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沖縄

2016年12月10日 (土)

オスプレイの夜間吊り下げ訓練を見に行ったが空ぶり

 16年12月9日。宜野座村城原地区で4日続いたオスプレイの低空飛行訓練、夜間に機体に荷物を釣り下げて、人家の上を飛んでいた。再三の抗議にもかかわらず、米軍は演習場内だと主張。これを撮影しようと、現場に向かう。

 まず宜野座村内にあるコンバットタウンを見る。

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宜野座村の高速の出入り口のそばから入る。15時3分。

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ここがコンバットタウン。市街戦戦闘訓連場。なかなか探し出せなかった。15時29分。

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高圧線の奥に白い建物があり、煙突がある。何だろう。

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沖縄に茶畑が。愕いた。15時33分。

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宜野座村城原区と金武町中川区の堺の奥にある金武町の清掃施設だった。16時1分。

米軍演習場のフェンスにぶつかり、米兵がフェンス内に警備に出てきていた。

仕方なく、やや戻る。

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素晴らしい残照だ。17時46分。

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嘉手納方面から大型輸送機が飛ぶ。C-17だ。17時46分。

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日が沈んだ。18時1分。オスプレイは来なかった。

住民にとっては大正解だ。さすがの米軍も住民をこれ以上挑発するのはまずいと思ったのだろう。これからも私は実態を見極めていきたい。

宜野座村城原の公民館野敷地で待った。18時40分頃今日はナシと判断。帰路に着いた。

2016年10月27日 (木)

軍事演習場のそばは、野鳥のパラダイスだった(16年10月26日)

 2016年10月26日10時25分から私はバスの人になった。今日はブルービーチ、レッドビーチに軍事ウォッチング。中川でバスを降りる。億首川にかかる金武大橋を渡る。

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橋の上から川下を見下ろす。沖縄島の中では珍しい光景だ。目指すはこの川下へ。

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国道329号の金武から左折。正面はキャンプ・ハンセン。

海に向かってズンズン降りていく。途中で川の側に左折。

水田とか田芋の畑がある。

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すると白い鳥が颯爽と飛んでいる。何か?アジサシの仲間だろうがよくわからぬ。

河口まで行ってみる。マリンスポーツとか自然教室とかの集会場がある。カヌーも置いてある。12時前後休憩。対岸はキンバル訓練場だった。返還されて新たな道が模索されている。高校生がバスで来ている。

するとセイタカシギが1羽飛び去った。あやぁ! 行って、行ってしまった。

私は西へ向かう。

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あ、いた!セイタカシギだ。13時5分。私の心臓がドキドキ。初恋の人に再会した気分(でもないか)。67年9月、東京湾の江戸川河口で、私たちの仲間がこれを発見したと無線が入った。5,6キロを走って見に行った。確か7羽の群れだった。ぜーぜーいったが、ぜーぜーしても見るに値する鳥だった。

それが沖縄に来たら、さほど珍しくないのだ。与那国島で、那覇の漫湖で(100羽単位でいた)、辺野古でも(少数)観た。ここは2羽だったが、近くて光線が良かった。

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左のオスは活発に餌を採っているのに、右のメスは悠然と寝ている。

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左が嘴を突っ込んでいるかと思えば、右のメスは、顔を掻いている。

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細い足でよくやるわと、妙に関心。

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そしてメスもひとつ決めてくれました。

今日の目的は米軍の演習の観察なんですが。

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再び出た。ハジロクロハラアジサシの冬羽でしょう。

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低空を飛ぶ。鮮やかな舞い。軽やかに追う、ヤマヒデのシャッター。

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かっちょいいでしょう。これ全部マニュアルフォーカスです。

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約50羽で群舞していたリュウキュウツバメ。真上の電線に止まる。

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アカバナー。

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一番高いところを行くとブルービーチ演習場。見張りが2名。私はここを右折。

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やや上り坂を行く。CH-53だ。

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森の上をゴゴゴと。降りていく。

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14時10分。どこにヘリパッドがあるのか。

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ブルービーチだ。ほぼ誰も居ない。

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テントは10張り。

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ヘリはこの林に降りた。ヘリパッドがあるのだ。


お目当ての水陸両用装甲車は現れなかった。自衛隊も。











 


2016年9月25日 (日)

稲田防衛大臣が沖縄にきた(16年9月24日)

