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2016年6月

2016年6月30日 (木)

国際反戦集会(出遅れの記) 「慰霊の日」②

2016年6月23日晴れ。午前中、平和祈念公園での慰霊の日の様子を探る(「慰霊の日」①)。そこから魂魄の塔へ。徒歩で約1時間。国際反戦集会はとっくに始まっていた。県内外から友人知人がきておりました。

 しばし日陰にて、一休み。参加者は約300名ぐらいか。色々な方からご挨拶をいただきました。ありがとうございます。

 何人かの発言と歌があったが、私は静かにしてました。

14時21分、ゴスペルを歌う会の人たちが登場。6月20日、ご一緒したばかりでもあり、撮影。

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神谷牧師。宗派を超えての集まりだと強調されていました。宗派を超えて平和のために声を合わせる意義は決して小さくないはずです。

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「we shall overcome」を独唱する。彼女はさすがプロ。力づけられます。

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魂魄の塔を覘くと慰霊に訪れている人は今年も多いようでした。無縁仏にならざるを得なかった人人に哀悼の意を表したいと思います。彼ら彼女等の無念の思いを込めて、2度とあってはならないように闘いましょう。

次に登場したのはキム・キガンさん。この人もプロ。唸らされる。

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「人間を返せ!」を腹の底から歌う。

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絶唱を聴き入る参加者達。14時37分。

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暑さを吹き飛ばすような歌いっぷり。民族に縛られず、やはり人間としてのつながりをと言っていたのが印象に残りました。

15時過ぎに終了。私が遅れてきたから、あっという間に終わってしまった。

つうことで、ご挨拶後に私は某所に向かいました。

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沖縄の夏はやはり赤が似合う。葉緑とのコラボを太陽の光で創り出す。

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糸満の海岸を眺めながら。17時。

71年前、戦場になった海辺を歩きました。ちょいと目的地に間に合わず。とぼとぼ宿に引き返しました。再び沖縄を戦場にしないために私たちは何ができるのだろうか?ますます重くなった2016年の慰霊の日でした。

民間警備会社が「抗議者の身辺情報収集」の報道にふれて

 沖縄タイムスは沖縄防衛局と契約を交わし辺野古・大浦湾での警備活動を14年夏以来続けているマリンセキュリテイ等の問題について、継続した取材を続けている。昨日の6月29日の紙面には「辺野古の警備、船員法違反 沖縄総合事務局、2社を改善指導」とあり、今日6月30日には、1面と27面を使って大々的に問題点を浮き彫りにしている。

 同紙によれば、監視対象の船と乗員のリスト約60名分をリストアップしているうち、同紙は11名分を撮影した写真を入手したと報じた。この資料は海上での民間警備員が撮影した写真ばかりか、市民がネットに投稿した集合写真(現場外の)まで無断転載し、顔と名前の特定に利用していた。警備員はこのリストを基に市民の行動を名前を特定した上で指揮を執る母船や会社の現地本部に無線で報告し、記録に残していたのだ。

 会社はライジングサンセキュリテイサービス(本社東京)と現地の小会社のマリンセキュリティー(沖縄市泡瀬)の2社。

 同社は防衛局や警察、海保の関与はないと主張しているが、沖縄防衛局からの委託による契約であり、そもそも国の事業に関わる警備業務に民間警備会社の独断で個人を特定する権限も権利もないはずだ。

 また抗議する市民の親族の情報や県外での活動、プライベートな交友関係なども把握しているとの内部情報すら報じられており、こうした情報を民間業者が収集できるはずもないのだ。

 さらに社内研修では抗議する市民を「過激派で危険」などとも教育しているとのことだ。さらに辺野古沖の警備が「いかに危険」なのかを強調し、抗議する市民を「犯罪者扱いするような説明をした」と内部の警備員が明かしている。予断を煽り、彼らの「業務」を正当化し、敵愾心を煽るものであり、明らかに警備業法に違反する行為だ。

 同法の第15条に「警備業者及び警備員は、警備業務を行なうに当たっては、この法律により特別の権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない」

 彼らの警備活動を私が見てきた範囲で整理すれば、①政府が一方的に決めた「臨時立ち入り制限区域」内外から、「近づくな」、「出て行け」等の警告の乱発、②常時動画と写真で抗議行動を撮影し記録し、随時彼らの本部等に連絡し、③抗議行動の前から横から後ろから接近し、当方の行動を規制し、威嚇することなどだろう。

 彼らの論理からすれば新基地建設のための警備業務なのだろうが、ここは港湾でもなければ、埠頭(周辺)でもない。彼らの業務を正当化するとすれば、これまた日米地位協定による、変則的な米軍基地建設しかないはずだ。

 しかし上記の通り、第15条は特別の権限を与えてもいないし、無論「他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは正当な活動に干渉してはならない」のだ。

 上記の2社が正当性を主張するとすれば、如何なる範囲の行為を、何を根拠にしてのことなのかを説明しなければならない。他方で、警備業務を委託している沖縄防衛局は委託しているものとしての責任上、ここを明らかにしなければならない。それができないとすれば、この現場から民間警備会社を排除しなければならないはずだ。

 冒頭に報道された事態は、沖縄防衛局(防衛省)、警察・海保、防衛省情報保全隊の緊密なる連携が予想されるが、こうして市民活動を犯罪者扱いし、抑圧し、さらに現場外の活動にも目を光らせるとすれば、もはや戦前の治安維持法態勢に限りなく近いものになっているといわざるをえない。

 私たちは市民の権利を断じて守り抜くし、執拗に彼らの法的根拠を問い詰めていく。

●防衛省・沖縄防衛局と同社との長年の関係(腐れ縁)については、改めて論じたい。

1988年の公明党の漫画-無関心が戦争を呼び込む

ある方から、88年当事の漫画が流れてきました。ちょいとおもしろいです。

http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html

もっとも徴兵制の暴力で若者が戦場に連行される想定は、やや先走っていますが。

しかし戦後71年経ち、もはや最後の最後。この一歩先に戦争が待っているところに私たちは追い込まれた。恐ろしいなんてことを言っている場合じゃない。この道を止められか否かです。来る参院選がその帰趨をきめてしまいます。

 選挙と大衆運動は車の両輪です。そこをわきまえて取り組んで。沖縄も頑張ります。無関心こそが戦争を呼び込むのです。知らなかったじゃすまされない。

もはや夏バテか!?(16年6月30日)

 昨夜 、名護市内にオール沖縄から参議院選に立候補した伊波洋一さんがきたので、18時から私も「青山」前に取材してきました。しっかりと演説していました。

 反応も上々でした。必ず勝たせます。

 帰宅したら、バテて、そのまま寝てしまった。前日の睡眠時間4時間だからしかたがないか。昨日は都合、240枚撮りました。撮っているときは集中しているので、却って暑さを感じないのです。

 今起きたら、若い友人、U君からメールが。朝日新聞電子版に出ていた記事でした。沖縄に基地があるのは、お金をもらっているのだからしょうがないと言われるのだがとの質疑。

 私は以下の通り返しました。

U様

いつも憤慨することばかりです。

何故こうなるのかをお考えいただきたいです。
①日本が沖縄に何をやってきたのか其の歴史を知らないから、全く無頓着な対応しかできない「日本人」。
②お金をもらっていれば、容認せいという金権主義。これは原発でも同じ。かりにお金を仰山いただいても、許容できないものもあるのです。
③基地とは戦争に備えるものであり、人殺しの為の「軍事力による安全保障」を集中させられている沖縄。先入観に囚われずに、実態を見て欲しい。否、「日本」の人間は見なければならないのです。
④こうした現状は、戦後71年間、あの敗戦すら総括できずに、長いものに巻かれて生きてきた、日本人のどうしようもない事なかれ主義の結果です。

