、太陽が空間的な厚みを帯びている事だ。海面からポット出るのではないのだ。そこに海面の広がりと汀の感触がでて、満潮時と重なったこともあり、ジャストタイミングになったのだ。無論、雲の出かたも良かった。

 そうした複合的な要素をとりいれたところが、最高のレベルという意味だ。

 ここは今はまだ静かだ。この場所に軍用機が飛ぶことを想像してもらいたい。もろにこうした光景をぶち壊してくれるだろう。またキャンプシュワブ側と見比べたら、今ですらどれだけ違うのか。この前面に壁が立ち上がり(海面から10m)視界をさえぎってくれるのだ。

 私は辺野古テントでは主に基地問題を中心にお話させていただいているが、自然をもっともっと語るべきだと思っている。30分以内に両方やるのは、かなりきついので、ついつい基地問題が主になるが、もっともっと自然を味わいながら、ここならではの意味を探っていきたいものだ。

 またあえて「瀬嵩」と銘打ったのも、ここならではの感慨を強調したかったからだ。

 みなさんも自身の感性を磨かれて、自然を味わっていただきたい。

 

2016年1月28日 (木)

カレンダー「WE LOVE  OKINAWA」2016 販売決算

 何度か報告してきましたが、カレンダー「we LOVE OKINAWA」2016年版は、9月中旬から販売を開始し、11月半ばには500部あまりを完売することができました。未回収金がのこっており、最終報告ができませんでしたが、無事に全額回収できました。

 実売部数528部(委託販売あり)雑収入を含めて534810円の収入になりました。そこから制作経費、送料負担分、そして私の販売手数料(50000円)等を引き、ヘリ基地反対協議会に304472円をお渡しします(30万はお渡し済み)。また今回の売り上げに大きく貢献いただいたアキノ隊員(彼女のブログでご紹介いただいた)に感謝の気持ちをこめて、関連して、高江住民の会の支援組織である高江連絡会に50000円をお渡しする事にしました。

 これでカレンダーの売上金は0になります。制作いただいた皆様、写真を提供いただいた皆様、お買い上げいただいた皆様、今、ご利用いただいている皆様に、受託販売させていただいた私からあらためて感謝申し上げます。

 来年のことは全く未定ですが、今でもこのカレンダーの件で私のブログに検索が入ってきています。ありがとうございました。

◎高江連絡会は http://blog.goo.ne.jp/takashien

◎アキノ隊員のブログは http://akinotaiinnorinshitaiken.ti-da.net/

2015年12月25日 (金)

今、見つけた韓国の写真

 今偶然、韓国のハンギョレ新聞(電子版)を見ていたら、こんな写真をみつけました。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22880.html

 何処の国も同じ傾向をもつのでしょうが、奴等は悪さを承知しているからこそ、目を塞ごうとするのです。こうした事態に似たりよったりの事態は、最近の辺野古・大浦湾でも起きていますし、私自身が体験済みです。

 だからこそ、私たちの「社会の目」がますます重要なのです。フォトジャ-ナリズムの真価が問われます。

 びびることなく敢然と知恵を絞り、用意周到にかかりたいものです。一瞬でも素早い対応が勝敗をきめます。

 「社会の目」としてのカメラワークスを磨いていきたいと思います。

2015年12月20日 (日)

コザ暴動45周年の写真展を見てきた

 今日(15年12月20日)は沖縄市(「復帰」前はコザ市)にコザ暴動45周年を記念した写真展「コザ暴動」を見に行った。いつも書いているのだが、バスで移動するのは難儀だ。今日は高速バスで「沖縄南インター」まで行き、そこから徒歩20分弱だった。無論カデナ基地の近くなのだが、「中央4丁目」とか言われると、そこはどこ?の状態。以前の私は基地の撮影で、歩き回っていたから、その限りの道は詳しいのだが、それが普通の住所で捜すとなると、自分の頭にある地図とマッチングできないのだ。そんなわけで、いささか遠回りしたが、無事に会場に着いた。14時からシンポジウムなので、早々に会場である3箇所を回った。忙しかった。

 主催は戦後70年「コザ暴動」プロジェクト実行委員会。写真は、比嘉康雄さん、平良孝七さん、吉岡攻さん、松村久美さん、国吉和夫さん、大城弘明さん、比嘉豊光さん、山城博明さん、ほか。会場はギャラリーラファイエット、ギャラリーM&A、音楽村であり、今日のシンポジウムはコージーセントラルだった。

 写真は予想に反するようなものはなかったが、私が最大の衝撃を受けたのは、当事はまだ沖縄は米軍の統治下だったことだ。「復帰」前だから、あたりまえっていえばあたりまえなのだが、武装した兵隊に取り囲まれている写真を見ると、改めて衝撃を覚えた。

 しかしこのコザ市民たちの怒りの爆発は、すさまじかった。米兵による交通事故、それを無罪放免したMP、発砲への怒り。それは、この日に限った事でなかったからこそ、つまり日常的な米軍犯罪や不正、犯罪の隠蔽等への怒りが蓄積していたからこそ起こったのだ。MP(軍警察)のパトカーをひっくり返し、米兵所有の車をひっくりかえし、道路は火の車に覆われたのだ。消防車も入れなかったそうだ。これは米軍が周囲を封鎖したからだが。

 しかしこの過程で奇跡的なことは、ある種の合意が自然発生的に作られたことだろう。ターゲットは米兵の車(それも白人の)であり、車という物(ぶつ)にターゲットを絞っていたことだ。うちなーをなめたらいかんでよだ!

 時間の関係で落ち着いて見れなかったので、詳しい評論は書けないが、あの時代の沸点を描いている作品が多かった。また非日常と日常の連鎖が垣間見れる写真は、やはり暴動といったイメージとは別の意味で、衝撃的だ。

 ここらあたりが今の沖縄にも共通しており、日常の市民の暮らしの中に軍事基地があることの異様さは殆ど変わっていない。

 あれから45年の月日が流れて、何が変わり何が変わっていないのか。ここは米軍の側から見るのと、市民の側から見るのと、両面からみなければならないが、これをやるためには、もっと日常の場を写していないと見えてこないだろう。これは難しい課題だな。

 もうひとつ興味深かったのは、米兵(MP)と琉球警察の立場の違いだろう。警察は米軍の下請のようなものであり、やるせなさが仄見える。

 当事の私は大学1年生。6月23日の反安保の闘いの盛り上がりから、10月21日の盛り下がりぶりに、愕然としたものだ。しかし「日本」の闘いの盛り下がりの原因のひとつは沖縄の現実が欠落していたからだったのではないか。

 自分は71年から72年へと沖縄の返還協定粉砕、沖縄解放の隊列にいた。しかし、決定的に間違っていたのは、そこに沖縄の何を見ていたのか、見たつもりになっていたのかだろう。その程度の闘いが沖縄の人々に信頼されるはずもなかったのだ。

 ウーム。改めて、今そう思うのだ。私が改めて沖縄に拘り始めたのは89年のことだった。17年間のブランクは何だったのだろう。そこを含めて、歴史を見直し、自分の軌跡を見直していかなければいけないだろう。

 シンポジウムについては、音響が悪く、私には余り発言者の声を聞き取れなかったので、略させていただきたい。

ただし、上映作品 ①「かたき土破りて」(1971年)②「激突死」(1978年)

 パネリスト 比屋根照夫、高嶺朝一、松村久美、古堅宗光、今郁義(コーディネーター)

 追記:カンパしたら、立派な(大きな)ポスターをいただきました。何処に貼ろう。モノクロが渋い。

 

より以前の記事一覧