 この人、運悪いよね。海兵隊のハリアーが海上に墜落した2日後だから。しかしその分(知事の言い分を適当に聞き流しておけば)、辺野古新基地をめぐる会談時間が短めになったのだから、ラッキーなのかもしれない。

 今日の報道を読めば、防衛相は「裁判手続きを進めながらも、しっかりと意見交換をすることが重要だ」と言ったようだ。今更何を言うかと私は思うのだ。このせりふは「和解」が成立した時点であればともかく、明らかにポーズだけ。言うことは「辺野古が唯一」に終始するわけだ。政府代表だから、この問題をひとまず譲れないとすれば、普天間の危険性についての認識を磨り合わせるとか、ハリアーの事故について協議するところから始めたらいい。政府は口先だけで「負担軽減」などと言えるが、沖縄は実際に沖縄県民が暮らしている場であり、様々な問題が直接のしかかってくるだけに、発言が重くなるのは当然だ。

 翁長知事は、沖縄が負わされてきた歴史をかいつまんで指摘したらしいが、稲田防衛大臣は、うん、うんと聴いただけ。拝聴しただけでは、いかんともしがたいのだ。それにお国が一番の稲田さんからすれば、たとえ、聴くだけでも聞き流せないことがあったはずだ。まぁ、こうした歴史的事実は基本の基だけに、お互いに譲れないだろうが、沖縄からすれば、だから新基地は県外に、なるのだ。政府の露骨に沖縄に押し付け続けますの姿勢を変えなければならないのだ。

 また知事は地方自治を尊重せよと述べたようだが、当然すぎる。国が高江でやっているような連日にわたる暴力の発動は、沖縄に基地を押しつけてきた歴史の上にたってなされていることだ。だからこそ、民意を踏まえる知事は、もっともっと毅然として発言すべきだ。私たちは、自治を形式の中に封じ込めてはならないのだ。

 事故の問題もいつもその場だけの収拾を許さない姿勢が重要だ。抗議に留まらず、徹底的な原因究明を公表させ、一つ一つ釘を刺していかなければならない。在沖米軍は一年に1度の墜落事故やっているんだよ。

2016年9月22日 (木)

不当判決に抗議する!辺野古新基地建設反対県民集会

 昨夜(16年9月21日)、不当判決に抗議する!翁長知事を支え!辺野古新基地建設反対県民集会がオール沖縄会議主催で県庁前広場で開催されました。参加者数は1500名と発表されました。

 県知事の弁護団長、竹下勇夫さんは、最悪の判決だと断じ、この判決は知事の違法確認訴訟といいながら、代執行裁判、和解、国地方係争委員会の流れを無視し、全面的に国の主張を正当と決め付けたものと、呆れていました。因みに、代執行裁判と同じ裁判長です。同じ人がやって、以前を読んでないとか、知らないとは、言わせません。

 発言者の多くの皆さんが、どれだけ沖縄叩きの判決かを論難し、改めて沖縄は屈しないことを誓い合いました。

 以下アピール文です。タイトルは上記の通り。

「2016年9月16日は沖縄県民にとって忘れらない屈辱の日となった。

 またしても沖縄県民の圧倒的な民意は踏みにじられた。公正・公平であるはずの司法の場において安倍政権追従の不当な判決が言い渡されたことは、逆にかってないほどの県民総ぐるみの新基地建設反対運動が県内各地に広がっていくきっかけをつくったにすぎない。

 『辺野古でなければ普天間飛行場の被害は継続するしかない』という主旨の不当な判決は沖縄県民として断じて受け入れることはできない。

 日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の3つの独立した機関が相互に抑制しあい、バランスを保つことにより権力の濫用を防ぎ国民の権利と自由を保障する『三権分立』の原則を定めている。にもかかわらず日米両政府は、これまでこの沖縄にだけ、戦後71年間、米軍専用施設の約74㌫を押し付けておきながら、普天間基地を返還する唯一の条件と方法は、辺野古への新基地建設だという詭弁で民意を封じ込めてきた。そのような手法はもう通用しない。

 私たちは翁長雄志沖縄県知事と共に、全国・全世界の支援者や仲間たちと一緒に団結し、安倍政権が辺野古新基地建設を断念するまで抗議行動を継続する。

 私たちは全国民に訴える。辺野古に新基地を造ることは、沖縄県民の民意を圧殺しているのだということを。戦後、銃剣とブルドーザーで奪われた自らの土地を一刻も早く無条件で返還するという当然なことを多くの沖縄県民が望んでいるのだいうことを。復帰後、沖縄県民は米軍基地があるがゆえの事件、事故に苦しめられてきた。もうこれ以上、私たちの子や孫たちの時代に負の遺産を背負わせておくことはできないのだということを。