今やるべきことは日本人が沖縄に対する罪責しっかりと果たしていくことです。これは朝鮮に対する、中国に対する、東南アジアに対する、侵略したすべての人々に対する罪責につながるべきものです。

先日、辺野古テントにひょっこり現れたある30代から40代の男性(ひとり)、私の話を約40分聞いてくださりました。観光で沖縄に来たのだがとのことでしたが、分かりましたと、笑顔で帰って行った。嬉しい出会いでした。

追伸:オリイオオオコウモリの撮影ですが、7月中に挑戦してみます。いい結果が出せると思います。私だって、こういうのが好きなのですよ。(以上)

私の日々はこうしたこともあるのです。

2016年6月29日 (水)

慰霊の日に①(16年6月23日)

今日は慰霊の日。16年6月23日晴れ。暑くなった。

ゆっくりと平和祈念公園へ出発。

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アカバナーの花に元気をもらう。

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平和祈念公園に向かう。途中のサトウキビ畑。糸満らしい風景。

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これも素敵なのだが種名が分からない。

平和公園に入り、一休みしていると太鼓の音が響いてきた。

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11時1分。

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日本山妙法寺のご一行も。

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11時13分。来たよ。安倍首相ご一行様。警官が多い。

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何十台も通るので、どれに乗っているのかわかりません。11時13分

今年は警官を倍増させて堂々と入った。

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私は礎に移動。11時19分。

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三重の死者たち。県外の訪問者は少ないのだ。

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記念撮影の背後に巡視船。海からも見張る。11時33分

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メインどおり。11時37分。機動隊検問中。

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11時38分。汗を拭いている人もいるな。ご苦労様だが、お邪魔だ。正面は平和祈念資料館。

こうして私は知事が何をしゃべったのか、安倍が何を言ったのか聞き取れなかった。大変な警備をしなければ、守れない式典とは何なんだろう。

来年は直接聞ける態勢を準備したい。

以下首相の挨拶を批判的に紹介しよう。

冒頭「御霊への哀悼の意」で始まっている。つまり一人ひとりの命への追悼でないのだ。「沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません」か。頭を垂れる暇があれば、基地撤去でしょう。地位協定の見直しでしょう。

「過去と謙虚に向き合い、平和な世界の実現に向けて不断の努力を続けていく、その誓いを新たにする日だ」。そうですか、積極的平和主義でしたよね。新たな基地を造ってねと。

『卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに強い憤りを覚えています。」「軍属の扱いの見直しで合意し」て、再発防止に取り組む。海兵隊もしっかりと置きながら、地位協定を変えずに、「国民の命と財産を守る責任を負う政府として、2度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を講じてまいります。」と、ごまかすんだね。

 沖縄の人人の命と財産も守ってくださいな。

 最後にも御霊を連発しているが、そもそも沖縄戦を強いたのは誰よ?安倍さんが敬愛して止まない首相の爺さん達や天皇ヒロヒトだよね。歴史を矮小化して美化したらいかん!

 沖縄県遺族連合会の宮城篤正会長ははっきり言っている。「米軍普天間飛行場の早急な移設を熱望すると同時に、戦争につながる新たな基地建設に遺族として断固反対する」とした。遺族の悲しみを「海よりも深く筆舌に尽くしがたく、心が折れそうな時もあったが、心の痛みに耐え懸命に生き抜いてきた」と振り返っているのだ。

 この違いは何だろう。体験させられた沖縄の人人と、体験させた側の能天気。

 












2016年6月28日 (火)

いざ!国賠へ ②ラブ子転覆事件を許さない 16年7月8日

いざ!国賠訴訟へ

②「ラブ子」転覆事件を許さない

日時・場所:16年7月8日(金)11時から那覇地裁

◎海保の目に余る暴力-「ラブ子」転覆事件

 2015年4月28日、海保は大挙して突然ラブ子に乗り込み、転覆させた。

 同年5月7日、ヘリ基地反対協議会の抗議船「ラブ子」を操船していた船長が海上保安官を刑法126条2項で告訴。126条2項とは艦船転覆罪であり、「現に人がいる艦船を転覆させ、沈没させ、又は破壊した者」に適用され懲役3年以上の重罪となる。

 事件後、ヘリ基地反対協議会は海保に謝罪を求めたが、暴力をエスカレートさせただけ。

 前記の通り、告訴したが那覇地検もなしのつぶて。やむおえず、私たちは国賠を提訴した。権力のやり得、逃げ得を許さない。徹底的に追い詰めよう。

 

 ヘリ基地反対協議会からの文章をヤマヒデが補足説明。

国賠訴訟-米軍・日本政府による人権侵害を許さない(6月30日)

いざ!国賠訴訟へ

①米軍・日本政府による人権侵害を許さない

日時・場所:16年6月30日(木)15時から那覇地裁

事前集会:14時から地裁前の城岳公園にて

◎カヌーメンバーの仲間が16年4月1日、辺野古崎で刑特法違反で軍警備員に不当拘束された。

しかし米軍基地の中で8時間も徒に米軍警察の管理下に置かれたままだった。司法警察官である海保も県警も「知らぬ、存ぜぬ」と、処分を放置。弁護士からの問い合わせをも黙殺。沖縄防衛局も逃げ回った。

 日本国憲法は適正手続きを定め、無闇と逮捕拘留されないように定めている。刑特法すら、米軍が拘束したら、直ちに日本の官憲に引き渡すことを定めている。

 今回の事案は、それが無視され8時間も米軍基地内で拘束された事案だ。海上保安庁は憲法の法定手続きの保障(31条)を侵害し、抑留・拘禁に対する保障(34条-弁護人選任権を含む)を無視した不当な拘束を強行したのだ(結果としてであれ)。

◎刑事特別法第3章第12条に「合衆国軍隊に逮捕された者の受領」の規定があり、この手続きが米軍基地内であることによって、被拘束者を国内法である刑訴法、上記の憲法からみて、違法な抑留・拘禁となり、国家賠償請求に値するものだ。

 米軍・軍警の過剰な介入をやめさせるためにも、日本の海上保安庁、警察が米軍に下手に出なければならないかの現状を改めさせるためにも、この国賠訴訟を闘おう。

 

 ヘリ基地反対協議会からの文章をヤマヒデが補足説明。

今日のヤマヒデ(16年6月28日)

 2016年6月も終わりそう。7月へ。既に夏休みを如何するのときかれていますが、悲しいかな、何も楽しい予定ナシ。それどころじゃありません。

 今日は辺野古を休み、幾つかのお仕事を。ブログをあげる。6月19日の県民大会の原稿依頼に答えないとならないし。問い合わせを調べて回答しないとならない。金にならないことばかり。図書館に返却にいかなければならないし。

 夏の取材の企画も準備しないとならないし。7月はまたもや不在日が増えます。カネ・カネ・カネと言いたくないが、先立つものがなければ、何もできない。だから8月も東京に出稼ぎに。いやどこでも行きますよ。「和解」の間に出稼ぎへ。今日はその出稼ぎ企画を立てまする。

 

首里から糸満へ(過去と現在をまたぐ旅)

2016年6月22日。晴れ。今回の中南部の旅の核心部を行く。モノレール首里駅から糸満の宿まで一気に歩く。20キロ余り。初めてのコースだからやや不安もあるが、大丈夫。

8時20分スタート。先ずは首里城へ。

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外壁をめぐりながら、那覇の町を見下ろす。71年前の沖縄戦で町のお城のすべてを失ったのだから、人間の復興力は凄いものだ。8時37分。

