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2017年1月11日 (水)

国家と個人の来歴を考える(あくまでもつれづれがまま)

 沖縄に居ると、何でこの国は米国べったりでものが言えないのかと、大いに苛つく。しかしこの国は「鬼畜米英」と振りかざした挙句に完敗を喫して、どっぷりとそこに喰らいついた。アジア侵略のことを忘れて。敗者なのに勝者然として。否、敗者だからこそあたかも勝者として振るまいたかったのだろう。米国という勝ち馬に乗っかって。

 それが80年代の「戦後政治の総決算」から今日の「日本を取り戻す」なんちゃらのお調子者ぶりっこ。過去政治を反省することもなく、米国に従いながら、他方で戦前への道にまい進する。この矛盾を生きることに酔いしれている一部の人人。情けない。

 沖縄はもっとクソリアリズムで米国の支配下に72年まで置かれてきた。そして今は日米の共同の支配下で苦しんでいる。その沖縄でも、復帰後45年を迎える中で、こうした「日本」の論調の流入はさけられないかのようだ。

 こういう私にしても、戦後日本の成立について、極めて不十分にしか認識しえてこなかったのだと、反省しきり。分断された認識しかなかったといっても過言でない。米日関係、日本と朝鮮半島との関係、日本とアジア諸国との関係、日琉関係、米ソ(ロ)・日関係などに。

 沖縄が歩まされてきた歴史と、知らん振りしてきた「日本」の歴史がいい意味で交わらずに別の方角を向いてきたことにも唖然とする。

 沖縄は沖縄で自決権を持ちながら、もっと自由に独自の道を選択する権利があるはずだ。そこからアジアを日本を、中国やロシアとも新たな道を探ることが健全な道ではないか。これは独立論以前の自立論の中で私は考えている。

 米国の意のままに戦争の火種を抱きしめることなく、新たな道を模索することだろう。小難しい話だが。

 個人の場合はズンと単純だ。それですら冷や汗ものだったり、自分で何でだろうと悩ましく思うことは少なくないのだ。

 私は今年で社会運動50年になる。半世紀だ。よくもここまできたものだが、いい加減なところも少なからずある。個人がじかに見れる範囲は極めて狭い。だからトータルなものの見方をなかなかできずに、くだらないことで対立したりする。感情的過ぎ、思い込みで動いたりする。人間は、なかなかうとましいものだ。

 そんな個人が寄り集まってやるのだから、なかなかマシな政治にならない。政治ももっと文化的なものになれば、より率直なものになるかもしれない。文化は地域発や個人発のものが多い。損得勘定よりは多少目を開眼できるはずだ。それでも難しいけれど。

 先ほど観ていたら、長野県黒姫の人が私のブログをリンクしてくれていた。黒姫山(周辺)はおおいに懐かしい場所だ。何度も行ったし、撮った。未だに光景が目に浮かぶ。今の自分を作っている一部に黒姫も含む信州の山々があることも確かなことだと思っている。ありがとう、黒姫山と黒姫の人。

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