 そして私たちは、全国民に訴える。この国に真の民主主義、地方自治があるのならば、沖縄の民意に寄り添い、沖縄の声に真摯に耳を傾けていただきたい。

 今、この国の民主主義が問われているのだと。

 私たちは、日米政府に対し強く要求する。辺野古新基地建設断念、オスプレイの配備撤回、一刻も早い普天間基地の閉鎖・撤去を。

 沖縄の歴史と未来に禍根を残さないため、島ぐるみで、県民総ぐるみで最後まで闘い続ける。

 2016年9月21日 不当判決に抗議する! 翁長知事を支え!辺野古新基地建設反対県民集会」

 

 集会最後に玉城愛さんよびかけの沖縄民謡「芭蕉布」の会場全体での合唱が良かったな。

 それにしても米軍と安倍政権御用達の連中の騒音が、ずっとあたりをわーわーしていた。だが、集会参加者の皆さんは、誰一人気をとられずに集会に集中していた。

2016年7月29日 (金)

沖縄県議会高江に関する意見書(16年7月21日)

ちょいと遅くなりましたが、沖縄県議会が漸く高江の工事反対の意見書をあげてくれました。

http://www.pref.okinawa.jp/site/gikai/documents/2806heriikennsho.pdf

2016年7月12日 (火)

参院選 イハ洋一打ち上げ式の模様(16年7月9日18時~)

ちょいと手違いで投票日前に出しそびれました。

2016年7月9日18時~19時 那覇市県庁前付近 曇り後雨。

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翁長知事がイハ候補を引き立てます。

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糸数慶子参議院議員が応援演説。

そして今、お二人が沖縄の参議院議員になれました。

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自らをアピール。真剣に新基地建設を止めると。琉球諸島に陸自の配備も止めようと。

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おつれあいの成子さんがアピール。やや手れくさそうに手をする洋一さん。

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集会の様子。

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人で一杯です。



2016年6月30日 (木)

国際反戦集会(出遅れの記) 「慰霊の日」②

2016年6月23日晴れ。午前中、平和祈念公園での慰霊の日の様子を探る(「慰霊の日」①)。そこから魂魄の塔へ。徒歩で約1時間。国際反戦集会はとっくに始まっていた。県内外から友人知人がきておりました。

 しばし日陰にて、一休み。参加者は約300名ぐらいか。色々な方からご挨拶をいただきました。ありがとうございます。

 何人かの発言と歌があったが、私は静かにしてました。

14時21分、ゴスペルを歌う会の人たちが登場。6月20日、ご一緒したばかりでもあり、撮影。

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神谷牧師。宗派を超えての集まりだと強調されていました。宗派を超えて平和のために声を合わせる意義は決して小さくないはずです。

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「we shall overcome」を独唱する。彼女はさすがプロ。力づけられます。

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魂魄の塔を覘くと慰霊に訪れている人は今年も多いようでした。無縁仏にならざるを得なかった人人に哀悼の意を表したいと思います。彼ら彼女等の無念の思いを込めて、2度とあってはならないように闘いましょう。

次に登場したのはキム・キガンさん。この人もプロ。唸らされる。

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「人間を返せ!」を腹の底から歌う。

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絶唱を聴き入る参加者達。14時37分。

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暑さを吹き飛ばすような歌いっぷり。民族に縛られず、やはり人間としてのつながりをと言っていたのが印象に残りました。

15時過ぎに終了。私が遅れてきたから、あっという間に終わってしまった。

つうことで、ご挨拶後に私は某所に向かいました。

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沖縄の夏はやはり赤が似合う。葉緑とのコラボを太陽の光で創り出す。

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糸満の海岸を眺めながら。17時。

71年前、戦場になった海辺を歩きました。ちょいと目的地に間に合わず。とぼとぼ宿に引き返しました。再び沖縄を戦場にしないために私たちは何ができるのだろうか?ますます重くなった2016年の慰霊の日でした。

2016年6月29日 (水)

慰霊の日に①(16年6月23日)