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この壁も門も95年に復元されたものだ。連合軍+大日本帝国に壊され、日本政府が復元したのだが、形を復元しても琉球文化の心を壊したままではないのか。8時46分。

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修学旅行生がずんずん中に入る。8時50分。

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1522年の尚真王の時代の碑(復元) 「眞珠湊石門」(まだまみなといしもん)

私は全く知らなかったが、この時代日本の倭冠に対抗する勢力を結集して琉球を守ろうとしたらしい。8時56分

 

71年前、城址があり、第32軍の総司令部が地下壕の中にあった。しかし連合軍の猛攻はすさまじかった。「艦砲ぬ喰えにくさ!」と言われるほどの爆撃を受け、形あるものは壊され、生き物達も殺された。

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城址の南側の森。戦災で木も破壊されたが、再生されてきた。8時59分。

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旧城址をぬけると、今日の予定地の自衛隊のレーダーが見えた。遠い。9時10分。

南へ進路を取る。しかし、道が分かりにくい。くだりで、那覇に向かわないように注意。

道を探していると、旧道(石畳の道)を発見した。9時42分。これでいけるぞ!

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暗いけれど、糸満への先が見えた。9時42分。

琉球のお城もやはり庶民を従えることが意識されており、高台にあり、その道が今の自分の進路を拓いてくれたので、妙に感慨深い。

南部医療センターのある親川の交差点に出た。ここから南風原(はえばる)町だ。

道にこんな看板があちこちに。嬉しくなって、元気が出る。ご苦労さまだと思う。

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10時47分通過。まっすぐ南へ。南風原の役場を右手に見て進む。

黄金森公園を左に迂回。すると南風原町平和の礎があった。4400名が亡くなっていると。1村で4400名が亡くなったのだ。首里から糸満に逃げる途中の地域だけに被害が大きかったのだろう。哀れ。

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11時23分撮影。

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南風原平和の礎。周囲に刻名されている。

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字ごとにお名前が刻まれている。

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左奥が南風原町役場。11時28分。

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南風原の陸軍病院があった森。12時19分。まだ今日の旅程の3分の1も来ていない。

水曜日は南風原文化センターなど休館日。

雨が降り始め、しばし高速の下で雨宿り。

屋宜原をぬけ、東風平(こちんだ)へ。13時過ぎ。一休み。しかしここからが大変だった。道がつけ換わり、全く地図と違っていたのだ。前に2、300メートル進むのに、1時間以上かかった。ここでの道標は本日めざすレーダーの方向。

コンビニの駐車場で休んでいると友人のOさんと出会う。道を教えていただく。涼んでほっとして。14時過ぎにやっと東風平を抜ける。右へ、坂を上っていく。高良、与座へと進む。

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航空自衛隊基地のアンテナ。第56警戒群。近くには陸自の第4高射中隊もある。16時17分。

更に登っていくと。

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与座の丘の天辺に、最新鋭のガムラレーダー(FPS-5)が在る。ステルス戦闘機、空対地ミサイル、巡航ミサイルなどを発見し、撃破するレーダー。撃破は別途ミサイルが準備されている。

ここは今でも戦争に備える最前線なのだ。暑さが身にしみる。16時57分撮影。

ここから宿まで80分以上かかる。やや遠回りかもしれないが、知っている道を選ぶ。ひたすら歩く。平和祈念公園を通って、宿に到着したのは18時45分。やれやれ。

 疲れたが、沖縄戦の避難を思えばなんてこともない。銃撃される心配はないし、水も食べ物もあるのだから。いざとなればヘルプを請うこともできるのだから。

明日は慰霊の日。










2016年6月27日 (月)

オスプレイの通り道にて(16年6月21日午後)

 2016年6月21日晴れ。久しぶりにうるま市から90番に乗り、嘉数バス停に到着。嘉数高台公園に向かう。23日を前に京都の塔へ。

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。この塔は珍しく大東亜戦争史観にあらず。沖縄に迷惑をかけたことを詫びている。

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公園から普天間基地を眺める。オスプレイが並ぶ。

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きた!オスプレイだ。2機編隊の一機。14時59分。

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機体を追えば、前田高地が目に入る。71年前の激戦地がひっそりとそこにある。

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こちらは普天間西端の対空レーダー。回っている。15時2分。民家が近い。

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今度は対地攻撃ヘリAH-1。15時6分。

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15時25分。オスプレイ着陸。ヘリモード。

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降りるぞ。熱流が見える。真下は200度以上になっている。

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15時27分。降りて駐機場に向かう。15時27分。

視線を西に向ければ。低空を飛ぶ民間機。嘉手納空路に阻まれて、民間機は那覇空港に向かって低空を飛ぶ、飛ばされる。15時27分。

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ふたたぶオスプレイ。15時51分。

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15時52分。真上だ。

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16時28分。上空を対地攻撃ヘリが飛ぶ。

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オスプレイの羽が並ぶ。16時56分。

ここではオスプレイを観たくなくても見れるのだ。






『お笑い米軍基地12-2016基地を笑え!』を見たもんね、ね

 私は2014年の『お笑い米軍基地』を観ており、当ブログにも感想を書いた。そしたらびっくり、「お笑い米軍基地批判」で多くの検索がかかってきた。お断りしておきますが、私は『お笑い米軍基地批判』など書いていません。この違いぐらい分かるよね。

 今回の『お笑い米軍基地12』は突っ込みどころ満載で、はち切れんばかり。冒頭の挨拶にもあったけれど、あの事件(16年4月28日)に直面して大幅に脚本を書き直したそうです。そりゃそうですよね。もっとシビアに、もっとシニカルに、なるしかない。分かりますよ、その気持ち。皆さんの怒り・涙・笑いは今回頂点に達したかの感じがしました。笑っちまうしかないけれど、笑っていられないし、芸人の皆さんも悔しさが、溢れかえっていた。

 最初の出し物は、ゲート前。定番でしょうね。座り込む人たちと機動隊。そしたら警官が元恋人と再会して。えらいことに。米軍は出て行けと。ウチナーアイデンティ満載で、分かりやすいが、私なんか、笑いながら引きつってくる。

 沖縄に何で米軍基地が集中するの?、沖縄では誰もウエルカム何て言っていないのに。

 今回の最高傑作は、「視力検査」でしょうね。右、左、上、下というやつ。何処まで見えるの? しかし途中でなんだかへんだ。○○車、○○新報・××タイムス、などの写真が出てくる。もちろん、百田さんとかも。ちゃんと落ちもあるのだ。

 しまじりあいこさんや、あべしんぞうさんは、でずっぱり(でもないか)な感じ、出ている。さすが芸人さん。

 こんなものもありました。『オリンピック』。開催年までに普天間基地が返還されず、結果、米国人選手が独走する。他国の選手は基地の中に入れないから。いくら走り幅跳びしても、砲丸投げしても、基地の中に転がったら、測ってもらえない。そこは米国の領土。そのものズバリ。日米地位協定の本性が如実に表現されている。ばかばかしいのだが、これが沖縄の現実ですね。

 最後は色々な対立の中でも、手を取り合って、イチャリバチョーデー。フザケンナ、バカヤローにしない、希望を垣間見たいのだと。

 芸人さんの芸に感謝感激でした。企画・脚本・演出のまーちゃん(小波津正光)、ありがとう。がんの病と治療を克服してきた彼。これからも、チバリョー! 

