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日記・コラム・つぶやき

2017年1月28日 (土)

只今、オスプレイが周辺をごろついている(17年1月28日午前)

 17年1月28日、10時過ぎ、オスプレイの騒音がけたたましい。外に出ても見えず、音の方向を確かめると、許田方面だろう。キャンプシュワブ演習場(付近)の西側でやっていると思われる。

 米軍は、今日の沖縄は旧正月で、名護のサクラ祭り(名護城内)だと承知の上でやっているのだろうか。演習をやめろ!

 なお、「ごろついている」という表現は、「ごろつき」にかけているが、音がごろごろ篭っていることを含んだ表現であることをお断りしておく。

 また近くを飛んだ。10時48分。

今日は、旧正月で、名護のサクラ祭り、私は(17年1月28日)

 今日は旧暦の正月。糸満等の漁師町などでは、正月を迎えています。私たちの海上行動もお休み。なお、陸の闘いはやるそうです。また、名護のさくらまつりが、28日、29日の2日間。こちらも楽しそうです。ただ今年は暖かすぎて余り咲いていないかもしれません。

 私は静岡の準備で、お休みにしています。もし余裕があれば、サクラ祭りをちょこっと撮影に行きます。何しろ、14年に行って以来行けておりません。

 旧正月といえば、私はよく神奈川県の横浜中華街に出かけていました。大混雑でしたが、楽しかった思い出があります。また中国も旧正月で多くの観光客の皆さんが旅立っているようで、沖縄にもきていらっしゃることでしょう。

 こうした観光が成り立つためには、平和でなければありえません。ましてクルーズ船を招聘しようなどと考えるならば、なおさらです。2枚舌では信用されません。一度、観光と平和を巡る問題をきちんと考えないといけませんね。

2017年1月26日 (木)

海2連投(17年1月26日)

 海に2連投。今朝冒頭、酔いそうになり、ちょっと焦った。ただ揺れに任せている(停めている)のは、案外酔いやすいもの。

 私が酔った、帰るというわけにもいかず、頑張った。直ぐに回復しました。途中で、カヌーチームに体調を崩した人が出て、彼女等を辺野古テントまで運んだ。怪我したわけでもなく、食欲も戻ったのでほっとした。

 海の上での行動は、やはり睡眠とって食事してきてくださいね。若くても無理したら、えらいことになりかねないから。お互いに自戒したいです。私は前夜は0時までに寝るときめていますが、なかなか守れない。

 昨日などはいつのまにかパソコンの前で座りながら寝ていました。はっと起きたら1時30分。慌てて寝ました。

 そんなわけで今日はテントに立ち寄ったのです。そしたら昨日、小平市議会(東京都)の生活者ネットワークの3名様が見えたと。私との縁は2015年の11月にお招きいただいていたからです。お会いできずに残念でした。市議会レポートを拝見したら、昨年4月末に起きた女性強姦・殺人事件に対して、抗議の意見書をじっくりとまとめて、12月定例会で議決いただいていました。感謝です。

 また去る11月には「標的の村」の上映会をやり、110名も集まったそうです。私の話がひとつの刺激になり、以後の活動に引き継がれているようなので、大変嬉しくなりました。

 ウーム。まだ体が揺れている感じがなおりません。書いていても何だかまっすぐに指が動かないのです。何しろただ物理的に揺れる世界の中にいるだけでなく、撮影するとなると、この揺れを身体で意識しています。身体で揺れを感じながら、水平にできる限り来るチャンスでシャッターを押すのです。無論意識的に揺れているように撮るときもあるのですが。このように、揺れに対して反揺れを感じながらなので、ダブル揺れです。

 そんなこんなです。

滞っています(17年1月26日朝)

 滞っています。色々と重なり、疲れ果て。すいません。

 昨日の写真は自分でも面白いことにきづいた。望遠系はいいのに、広角系がだめ。これ自分の弱点だ。広角系の絵づくり、難しい。近場での、瞬間を捉えることのむずかしさ。何しろお互いに揺れている。揺れを感じながら、やるのだけれど。

 ということで、今日もがんばります。

2017年1月25日 (水)

久しぶりに海に出てくたびれた(170125)

 久しぶりに海に出た。波も風も穏やかだったが、随分濡れた。4,5回、転がされた。カメラを守るのに四苦八苦。あちこちからだが痛いぞ。しかし写真はバッチリだろう。水平感覚なくなっているけれど。これは無理。無理と諦めると、諦めんでいいところまで、諦めていた。イカン。

 フロートを張るのに、あと、1,2日かかるだとう。やはり2月からが本格的な攻防になる。今日は陸で2時間作業員が入るのを止めてくれたのが、心強かった。

 どんなことがあってもめげずにがんばろう。

2017年1月24日 (火)