今日は慰霊の日。16年6月23日晴れ。暑くなった。

ゆっくりと平和祈念公園へ出発。

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アカバナーの花に元気をもらう。

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平和祈念公園に向かう。途中のサトウキビ畑。糸満らしい風景。

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これも素敵なのだが種名が分からない。

平和公園に入り、一休みしていると太鼓の音が響いてきた。

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11時1分。

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日本山妙法寺のご一行も。

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11時13分。来たよ。安倍首相ご一行様。警官が多い。

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何十台も通るので、どれに乗っているのかわかりません。11時13分

今年は警官を倍増させて堂々と入った。

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私は礎に移動。11時19分。

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三重の死者たち。県外の訪問者は少ないのだ。

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記念撮影の背後に巡視船。海からも見張る。11時33分

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メインどおり。11時37分。機動隊検問中。

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11時38分。汗を拭いている人もいるな。ご苦労様だが、お邪魔だ。正面は平和祈念資料館。

こうして私は知事が何をしゃべったのか、安倍が何を言ったのか聞き取れなかった。大変な警備をしなければ、守れない式典とは何なんだろう。

来年は直接聞ける態勢を準備したい。

以下首相の挨拶を批判的に紹介しよう。

冒頭「御霊への哀悼の意」で始まっている。つまり一人ひとりの命への追悼でないのだ。「沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません」か。頭を垂れる暇があれば、基地撤去でしょう。地位協定の見直しでしょう。

「過去と謙虚に向き合い、平和な世界の実現に向けて不断の努力を続けていく、その誓いを新たにする日だ」。そうですか、積極的平和主義でしたよね。新たな基地を造ってねと。

『卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに強い憤りを覚えています。」「軍属の扱いの見直しで合意し」て、再発防止に取り組む。海兵隊もしっかりと置きながら、地位協定を変えずに、「国民の命と財産を守る責任を負う政府として、2度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を講じてまいります。」と、ごまかすんだね。

 沖縄の人人の命と財産も守ってくださいな。

 最後にも御霊を連発しているが、そもそも沖縄戦を強いたのは誰よ?安倍さんが敬愛して止まない首相の爺さん達や天皇ヒロヒトだよね。歴史を矮小化して美化したらいかん!

 沖縄県遺族連合会の宮城篤正会長ははっきり言っている。「米軍普天間飛行場の早急な移設を熱望すると同時に、戦争につながる新たな基地建設に遺族として断固反対する」とした。遺族の悲しみを「海よりも深く筆舌に尽くしがたく、心が折れそうな時もあったが、心の痛みに耐え懸命に生き抜いてきた」と振り返っているのだ。

 この違いは何だろう。体験させられた沖縄の人人と、体験させた側の能天気。

 












2016年6月28日 (火)

首里から糸満へ(過去と現在をまたぐ旅)

2016年6月22日。晴れ。今回の中南部の旅の核心部を行く。モノレール首里駅から糸満の宿まで一気に歩く。20キロ余り。初めてのコースだからやや不安もあるが、大丈夫。

8時20分スタート。先ずは首里城へ。

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外壁をめぐりながら、那覇の町を見下ろす。71年前の沖縄戦で町のお城のすべてを失ったのだから、人間の復興力は凄いものだ。8時37分。

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この壁も門も95年に復元されたものだ。連合軍+大日本帝国に壊され、日本政府が復元したのだが、形を復元しても琉球文化の心を壊したままではないのか。8時46分。

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修学旅行生がずんずん中に入る。8時50分。

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1522年の尚真王の時代の碑(復元) 「眞珠湊石門」(まだまみなといしもん)

私は全く知らなかったが、この時代日本の倭冠に対抗する勢力を結集して琉球を守ろうとしたらしい。8時56分

 

71年前、城址があり、第32軍の総司令部が地下壕の中にあった。しかし連合軍の猛攻はすさまじかった。「艦砲ぬ喰えにくさ!」と言われるほどの爆撃を受け、形あるものは壊され、生き物達も殺された。

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城址の南側の森。戦災で木も破壊されたが、再生されてきた。8時59分。

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旧城址をぬけると、今日の予定地の自衛隊のレーダーが見えた。遠い。9時10分。

南へ進路を取る。しかし、道が分かりにくい。くだりで、那覇に向かわないように注意。

道を探していると、旧道(石畳の道)を発見した。9時42分。これでいけるぞ!