 でもこうした企画ができるのは、沖縄だから。スタッフも演者もよーく勘所を分かっていなければ、まるで不可能な企画。自分の来年に向けた課題はウチナーグチをもっと分かりましょうね。

 来年までに基地がなくなればこの番組は不要になるのだが。

 因みに私が見たのは、16年6月25日の名護市民会館大ホールにて。座席は一杯でした。

2016年6月26日 (日)

ホワイトビーチと平安座島(へんざじま)(16年6月21日午前)

 16年6月21日午前は勝連半島先端にあるホワイトビーチへ。日米軍の海軍基地。因みにここが重要なのは、①沖縄の、大型船が停泊可能な軍用港であり、強襲揚陸艦等が随時入港してくる。海兵隊の海外演習、侵略の軍事拠点、②2011年頃から海上自衛隊の艦船の入港が増えた。東シナ海、南シナ海での対中国の情報収集、警戒軍事作戦の中継拠点となっている。

 そういうわけで、新基地建設反対の視点とも重なる重要な基地のひとつ。ひさしぶりに行ってみたのだが、大ハズレ。

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小型の舟が入る岸壁に米軍掃海艇が1隻。

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こちらは海上自衛隊のタグボート(右)等。メインの岸壁には海自の掃海艇1隻と小型の燃料補給艦(米軍チャーター船?)、がいただけ。

 ここにいないのはいいことかといえば、そうも言えない。海の彼方の私たちが知りようもないところで軍事作戦中かもしれないからだ。

○6月23日以降に大物が入港したらしい。新鋭の強襲揚陸艦のグリーンベイなど。

 このあと、私はⅠさんのご案内で、平安座島に向かった。沖縄の70年代後半に起こったCTS建設阻止の闘いが潰されてできてしまったのだ。今回私ははじめて行った。

勝連半島の北側から海中道路が延びている。

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巨大なタンクが立ち並ぶ。

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沖縄石油基地の正面ゲート。

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見えるだけでもいくつあるのか。

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フェンス越しに撮る。

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宮城島にある島マース(製塩工場、展示販売所)の建物越しにもずらっと並んでいる。2万5000分の1の地形図によれば、大型のタンクだけで約60基。

因みに製塩の為の取水は太平洋側から採っているのだが、いささか不安。

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宮城島の高台。絶景が広がる。

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宮城島宮城の小さな湾から太平洋。






今日も行きますぞ

 漸くブログを再開。消耗している場合じゃないのだ。先ずは参院選オール沖縄候補を勝たせる。全国でも反改憲派の確実なる勝利を。ここが歴史の分かれ目です。

 今日も辺野古テントでお会いしましょう。ご来場をお待ちしています。

ゴスペルを歌う会へ(16年6月20日)

2016年6月20日~24日の日程で、中南部への旅に出た。準備不足が重なり、余り思わしい結果にならなかったが、順次揚げていきたい。

 6月20日、予定は未定とはよくいうが、地を行く自分。まず向かったのは宜野湾市上原にある佐喜眞美術館。久しぶりに行ったのだった。すっかり廊下側の展示が変わっていた。びっくりしつつも新鮮。特別展はジョルジュ・ルオー。一見単純な構図の宗教画なのだが、微妙な表現の違いで、イメージがまるで違う。こういうのをプロというのだ。沖縄戦の図は、6月の展示で、丸木さんの「沖縄戦の図」関係の作品が普段よりも多く並んでいた。

 丁度、館長による解説が始まったので、私も拝聴した。大きな絵を部分ごとに画家が描いた意味を読み解いてくれた。大きな一枚の絵がどうやって描かれていったのかを考えることにもなった。

 夕方の普天間基地野嵩(のだけ)ゲートのゴスペルを歌う会の場でⅠさんと合流することになった。私はやや早めに到着したが、主催者の皆さんは準備中だった。まだカメラを出す前にオスプレイがうなりをあげて3機着陸。

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こちらはCH-53。2機続けて着陸。17時45分撮影。

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野嵩ゲートの歩道で始める。今日は189回目だと。18時1分。

ゴスペルを歌う会は、オスプレイの導入に反対し、普天間基地の撤去を願う有志の会。教会の方々が呼びかけた。

今日の参加者は約30名。

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基地の内側を向いて歌う。

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車道の反対側の歩道から撮影。残照が美しい。18時19分。

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歌の途中で今日のお祈りを捧げる。

その場で指名されて、お話ができるのだから、たいしたものだ。ご覧の通り、これは演説にあらず。自分の神への言葉であり、参加者一同の思いに話が届くのがツボだろう。

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ゴスペルを歌う会の歌姫。声が届く。うまい。

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彼女は歌(声)と身体がぴたっと一致しており、要するに身体で声を出しているので、撮影は容易。撮影者の自分も嬉しくなる。

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電気オルガンの伴走がつく。背後に軍のパトカーが出て行く。18時49分。

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皆さんが歌う。ひとりひとりが平和でありたいとの思いを歌にする。教派を超えて、地域を越えて集まっている。6月19日の県民大会に参加した東京のメンバーも伴に歌っていた。

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今日の最後に思い思いのやり方でお祈りを捧げる。言葉は違うのだが、思いは一緒。

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沖縄のゴスペルを歌う会は毎週月曜日18時から19時。普天間基地野嵩ゲート前。











 

2016年6月25日 (土)

暑いときの対処法

 去る6月20日~24日、暑い中を出かけてきた。特に22日、23日は歩いた、歩いた。詳報はあとでだが、暑くても体力と気力がピタリと一致していれば、問題ない。

 ただし適度に水分、塩分、糖分を摂ること。食事を欠かさないこと。肌を焼かないように気をつけること。肌を焼くと、痛いばかりでなく、熱が体内に篭って体力を消耗する。また余り冷たいものを食べすぎないこと。これは胃腸を冷やしすぎると体力そのものが低下するからだ。

 今回の新発見は、りんごのアイスバー。これが美味しかった。りんご味の氷なのだが、うまい! 

 基本は風通しがよくて、熱射を防いでくれる日陰(木陰が最高)のある道をできる限り歩こう。ただ夏の沖縄はこれが少ない。木陰を求めて歩くとやたらと道を右左に横断することになる。暑さで感覚が鈍っていると通過する車両への警戒を怠りがちになる。要注意。左右をしっかりとみて安全を確認して欲しい。

 沖縄の人たちは歩かないからな。

 21日の夜にお会いしたある修学旅行の高校生たち。24日に辺野古で再会したら随分日焼けしていた。先生の顔も焼けていた。徐々に焼いてくださいね。

 今朝の私はベランダにバケツで水遣りをしてみた。少しは違うかな。

写真等のご依頼について

 私が不在中にメールとファックスで、沖縄の展示をしたいのだがとの依頼が入っていました。可能な限り、ご要望に応じたいのですが、以下の点について明記したうえでご連絡ください。よろしく御願いいたします。ブログのメールアドレス宛にいただけると助かります。

①主催団体と責任者のお名前と連絡先

②企画の名称、趣旨と主な展示内容(案)

③会期と会場(掲示面積)

④ご希望の写真について、枚数、大きさ等

○ご相談は少なくとも2ヶ月前までにお願います。

○データでの貸し出し基本料金は1点1万円です。趣旨によっては割引もしますが、無料での貸し出しはお受けできません。ご理解ください。

2016年6月24日 (金)

オリイオオコウモリを続けて観た

 今日2016年6月24日、糸満から辺野古経由で帰宅。疲れた。暑かったし、沖縄はこれだけがんばっているのに、「日本」はマールでダメらしい(参議院選挙予想)、とくれば疲れます。

