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2016年12月18日 (日)

見過ごせない反応に一言(16年12月17日)

 今日の午後、シュワブゲート前で、行なわれたオスプレイ墜落事故に抗議する集会がもたれた。その集会に参加した後、ある集団が辺野古テントにもやってきた。ここで私がオスプレイの墜落事故から、高江、辺野古、伊江島との関連、南西方面重視政策の動きにも触れながら説明した。そして来年早々にも政府は埋立て工事を再開する腹づもりであり、私達は再び海保とのバトルが始まるのかと思うと、たまらないのだと話した。

 この場面で、突然、笑いが漏れた。何故笑えるのか、私には理解不能なシーンだった。私達は海上で身体を張って、行動してきた。時に海保に海の中に沈められたり、転覆させられても、カヌーチームは頑張ってきた。船の仲間も海保に乗り込まれて鍵を奪われたり、漂流させられたり、もろに転覆させられもした。私自身、カメラを奪われ、弾きとばされもしてきた。

 私たちが身体を張り、怖い思いをしながらも、なぜ、止めなければならないのか、彼はわかっているのだろうか。このグループは、政治的な認識は深く持っているはずの人たちだ。それなのに、物見遊山のような対応に呆れてしまった。その場でも、何故笑えるのかと問い掛けたが、応答をしていただけなかった。

 海でも陸でも現場での闘いは戯画ではないのだ。漫画を消費するような、笑える場面ではないのだ。一寸先を読めないこともあり、予定調和で行かない、シリアスな場面の連続なのだ。

 彼らの現場の闘いのイメージはどうなっているのだろうか。高江でも辺野古でも、座り込みながら排除される体験をすることが、◎だと思われている人をこれまでも見かけていたが、これも違う。同じように見える体験をすることではないのだ。その中で、自分が何を感じたのかを突き詰めて欲しい。

 どうか、当事者意識を欠いた平和学習を卒業していただきたい。当事者意識がなければ、沖縄とどこそこ、沖縄と自身は繋がらない。沖縄を考えることを通した、自分への問いかけが、様々な問題とも繋がる契機になるはずなのだ。

 無論、笑いは重要なことだ。笑い飛ばす、笑える余裕、などを、私は大切なことだと考えている。しかし今回のシーンで出た笑いを私は看過しない。どこかでじっくりとお話しできることを願っている。

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コメント

私もその笑いの真意を知りたい。辛い事を共有できないことは、心が貧しいとしか思えません。

ありがとうございます。
余り書くと悪口になるので、押さえているのですが、正直に言って、落ち込んでいます。
ご指摘の「心が貧しい」ということ、そうなんだろうと思います。

私がいつも言っていることですが、「頭で考えていてはダメ。身体で感じろ」。これが肝心。脳細胞だけでの思考は実体験を切り捨てているのです。怒りや悔しさを切り捨てている。
私達は全身で感じ、考えるからこそ、現場を越えることもできるのです。一時だけでない持続的な闘いができるのです。だからこそ冷静に、非暴力を貫けるのです。
私達自身が主権者になることです。そのために何が必要なのか?

どこかで改めて書きます。

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