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2016年8月15日 (月)

警察官という性格

 間近かに警官の無法な暴力を見た、渡り合った私は、今間逆なことを思い出している。2013年6月、伊豆七島の八丈島に3泊ほどで撮影に出かけた。ここは東京都であり、警官は警視庁の所属だ。

 私はあるキャンプ場に泊まっていたのだが、歩いて撮影に向かう。近くに小学校があり、毎朝、校門の前に駐在さんがたち、交通整理。いや、子ども達に朝の挨拶。顔は形式ばることもなく、実にすがすがしい。警官が柔和な顔をしていた。子ども達も警官に気さくに声をかけ、お互いに誰だと知っているようなのだ。

 私は長年、警視庁機動隊や公安警察と張り合ってきたので、これが同じ警官とは思えなかった。一種のカルチャア・ショック。田舎にはこういう警官が居るのだなと、思い知らされた。少なくとも悪くはないなと。ただ彼らも異同があるだろう。若し機動隊に配属されたら、やはり機動隊の顔になるのだろうと、不思議な気持ちになった。

 他方こんなことがあった。7,8年前のことだろうか。たまたま文京シビックセンターを通りかかった。そこで警視庁の美術展をやっていた。どれどれどんなものを描いているのか、覘いてみた。これがなかなかの秀作が多かった。これまた警官にもこんな才のある奴がいるのだと、再認識させられた。こうした才は、組織人としてのものではないからだが、組織から統制されなければ、必ずしも個性は職業に縛られない。

 組織に縛られた人間ほど恐ろしいものはない。能面のような顔をして、平然と暴力を振るう海保、機動隊。命令ひとつでスイッチが入る。軍隊はその極地だ。

 私たちが求める平和とは、組織に縛られないことでもあり、縛らないことだ。だからこそ、平和に基本的人権が伴わなければなりたたないのだ。つまり私たちが主権者だということでもある。安倍の「積極的平和」なるものは、こうしたことと間逆なものだ。

 こうして八丈島に居れば、美術を描いていれば、まともな個性があったけれど、戦時に向かえば、どこにいても、24時間、おかしな縛りを受けて、人間、この非人間的なものになりさがる。過去の戦時中がそうだったように。

 私達は、彼らに向かって、「警察官としての性格」を外しなさいよと呼びかけたい。呼びかければ呼びかけるほど、組織は縛るだろうし、沖縄に滞在するローテーションの時間を短くするだろう。闘いは、こうした文化的な闘いでもあるのだ。非暴力の闘いだからこそあり得る闘いなのだ。諦めることなく続けよう。

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コメント

ほんとうにね。その豹変ぶりは軍隊の兵士と同じだね。
25日、そちらに行って「思いやり」を見たいです。

 私らしからぬ文章というのか、発想で、気に入っている文にコメントありがとうございます。非暴力の闘いに襲い掛かってくる彼らの心を開く取り組み方はあるのか、考えないとなりません。死傷者がでないことは、やはり優先すべきことです。
 22日にやられた一人(救急搬送)は、私たちの直接の友人で、私は彼女の気を失っている顔を見て動転してしまいました。
 警官が軍隊の兵士になり、自衛官が殺人鬼になる、地獄のような時代に再突入しているのです。だからこそ、私はユーモアのある警官像を思い出したようです。ここに人間が生きていた記憶を忘れたくありません。
 「人間、この非人間的なるもの」との名句は、なだ・いなださんの著作(岩波新書)のタイトルから引用させていただきました。
 20日も25日も、お待ちしています。

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