 そんなわけで(まだ新聞を読んでいないし)、別のテーマをひとつ。私が住んでいるエリアで今日は4頭のオオコウモリを観ました。20時ころ。歩道を歩いていたら、頭上から叫び声が聞こえる。「キ、キー」とか。何だと見上げれば、頭上に1頭の姿が。逆さに木にぶらさがっている。ヨーク観ていると、オオコウモリの仲間。オリイオオコウモリ。近くにもう一頭が飛んでいた。

 そしてわが住処の森でも、怪しい音がバキバキ。こちらは即見つからなかったが、木陰から姿が。やはりさかさま。同じらしい。此方も2頭いました。

 次回必ず撮影してみます。お楽しみに。

2016年6月20日 (月)

これから沖縄島中南部を歩いてきます

 昨日の大会はきつかった。暑いとかはたいしたことじゃないが、現実の重み、歴史の重み。今ここで言葉を発している人達の涙。「彼女は私だったかもしれない」。「命尊厳、もう奪わせない」(沖縄タイムス16年6月19日)の覚悟も問われている。問題の多様さ。超党派の取り組みの難しさ。

 自分も汗と涙でぐしょぐしょだった。玉城愛さんの発言を聞きながら、カメラを投げ出し、バカヤロ-と怒鳴り倒れそうだった。思いとどまりましたが。一番辛かったのはやはりお父さんのメッセージ。もし私がお父さんの立場に立たされたら、こんな発言はできないだろうと思う。私には娘はいないが、姪がいる。

 沖縄の怖さを無視して、平気で基地を戦争準備を押し付け続ける政治。これをやめさせなければならぬ。

 何故沖縄と日本は手を結べないのか。日本が沖縄を併合し、日米政府が切り離し、またくっつけたのだ。平和憲法の存在の耐えられない軽さ。

 昨日の東京・国会前は1万人だとか。人数の前に、連帯の絆がまだまだなようだ。翁長知事の発言が流れたようだが、どう受け止められたのか? 伊達や酔狂で言っているんじゃないと受け止めているのか。

 今の「和解」の時機に沖縄に来て、観て、体験して、身体に刻んで考えて。相当の努力をしなければ、私達「日本人」はこの痛み、この溝を感知できない。だからこそ、勇気を振り絞ってがんばろう。絶対に「頑張って」などと言うな。

 今日から24日かけて沖縄島中南部を歩く。現在から過去へ、過去から現在へ、未来への希望を探りたい。7月には伊江島、宮古・石垣・与那国にも出向く予定だ。

 8月18日から21日に、再び東京で報告会をもちたい。全国にも出かけたい。詳細を6月中に明らかにします。ご協力を願います。

16年6月19日県民大会 追悼の中で怒りがこみ上げた

 2016年6月19日 晴れ。開会前から奥武山陸上競技場周辺は大会参加者で一杯になった。「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」が辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議の主催で行なわれた。

 開会の冒頭は古謝美佐子さんの歌「童神」(わらびがみ)。追悼の思いをこめて、しんみりと歌い上げた。

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歌い終わった直後の様子。壇上の人人の顔にも注目。

そして黙祷。

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哀悼を表す意味で黒をつけた人が多かった。

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壇上の上でも黙祷を捧げる。

発言の冒頭に、命を奪われた女性のお父様からのメッセージが寄せられた。「何故娘は殺されなければならなかったのか。次の被害者をださないためにも全基地撤去、新基地建設断念は県民がひとつになれば可能だ」と。

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言葉をかみ締めながらメッセージを読み上げる高里鈴代さん。

主催者の共同代表が挨拶。

稲嶺進さん(名護市長)。71年前の沖縄戦の日々を想起し、それから71年間変わることなく県民の人権が無視され多くの犠牲が押し付けられてきた実態が今回もまた現れてしまった。行政の場にある者、政治の場にある者、多くの県民がまたひとつの命を守れなかった。無力感に囚われずに2度とこのような事件をおこさないことを誓い行動を起こし、心ひとつに頑張っていきたい。

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稲嶺さんも言葉を手繰り寄せるように話していた。

同じく呉屋守将さん(金秀グループ会長)は「私は追悼集会でどういう挨拶をしたらいいのか、あまりの惨さに気力を振り絞ることができるのかと悩んでいた」と切り出した。「事件を防げなかった一人として深い悲しみと、たぎる熱い怒り、そして重い自責の念を覚えずにはいられない」として安倍首相の責任に言及しながら、決して屈せずに一緒にがんばろうと結ばれた。

高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)は、長年の婦人相談員の経験に裏打ちされているだけに重い。ベトナム戦争時の被害者のことを話しながら「ベトナム戦争だから、復帰前だから」例外ではなく今も起こっている、「『もう2度と』という思いをどのように表し行動したらいいのか」と訴え、声をあげることのできない女性の声をしっかりと耳を澄まして聴き、新基地建設や海兵隊の駐留をこれ以上認めないようにがんばろう。

玉城愛さん(シールズ琉球)は、単刀直入に言葉をつないだ。「安倍晋三さん、本土にお住まいの皆さん、今回の事件の『第2の加害者』は誰か。あなたたちだ」と。「もう絶対に繰返さない。人間の生きる時間の価値、命には深くて誇るべき価値があるのだという沖縄の精神を声高々とあげていこう」。

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愛さんは声を振り絞って話した。

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愛さんの話を聞き入る翁長知事(左)と照屋寛徳衆議院議員。

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話し終わって汗を吹く愛さん。

若い世代からのメッセージ「変わらない過去 変えていこう未来」。シールズ琉球の4名が代わる代わるに話した。元山仁士郎さん、真鍋詩苑さん、小波津義嵩さん、平良美乃さんだ。一人ひとりが誠実に生きたいとの思いを短い言葉にこめていた。

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小波津君と平良さん。

そして翁長雄志沖縄県知事が挨拶。

知事も一人の命を守れなかったと謝罪を込めて、沖縄の叫びが聞こえないふりをする日米政府に対し「私たちは心をひとつにして、強い意志と誇りをもってこの壁を突き崩していかなければならない」と県民に呼びかけ、ウチナーグチで締めた。「グスーヨー、マケテーナイビランドー ワッター ウチナーンチュヌ、クワッウマガ、マムティイチャビラ、チバラナーヤサイ」(負けてはならないぞ。ウチナーンチュは子や孫を守るため、がんばろう)。

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鎮魂の中での迫力に多くの聴衆は感じ入っただろう。

決議文の提案を確認。①日米政府は、遺族、県民に改めて謝罪し完全な補償を行なえ、②在沖海兵隊の撤退と米軍基地の大幅な整理縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去、③日米地位協定の抜本的改定(要旨)

カンパの呼びかけ。

そしてメッセージボードを掲げた。

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「海兵隊は撤退を」と「怒りは限界を超えた」

閉会は海勢頭豊さんらの「月桃」に平和への思いを籠めた。

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登壇者も声を合わせる。少し表情が和む。

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沖縄戦を越えて、「変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏」

2016年6月19日 この日を新たなステップとして頑張りをしていこう。

私自身、この日の汗と涙の中から行動していきたい。



















2016年6月19日 (日)

沖縄の県民大会を見る視点-高校野球予選会場との関連で

 2016年6月19日、「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催:オール沖縄会議)が那覇市奥武山公園陸上競技場(周辺)で何の混乱もなく65000人(主催者発表)が集まり無事に開催された。

 その内容については後にして私が特筆しておきたいことがある。今回の県民大会は確かに超党派にならなかった。蛮行を糾弾し、2度と同様な事件を見たくないから、その原因となる海兵隊の撤退を掲げ、米軍をのさばらしておく地位協定の抜本的改訂を求めたことに対して、自公維新は同意できす、不参加を決めたからだ。確かに残念至極。だがもはや(95年10月21日の大会を想起せよ)沖縄の人人は同じ過ちを繰返したくないのだ。6月5日の県議選があり、7月10日の参議院選挙もあり、嫌でも政治対立を喚起してしまう状況のなかであっても、一刻の猶予は私たちにないのだ。