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暗いけれど、糸満への先が見えた。9時42分。

琉球のお城もやはり庶民を従えることが意識されており、高台にあり、その道が今の自分の進路を拓いてくれたので、妙に感慨深い。

南部医療センターのある親川の交差点に出た。ここから南風原(はえばる)町だ。

道にこんな看板があちこちに。嬉しくなって、元気が出る。ご苦労さまだと思う。

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10時47分通過。まっすぐ南へ。南風原の役場を右手に見て進む。

黄金森公園を左に迂回。すると南風原町平和の礎があった。4400名が亡くなっていると。1村で4400名が亡くなったのだ。首里から糸満に逃げる途中の地域だけに被害が大きかったのだろう。哀れ。

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11時23分撮影。

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南風原平和の礎。周囲に刻名されている。

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字ごとにお名前が刻まれている。

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左奥が南風原町役場。11時28分。

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南風原の陸軍病院があった森。12時19分。まだ今日の旅程の3分の1も来ていない。

水曜日は南風原文化センターなど休館日。

雨が降り始め、しばし高速の下で雨宿り。

屋宜原をぬけ、東風平(こちんだ)へ。13時過ぎ。一休み。しかしここからが大変だった。道がつけ換わり、全く地図と違っていたのだ。前に2、300メートル進むのに、1時間以上かかった。ここでの道標は本日めざすレーダーの方向。

コンビニの駐車場で休んでいると友人のOさんと出会う。道を教えていただく。涼んでほっとして。14時過ぎにやっと東風平を抜ける。右へ、坂を上っていく。高良、与座へと進む。

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航空自衛隊基地のアンテナ。第56警戒群。近くには陸自の第4高射中隊もある。16時17分。

更に登っていくと。

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与座の丘の天辺に、最新鋭のガムラレーダー(FPS-5)が在る。ステルス戦闘機、空対地ミサイル、巡航ミサイルなどを発見し、撃破するレーダー。撃破は別途ミサイルが準備されている。

ここは今でも戦争に備える最前線なのだ。暑さが身にしみる。16時57分撮影。

ここから宿まで80分以上かかる。やや遠回りかもしれないが、知っている道を選ぶ。ひたすら歩く。平和祈念公園を通って、宿に到着したのは18時45分。やれやれ。

 疲れたが、沖縄戦の避難を思えばなんてこともない。銃撃される心配はないし、水も食べ物もあるのだから。いざとなればヘルプを請うこともできるのだから。

明日は慰霊の日。










2016年6月26日 (日)

ホワイトビーチと平安座島(へんざじま)(16年6月21日午前)

 16年6月21日午前は勝連半島先端にあるホワイトビーチへ。日米軍の海軍基地。因みにここが重要なのは、①沖縄の、大型船が停泊可能な軍用港であり、強襲揚陸艦等が随時入港してくる。海兵隊の海外演習、侵略の軍事拠点、②2011年頃から海上自衛隊の艦船の入港が増えた。東シナ海、南シナ海での対中国の情報収集、警戒軍事作戦の中継拠点となっている。

 そういうわけで、新基地建設反対の視点とも重なる重要な基地のひとつ。ひさしぶりに行ってみたのだが、大ハズレ。

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小型の舟が入る岸壁に米軍掃海艇が1隻。

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こちらは海上自衛隊のタグボート(右)等。メインの岸壁には海自の掃海艇1隻と小型の燃料補給艦(米軍チャーター船?)、がいただけ。

 ここにいないのはいいことかといえば、そうも言えない。海の彼方の私たちが知りようもないところで軍事作戦中かもしれないからだ。

○6月23日以降に大物が入港したらしい。新鋭の強襲揚陸艦のグリーンベイなど。

 このあと、私はⅠさんのご案内で、平安座島に向かった。沖縄の70年代後半に起こったCTS建設阻止の闘いが潰されてできてしまったのだ。今回私ははじめて行った。

勝連半島の北側から海中道路が延びている。

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巨大なタンクが立ち並ぶ。

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沖縄石油基地の正面ゲート。

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見えるだけでもいくつあるのか。

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フェンス越しに撮る。

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宮城島にある島マース(製塩工場、展示販売所)の建物越しにもずらっと並んでいる。2万5000分の1の地形図によれば、大型のタンクだけで約60基。

因みに製塩の為の取水は太平洋側から採っているのだが、いささか不安。

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宮城島の高台。絶景が広がる。

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宮城島宮城の小さな湾から太平洋。






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