沖展出品してきた(17年1月24日)

 無事に沖展に出品してきた。ほっとした。公募展に出すの4年ぶり。結果は待つしかないが、入選することを期待したい。

 那覇まで行くのはひと仕事。往復3時間以上かかるし、お金も何千円も。那覇に着いて思った。自分は絵画とか工芸は好きだが、出したとしても端から通るまい。写真ならば線上にはある。これも50年余りの蓄積だろう。

 那覇に行ったのだから、ちょいと本屋を覘いた。たまには読みたくなる小説はないかとしばし物色。しかし読みたそうな本はないものだ。仕方なく、永六輔さんと大石芳野さん(写真家)の対談本を買った。「レンズとマイク」。それなりの仕事をするためには哲学が重要だとあったが、改めてそうだよなと、納得。写真を撮らせてもらうということは、そういうことなのだ。

 同じような書棚にカメラの撮りかた等の本も多数あったが、「女子ポートレートの撮り方」(のようなタイトルだった)をぱらぱらとめくれば、ちゃらちゃらの撮り方に過ぎないことは、一目瞭然。ちゃらちゃらがメジャーシーンを支配している限り、変わらんね。

 こうしたことも、本来はきちんと考えるべきことだろうが。

 話は変わるが、ニフティニュースに米軍が国道上を兵隊を釣り下げ訓練したと出た(「ヤマヒデの沖縄便り」17年1月20日参照)。しかしこれは地元紙が取り上げたこと(私も新報にコメント)をNHKが大きく報じ、やむなく沖縄防衛局が動いただけだ。あたかも防衛局が自ら動いたかの様な書き方は頓珍漢だ。私たちの写真の力は侮れないものだ。

 これから夕飯。

やっと沖展出品作完成(17年1月24日)

 昨夜から始めた沖展出品作をやっと完成。15年から数えると3度目の正直で出来上がりました。なんだか日常がごたついていると、とてもじゃないが、何をどうするとか頭に浮かばなかった。今回も沖展だからやはり芸術っぽいものをと思いながら、クソリアリズムになりました。かのオスプレイの墜落を撮ったもの。16年12月14日、15日、24日の安部の海です。当事、こちらのマスコミにさんざん現場写真が掲載されましたが、私のはちょっと違う。海側から撮ったことと、敢えて人間を意識的に入れたこと。現場証拠物件の回収-証拠隠滅に従事する海兵隊員であり、他方、この海を愛し、仕事場としてきた人を。

 沖縄に居なければ撮れない写真ですが、沖縄に居るからこそ撮れた写真になっているかが、問われることでしょう。

 私がデジタルでの作品を出品するのは初めて。その意味でも入選できるか否か、珍しく余り自信ないです。

 去年はじめて沖展を見に行って、工芸部門の素晴らしさに対して、写真部門は正直目を日張らされるものはなかった。今年はどうだろう。期待したいところです。

 今回私が「墜落」をテーマにしたのは、沖縄の人人に知ってもらい、考えてもらいたいから。私達は歴史の分岐点にたたされているのであって、そこは沖縄も例外でない。だからこそ私は沖縄の可能性を拓く様な作品をつくりたい。まだ願望だけですが。結果は2月3日だそうです。

 続けて「視点」もいきます。こちらも沖縄に来て以来、不戦敗。出せなかった。こちらの企画はほぼできているので、これから具体化していきたい。ブログに出すのと全然違う緊張感があるから、公募展に出すのはやはりおもしろい。

 ということでこれからな那覇へ。晴れているから濡らす心配がないので、ありがたい。

世間は騒がしいですが(17年1月24日)

 おはようございます。安慶田副知事が昨日辞任した。教員採用介入疑惑がもたれたためだ。こんなことはあってなならないことだが、様々な策謀もありえる。事実の解明が必要だ。何れにしても嫌なことがおきたものだ。

 昨日私は名護に帰宅。宮古島市長選の結果に、愕然。勝てる選挙を落としたのは痛い。分裂選挙になった推移からすれば、予想されもした結果だが。宮古島の市民がここまで立ち上がってきた矢先の惜敗は、惜しんでも惜しみきれない。私も脱力感一杯。

 ただ25日締め切りの沖展の準備があったので、未明まで頑張った。今あるプリンターと自分のデジタルプリント能力からすれば、精一杯のデキ。あとは台紙に張り込んで、今夜、タイムスまで持ち込む。結果は分からないが。タイトルは「墜落」(いまのところ)。オスプレイのクラッシュ振りをご覧あれ。ただ新聞等に出ていない視角(海から)の作品。残骸と人の対比(米兵等)を描いた。