 私は主催者が5万人を目指すとしたことに、いささか控えめな数字だと思った。同時に充分にいける数字だとも思った。結果はご覧の通り会場を満杯にした。

 こうした中で自民党沖縄県連は分断工作を図ったのだ。6月9日、甲子園を目指す球児たちの夢を壊すな、セルラースタジアムを高校野球の予選会場に使うために日時場所を変更せよと。沖縄の高校野球といえば、沖縄の中では、マジョリティがファンであり、沖縄の高校野球(学校)を応援しているだろう。そこに目をつけたのだ。

 しかし今回沖縄の高校野球連盟から、問題が問題だからセルラースタジアムもお使いくださいと譲ってくださったのだ。そこに割り込んで、自民党沖縄県連にならって、石垣市議会、うるま市議会、豊見城市議会が県民大会の会場変更を求める決議を行なったのだ。

○うるま市議会決議

http://www.city.uruma.lg.jp/userfiles/U080/files/ikennsyo2%284%29.pdf

笑っちゃうのは、石垣市議会だ。石垣市内の高校が出る予選は6月18日なのに、勘違いして、19日だと思い込んで、意見書を決議。議会事務局が赤恥を掻いたのだ(提出できず)。焦って墓穴を掘るとは。

 考えてもみてほしい。「(殺された)彼女が私だったら」と。高校野球の選手達は男の子だ。しかし応援団は女子も少なくない。若き男女(若くない人も)が熱くなるのが高校野球であり、だからこそ、こんな事件を許せないと考えた沖縄の高校野球連盟はまっとうだ。

 自民党や保守勢力は余りにも無様じゃないか。

 こうした分断策を乗越えた本日の結集だったのだ。沖縄の世論は確実に変わってきたのだ。

朝方の街宣カーから聞こえてきた―島尻安伊子さんの「現実」って

 昨日からドジばっかり。昨日土曜だと気付かずにお金を下ろせなかった。おかげさまで、今日6月19日は辺野古経由で行く予定を急遽変更。お金を下ろして買い物して出かけることに。やや時間のゆとりができた。名護市街を歩いていたら島尻安伊子さんの街宣車が通った。『台所から政治を変える』と書いてあるのだが、耳に残ったのは、こうだ。『島尻安伊子は、現実を受け止めます』だと。何の現実なのかにさっぱり触れず、こんなこと言われても困るでしょ。

 彼女のブログを見るとまだ仲井真県政時代に書いた政策のままだ(07年)。古い政策のままなのだが、この間に大分現実が変わったね。新基地建設の問題はいうまでもなく、国と県が真っ向から対立のさ中だし、TPPも政府が受け入れへ。

 現実を次々と容認しながら、其れを正当化していく政治。この何処から『台所から政治を変える』ことができるのか。こうきいて、私が思い出すのは国防婦人会のことだ。割烹着を着て、戦争にまい進した女性団体だ。翻って今、若き女性が元海兵隊員に殺されても格好だけの抗議のみ。こうした現実を重く受け止めるならば、たとえオール沖縄主催の集会でも参加すべきではなかったか。いやそれはできないならば、明確にこうしますと打ち出せよ。いやいや、安伊子さんは、こうした現実も受け入れるのか?

 言葉遊びで沖縄の政治を弄ぶな。もっとはっきりしなさいよ。台所から戦場へが本音ならば、選挙の中でもはっきりそう言えば。

 沖縄中に軍事基地をつくりながら、先島に基地を推進し、宮古では住民の水がめさえ壊してはばからない自民党政治。しかし沖縄の政治はこんな戦争政治を認めない。沖縄の歴史を紐解けば明確だろう。先輩達にうかがえば、「あー恐ろしい日本の国は」と語られるだろう。

女たちの戦争と平和資料館に行ってきた(16年6月東京③)

 去る16年6月10日14時~16時過ぎまで、東京都新宿区西早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」に行って来た。ここに私が行ったのは沖縄に移り住んでから2回目か。今回は、去る4月の事件に対して沖縄タイムスの取材に応じてくださった池田恵理子館長を尋ねることにあった。

 14時丁度に到着。職員、ボランティアの方々は忙しそうだった。新たな年間展示の準備中なのだ。池田館長に先日の沖縄タイムスへの寄稿(電話取材を記者がまとめた)に感謝申し上げた。池田さんは「特別なことは言っていません」と謙遜していたが、東京に居て、ぱっと言える含蓄は普段の活動のなせる業であり、沖縄への思いは、以前からの特に沖縄展(12年から13年)の際の調査・交流等の行いのなせる業だろう。短い文にも温かみを感じた次第。

 その後の捜査のことや追悼の取り組み、海兵隊撤去決議などの経緯等をお話した。自分としてもあの95年9月4日の事件に大きく揺さぶられて沖縄に本気で関わることになりながら、このような事件に直面したことは、痛恨な思いであるとお伝えした。特に今回の未来を断ち切られた女性はあの事件の後に生まれたのだろうと思うと、何ともいえぬ。

 米兵の事件を考える際に、私たちは日本軍の性暴力事件とも重ね合わせて考える必要があると改めて考えており、この資料館のさらなる発展にも協力していきたいとお話した。最も自分にできることは会費を払うことぐらいだが。

 丁度今開催中の「インドネシア 日本軍占領下の性暴力」を見た。館長から展示の概要をお話しいただき、その後に逐一見ていった。あの島嶼からなる島々に日本軍はあちこちに慰安所をつくり、地元の、オランダの、朝鮮からの女性たちを騙して連れて行き、犯しまくっていた様がよくわかる。特に対照的なのは、女性たちと兵隊の記録の落差。兵隊は当たり前の感触で戦記等に記録しているのだ。

 全く兵隊とは、男とは、と思うと、力がぬける。この後、何とか武蔵小金井の講演の会場にたどり着きました。

 私は「軍隊は女性を守らない-沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」(1800円)を買って来た。

 同資料館については、http://wam-peace.org/

 皆さんにもお勧めの資料館です。問い合わせは上記を参照。

2016年6月19日 「彼女は私だったかもしれない」

 2016年6月19日の朝を迎えました。今朝の沖縄タイムスは通常の紙面に「彼女は私だったかもしれない」の特別版を重ねています。これは人人の顔がずらっと並び、裏面に事件事故の一覧が並びます。ふー、ぅ。

 「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催:オール沖縄会議)が那覇市の奥武山公園陸上競技場をメーン会場にして本日19日14時から開催されます。

 「彼女は私だったかもしれない」という想像力が問われているのです。あの事件は元海兵隊員がレイプする相手を車で物色していたのです。殺して捨てることも想定して準備していたのです。

 これまでにレイプされた被害者の多くは告発するエネルギーさえ奪われて沈黙している人が多いことでしょう。今回の事件は遺体遺棄事件から発覚した異例なものでした。行方不明から懸命な捜査が始まり、遺棄事件になり、真相に近づくという経緯。米兵がらみの事件はなかなか真相に至らないことが多いのですが、容疑者が軍属であり、捜査が及びやすかったことが真相に近づけたのです。

 これも日米地位協定によって、米軍・米兵等の地位と行動を保障しており、「俺達の天下だ」との間違った認識を与えているのです。沖縄からの海兵隊の撤退や日米地位協定の抜本的改訂は最低限の要求です。

