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2017年1月 9日 (月)

今日は現場を休む-自由か隷属か(17年1月9日)

 1月4日に東京から帰って来てたまっていたブログを書くなどしていたら、寝不足に。お陰でやたらと疲れがたまったので、今日は休む。

 昨日が今時の成人式だったらしい。また、どこそこで暴れたとか、「事件」が報じられているが、式に参加するのもしないのも自由なはずだ。なかには晴れの場で暴れてイベントメーカーになろうと企てるのだろうか。壊して、後味の悪いことにしかならないだろうに。人生なんてケチなものだと決め付けることなく、自分自身の表現力を身につけて欲しい。

 自分はこれをやるのだということが定まっていないと、どうしたらいいのかわからず、暴走してしまうのだろう。昔、大日本帝国と称していた時代、子ども達は軍国少年・少女になった。これは国家が諸個人に唯一の規範を押し付けたから、人々は他の選択の余地を奪われていたからだ。誰も疑いを挟まなかった、挟めなくなっていたのだ。国家が呼び込む甘言も多く謳われていたし。個は大勢の塊になったほうが楽なのだ。結果として個でなくなるが、否、なくなっていたのだろうが。

 翻って今はどうなのか。未だ自由が残されているが、どんどん外堀を埋められてきた。様々な可能性が失われつつある。型枠の中にはまり込んでいる。ただしまだ型枠はコンクリートされていない。固めきられていない。

 ただし、何が自由なのか、これが曖昧になっている。自主規制して従う風潮が強くなってきている。大嘘が堂々と闊歩し、どうでもいいような情報はあまたころがっているが、肝心なものが隠されている。例えば、沖縄で言えば、「負担軽減」という大嘘が流布され、琉球諸島を再び最前線に据える計画が隠されている。そもそも沖縄は、安保関連事項は、国家機密だらけなのだ。

 2017年、18年は、こうした自由か、隷属かが最終的に問われる年になるのではないか。再びやりなおしが利かない時代は、すぐそこまで迫ってきている。

 私たちが生きていく上で、何が大切なのか。私たちが生き続けていくことができる道を守り、新たに創り出していくことだろう。しかし、これは「私たち」をどこまでを含めているのかによって、当然異なってくる。沖縄の民衆、日本人、アジア人、人類。だから難しい。過去に大きな間違いを繰返してきた私たち「日本人」。

 人は、自らを人類だと自覚することができるのか。どうしたらナショナリズムなどを超えることができるのか。例えば資源を独占的に得たいという発想が破滅を招くことを認識していない連中が世界中で権力者として跋扈しているのだ。

 考えれば考えるほど重たくなるが、だからこそ、一人で担がない、より大勢で担ぐことが大切だ。孤立したら、ろくな発想はでてこない。友達に、生きる上での問いを投げかけあう関係ができれば、いいのだが。

 成人式の話からやたらと大きな話になってしまったが、人はいつまで生きていられるか分からないのだから、そのときそのときを可能な限り全力で走る、否、歩き続けることが大切だ。

 私は灰色の世界が何時暗転するのか、茶色の朝をいつ迎えるのかと怯えるのではなく、自身ができることをやり続けることしかないと考える。勝つ方法は諦めないことだからだ。

 それと日常の生活圏は案外狭い。ネットの世界はもっと狭い。自分の頭の周りだけで考えては、ダメだ。だからこそ、時には外に旅に出て、新しい環境の中で、様々な学びをして考えることがとても重要だ。沖縄を訪ねる平和学習も、沖縄を学ぶ、沖縄から学ぶのみならず、自分を問うことがないと単なる知識の詰め合わせで終わる。それでは持続できない。

 余談だが、85年1月15日(成人式の日)、私は福島県の郡山駅にいた。猪苗代湖での撮影の帰りだったと思う。磐越西線から東北本線に乗り換えるときだ。階段を歩いていると振袖姿の女性3名が私を呼び止めた。記念撮影してとの依頼であり、撮って差し上げた。     当事の私は未だ沖縄を知らなかった。当時の福島は被曝を知らなかった。こんなちっぽけな私の記憶が福島を想起する。

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コメント

まず個人になることが大切だと思います。
私たち→私→(連帯した)私たち
個人になる前に集団になると全体主義になり、国家権力を暴走させるエネルギーになってしまいます。大切なのは国ではなく、個人です。
私は私でいいのだ・・・が憲法13条の精神だと思います。
以下、お知らせです。

[宮古島市長選一週間前]
南西諸島に自衛隊基地はいらない!1.14アクション
1月14日(土) 14時から永田町・首相官邸前にて
呼:琉球弧自衛隊配備反対アクション
http://www.labornetjp.org/EventItem/1482272957000staff01 … …
2017年、自衛隊基地建設反対運動も盛り上げよう!

そうですね。個人が大切です。ただ、個人が大切だが、いかにしたら集団に抗しうる自立・自律した個人に成長できるのか、ここが問題ですね。私も50年この道に足を突っ込んできましたし、組織人だったこともあるので、これは難しいと嘆きたくなるのです。
 運動の現場で連帯できても、私たちの日常を規定しているのは、企業・学校・家庭だったりします。戦争に向かっている今、こうしたあらゆるところで、ひとつの流れに向かう風が吹き荒れてくるのです。
 だからこそ力を合わせていきましょう。
 
 宮古島市長選、本当に重大な選挙です。よろしくおねがいします。

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