 今日は現場を休む。組写真なので、配列が大事。色合いやトーンなどにも留意しながら昨夜、最後の1枚を決めた。これを台紙に張り込む。何度やっても案外緊張する作業。こういうことをやっていれば、雑念が入りこむ余地はない。

 それにしてもデジタル時代。自分のセンスだけではダメだ。いいプリンターを買って(其れを使いこなして)次に備えよう。ハードルは高い。ここのところ、Aさんが私の写真を買ってくださったりして、自分のプリント能力も多少アップ。やれば少しづつなるほどと合点がいく。

2017年1月23日 (月)

宮古島から帰ってきた(17年1月23日)

 本日午後、宮古島から帰ってきた。宮古島市長選、奥平一夫さん惜敗。370票差。詳細はのちほど。手ごたえだけでいえば、奥平さんの勝ちだったのだが、組織票、表面に出ない裏の動き、期日前投票など、現職の下地敏彦さんの粘り勝ち。裏側だけに何が行なわれていたのか、それこそ情報公開してもらいたいものだ。

 ただ私は、奥平さんたちの市民グループは島の政治の保守の岩盤をあと一歩崩せなかったのだと思う。しかしこの2ヶ月でよくもここまで力をつけてきた。11月20日段階ではまだ態勢ができていなかったし、分裂回避の動きと、独自に立てることの2重の動きの最中だった。

 これで政府防衛省は一気に宮古での陸自の基地建設にまい進してくるだろう。これに対置して、この選挙で広げた市民グループの結集を選挙だけに留めず、今後も持続的な運動展開ができるかが、時代を分かっていくだろう。私は予想したくないが、今進んでいることは、ここ宮古島や石垣島、与那国島が近未来に戦場になる事態なのだ。なってから気がついても遅い。逃げ惑い、爆弾等にやられるか、壕に避難して飢えて死ぬ。住民が被弾する弾は、敵が発射するものばかりじゃあるまい。時と場合によっては、自衛隊からも米軍からも撃たれかねないのだ。

 どうして分裂になってしまったのか、下地晃さんを立てたグループは、「オール沖縄」を自称したが、そもそも宮古島に「オール宮古島」は不存在。名前だけ用いても底の浅さを曝露してしまう。選考委員会なるものも一部のだれそれが立ち上げたに過ぎない。全く不透明な中で奥平排除を含意して行なわれたと、私はみている。

 従前から一生賢明基地建設反対などで動いていた人たちが、こんな独善を承服できるわけがない。しかし一度外れたレールは戻らなかった。島の命どぅ宝の団結を取り戻すことができるのか、お互いに原点に立ち返って、考え直してもらいたい。

 これから一休みしてから、沖展のパネル制作に取り掛かる。暫くブログを書けないかも。このブログの容量が一杯に近づいているし。

2017年1月18日 (水)

名護市街でオスプレイ3機編隊に遭遇する(17年1月18日)

 今日はお休みしていた。在宅仕事は五万とあるのだ。進まない進まない。午後は市内で用を足してきた。15時50分ごろ、宮里4丁目あたりの国道58号の上をオスプレイ3機が縦隊の編隊を組んで北東へ飛び去った。水平モードだったが、ゴッゴッゴッゴという音は相変わらずだった。西側を通るのは比較的珍しいことだと思うが、北部訓練場に向かうのか(大宜味経由で山越え)、この先で左折して(本部・今帰仁の北側を経て)伊江島に向かうのか。腹立たしいことにかわりがない。

 しかしもしも辺野古に新基地ができてしまえば、私がいつも言っていることだが、此処を中心にして、シュワブ・ハンセン、北部訓練場(高江)、伊江島とグルグルして演習することは必至。うるささも危険度も明らかに増すだろう。今宜野湾でもやっているのだから、名護市街でもやるとみるべきだろう。決して甘くないだろう。何しろ米日同盟だし、これを「希望の同盟」だという連中だから。

 そこに新たにF-35B(対地戦闘攻撃機)がやってくるのだ。岩国に10機配備される。あと6機は沖縄にきそうだし。先の10機も演習は主に沖縄の空域だろう。どれほど凄まじい音を出すかは私の想像力を超えそうだ。これが嘉手納・伊江島・辺野古に来るようになったら、どうするね。辺野古から伊江島とか言えば、どこを通過するにしても、陸域の集落の上を避けようもない。あえて人の上を通るのだし。これを日本政府は完璧に黙認しているのだから。

 絶対に許さない気概が重要だ。あちこちから反対の声をあげていこう。

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