 今日の私は辺野古経由で会場に向かいます。暑さが厳しいと思いますが、皆さん頑張りましょう。私も精一杯の力をこめて撮影します。

 また沖縄以外の方もそれぞれの地域で取り組みがあるようです。事件を思い起こし、沖縄を忘れずに、私たちの未来を切り開きましょう。頑張りましょう。

係争委員会、適否判断せずか

 16年6月17日、総務省の国地方係争処理委員会は翁長知事の埋め立て承認取り消し処分に対する石井啓一国土交通大臣の是正指示が地方自治法の規定に適法かいなかの判断をしない結論をまとめたと。

 まさかの結果だな。詳細は明らかでないので、何ともいえないが、係争委員会は地方自治法・公有水面埋立法と安保条約の狭間で、判断し切れなかったのではないか。国の軍事化を総務省傘下の係争委員会の学者達は是と出したくなかったのだろう。それとももっと陰謀的なのだろうか。

 いずれにしてももう少し時間がかかる。だからこそ私たちは参議院選挙で勝ちたい。沖縄で圧勝し、全国でも改憲勢力に3分の2を取らせない。総頑張りが大切だ。

 沖縄の闘いは、勝つまで諦めないのだ。

生きものたちの世界を守りたい(16年6月18日)

2016年6月18日 晴れ 暑い。

 今日は辺野古の座り込みの「4444」日め。2004年4月19日以来。参加されてきた皆さんの頑張りに感謝。

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何の変哲もない写真だが、今朝はこれからだよ。毎日毎日の積み重ねがここまできたのだし、04年、05年の海の闘いがあったからこそ、沖合い案を潰せたのだ。名もない人達の地道な闘いがここまで押し上げてきたのだ。ありがとう。

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東京から大きな寄せ書きをいただきました。青空の下に映える赤い旗。寄せ書きは地味なのだが、お一人お一人の思いが篭っていると、嬉しいものです。

今日は6月19日の前日なので、大勢の方々がお出でだと思ってました。ありがとうございました。私の友人、知人、3名が続々登場。懐かしい顔と再会でき、思いがつながっていたかと思うと、お力をいただけます。

 テントの中でも「ヤマヒデさんのお友達?」てなると、私がテントの外で、沖縄の外でつながりをつくってきたことが認識されるので、私の存在も多少役立っているのだと思われるのですよ。友人・知人の皆様の来訪をお待ちしています。

10時40分ぐらいから潮が引いた辺野古川河口最先端まで行きました。生きものたちを撮る為に。

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ミナミコメツキガニ。たくさんいます。

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どうですか。黒の点がミナミコメツキガニです。10時49分

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足元の穴に魚がいた。ぎょろっとしていた。出てこないかなと粘ったが、こちらが根負け。マクロレンズ使用。

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11時。再び目を沖合いに向ける。ちょいときれいに撮れました。

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11時3分。足元に居る彼ら。

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11時10分。

暑くなってきたので戻ります。テント間際30mぐらいか。足元を注視すると小粒のカニがたくさんいる。リュウキュウコメツキガニ。甲長3~5ミリ。

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2個体います。見えますか?

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11時18分。殆ど同じ色。拡大してみてください。

テントに戻ったら2人目の友人が。懐かしい。私が2005年、09年に辺野古写真展をやったころ、協力してくれた彼です。

15時過ぎに地元の大学の40数名が来訪。賑わいました。このなかに、3番目の友人が。8月の東京で私の報告会を準備しますといってくださいました。本当にありがたいです。

生きものたちの世界を壊されたくないのです。生きものたちの世界を戦争の拠点にしないでください。










2016年6月18日 (土)

あのねぇ!(16年6月17日)

2016年6月17日晴れ。夏です

今日は金曜日で海上行動はなし。監視船は出ていました。

静か。来訪者はぼちぼち。

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河口では今日もクロサギが魚を取っています。8時45分。

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8時51分。いつもこんなだと嬉しいのだが。

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辺野古川河口。少しづつ満ちてきた。13時39分。

来訪者との対話。本当に基地建設をとめられるんですか? -止めるのです。

だって沖縄の人もお金で買収されてしまうかも。知事を孤立させないで。-知事を生み出したのは沖縄の県民です。現場の闘いからです。県民主体です。

 私は思うのだが、この参院選が日本の今後を決めてしまうよ。沖縄のことを心配していただくのは、けっこうだが、皆さんの責任があるでしょう。沖縄を不信に思うのではなく、共に全力でがんばろうよ。

 こういう会話になると、私はがっくりきます。彼が善意で言っているのは分かるのだが、ちょっとね。

 シュワブ演習場の久志の側に行ってみました。

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ゲートの奥は裸地。草木が生えていない。ここも枯葉剤がまかれたのかもしれません。14時30分。

テントにもっどったら日本山妙法寺の皆さんが行脚にきていらした。で、オスプレイが登場。

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15時12分。シュワブの森の奥から。

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テントの奥を飛ぶ。2機でした。ヘリモード。15時13分。

16時ごろバイクで30代から40代ぐらいの那覇の男性が来た。こちらは撤収支度が終わったところ。2.3分いいですか? と言われれば、耳を傾けます。

 彼は政治勢力がまとまれば、なんたらといっていて、趣旨不明。何が言いたいのか戸惑いましたが、どうも今の安倍政権に不信を抱いているよう。如何すればいいのか悩んでいる。だが妙に一知半解な理屈で考えたいらしい。

 それぞれの現場から闘いましょうよと、そこからですと話した。少し観て帰りますと。彼が何かひらめいて帰ったらいいです。色々な人が居るのだ。当然だけど。








6月19日は、ここです

 いよいよ明日です。「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」へ。

 16年6月19日 開場12時 開会14時 閉会15時 雨天決行

 奥武山陸上競技場(モノレール 壷川駅下車徒歩5分) 

主催:辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議

問い合わせ:098(869)4312

 

○大変残念なことに今回の大会は、超党派にはならなかった。自公が今回の事件の重さを直視せず、「口先だけの遺憾」をくりかえしている。「綱紀粛清」では何も解決してこなかったことをまるで理解していないからだ。

 日米地位協定の抜本改訂を求めることは、米軍の自由を保障する従来の関係を、日本政府が責任と権限を確保して、規制できるようにすることだ。このためには、当事者である沖縄(県知事、住民)が、日米政府に対して、主張できる態勢を創り出すことだ。個々の改善だけでは、事足りないのだ。

 今回のような事件の再発は許されない。強姦事件の再発も許されない。許さない。

 この大会では海兵隊の撤退を掲げた。事件事故の多くが海兵隊員によるものだからだ。余りにも当然だ。翁長県知事もこうした事態を受けて19日の大会に参加することを表明した。

 確かに彼の公約は、新基地建設阻止と普天間飛行場の県外移設であり、オスプレイ配備の撤回だ。しかし95年9月4日の事件から端を発した普天間の移設の話が、辺野古にきて、『負担軽減』とは名ばかりになっている間に、またもやこうした事件が起きたのだ。一体如何したらこうした事件の再発を防げると、この国は、自公は考えているのだろうか?

 沖縄の身になって考えた事があるのか? 沖縄の人人は口先だけでごまかされたりしない。お金で買収されたりしない。一人ひとりの人権は地球よりも重いのだ。無論、権力よりもお金よりも大切なのだ。

 こう考えれば、今沖縄ばかりか、日本全体がアジアが命を軽んじる方向に陥ろうとしている。一部の勢力のお金の、稼ぎのためにまた戦争を起こす態勢に転換しようとしているのだ。

 私たちは断じてノーだと声をあげるときだ。がんばろう。(ヤマヒデ)

2016年6月17日 (金)

今、Sさん追悼集会から帰ってきた

 今晩は、4月28日に惨殺されて遺棄されたS.Rさんの追悼名護市民集会に参列してきた。会場に向かう途中で、お花屋さんで献花用のお花をつくっていただいた。運よく、そこのお店は今晩の追悼集会の案内を掲示してくれていた。ありがたいことだ。

 彼女は名護生まれ、名護育ちであり、名護市内に同級生、同窓生も多い。今日の参列者には、ほぼ同世代の人たちが多数きていた。友人が、全く不本意に若くして殺されたのだから、友人達は遣る瀬無いばかりだろう。悔しいだろう。こんな不条理な死に方はないだろう。今は戦時ではない。平時だ。

 名護市屋内運動場はほぼ一杯だった。実行委員長の稲嶺進さんが言っていたが、こうした事件で亡くなる人は、最後にしたいということだ。こうした事件は、決してもう許さないということだ。

 ご両親からのメッセージもあった。まだ混乱したままだということだが、最愛の一人娘を奪われたのだ。筆舌に尽くしがたいことだろう。

 誰であっても他人の命を奪う権利はない。まして、元米兵にそんな権利は断じてない。あるはずがない。繰返すが、ここは戦場ではないのだ。ここ沖縄は米国の領土ではない。

 私も悲しみと怒りを共有すべく、集会後に献花してきた。奪われた命に対して、ささやかでも形をもって、追悼したかったのだ。

 今日いただいたピンクのリボン。彼女が好きだった色らしい。私も19日の県民大会にこれをつけて参加したい。

 

こういうのが好きーテント前でツノメガニを撮る(16年6月16日)

2016年6月16日晴れ

 今日は辺野古テントへ。海上の仲間は、案外15日の新聞記事(写真)を見ていない。辺野古テントでは、大いに話題になっていたそうだ。沖縄の米軍基地は常に対外戦争に備えているのだ。ここを分からしめるナイスな写真だと。私は、大勢のサポートがあるからこそ撮影できるのだと再認識。関係者の皆様、ありがとう。

 世田谷からいただいてきた激布(バナー)を張る。これを私は松田ぬ浜に撮影に行く。

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朝の光にグンバイヒルガオが映え、横断幕も輝いている。

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立派でしょ。これは新潟の。

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これが世田谷からいただいてきたもの。7枚いただいたが、まず1枚。

フェンスの下にヤドカリがたくさんいました。50,100。

テントに戻り、一休み。潮が引き、ミナミコメツキガニがたくさんでています。

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9時59分撮影。

テント内では次のバナー制作が始まった。

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4枚まとめて書き上げていました。

テント前の砂地にツニメガニがでてきました。暖かい。否、暑い。

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堂々としているでしょ。私は彼たちのファンです。

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巣穴から砂を掻き出していきます。ウントコショ!このあと、ぱさっと砂を投げるのだが、このタイミングを押さえるのは難しい。前触れナシだから。

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こうして砂を掻き出すのだが、1日2回やるのは大変だよ。働き者だね。

自分も炎天下下で10分ほど粘ったが、投げる瞬間の撮影は失敗。またの機会に。

私は、軍事演習を撮るよりも何十倍も幸せです。

 今日の海上行動で、軍ガードマンがカヌーの個人名を名指しで命令してきたと、K船長が怒っていました。近づいて抗議したようです。また午後にゲート前でも抗議すると。








2016年6月16日 (木)

ベトナム反戦闘争とその時代ー10.8 山崎博昭追悼展に

 16年6月9日午前、台東区内で開催されていた「ベトナム反戦闘争とその時代-10.8山崎博昭追悼」展を見てきた。以下簡単に報告する。

 私にとって山崎博昭さんは無論未知の方。1967年10月8日に機動隊との衝突の過程で亡くなっている。当事18歳。私はまだ16歳で、新浜を守る会という自然保護運動に大車輪で取り組んでいた。ベトナム反戦とか、反安保などとの接点がなかった時間のことだ。

 しかしこの事件は、時の佐藤首相が南ベトナムとの首脳会談に参加する、これを阻止しようとしたベトナム反戦闘争が大きく飛躍する大転換の契機となったのだ。

 当事の私はまさか日本で警察権力に殺される事態が起きるとは思っていなかった。一体何なんだろうと思うきっかけになったのがこの事件だ。

 だから私は彼の名前をずっと記憶していた。70年に大学に入学した後も彼の名前は忘れなかったし、今でも忘れていない。

 あれから49年が経つ。今回の展示は、当事の彼をしのぶ人たちと同時代の有志が企画したらしい。どんな展示がされているのだろうかと興味しんしんだった。

 展示は当事の資料と写真が中心だ。①67年10月8日 羽田、②10.8羽田闘争への反響、③ベトナム戦争時の日本における米軍施設、④米軍立川基地拡張反対 砂川闘争、⑤原子力空母寄港阻止佐世保闘争、⑥三里塚国際空港建設反対闘争、⑦べ平連 その他の運動、⑧68~72年の6月行動、⑨高校生の反戦闘争、⑩米軍ジェット燃料輸送車の事故とその阻止闘争、⑪王子野戦病院撤去闘争、⑫大泉市民の集いと朝霞基地闘争、⑬相模原補給廠の戦車搬出阻止闘争、⑭在日ベトナム留学生の闘い、⑮べ平連と脱走米兵支援運動、⑯ジャテックと米軍解体運動、⑰米軍基地内の反戦地下新聞、⑱自衛隊内の反戦運動、⑲岩国基地における米兵叛乱、⑳SOS運動、21沖縄全軍労の闘争、だ。

 当事の運動を振り返る展示であることは充分に理解できたし、貴重な資料が並んでいたのだろうが、やはり首を傾げたくなる。

 ①山崎君個人の思いと経緯が余りにも雑駁。②3派系全学連、べ平連、反戦米兵・反戦自衛官の闘いが、並列に並べられている。③沖縄の闘いが余りにも少なく弱く、全軍労の闘いに絞られてしまっている。④現在につながる総括的な視点がない。

 「あの時代頑張りました」になっていなかったのは、良かったが、沖縄の「返還」が全くクローズアップされておらず、沖縄の闘いの意味を伝えていない。沖縄のフォトジャーナリストの山城博明さんの写真だけが、沖縄の存在を示していた。

 ベトナム反戦を語るだけでも沖縄を抜きは、ありえなかった時代に、これだ。ということは、「ヤマトは沖縄を無視していた」ことを裏打ちするような展示会だ。残念。

 私は揶揄したいのではない。また、ないものねだりをしたいのでもない。また大勢の方々による実行委員会だから、総括ができなかったのもわからないではない。

 しかし、こうしたツケが今の沖縄に押し付けられ、今の日本全体に蔓延しているのだと自覚しなおしてほしい。いや、私達が自覚しなおさなければならない、のだ。

 当事の闘いは、まだ新左翼系内共闘はできていた。72年ごろから始まった相互の潰しあい、党派闘争の全面開花が、あの時代のすべての成果をぶっ壊していった。

お疲れお疲れ、だった

 昨晩は、お疲れお疲れで、何と22時ころ食事もせずに寝ました。そんなわけで当ブログも進まず。しかし体がダウンしてはいかんともしがたい。寝たので大丈夫ですが。

 今週は大忙しです。明日17日はあの凶悪事件に巻き込まれ殺された彼女の追悼の集いが名護市内で行なわれます。18日は保坂展人世田谷区長が浦添に来るとか。これは迎えてあげないわけに行きません。私は長年世田谷区民でしたから。19日の県民大会、20日~24日は沖縄中南部をまとめて撮影にでかけます。23日は慰霊の日であり、恒例の魂魄の塔の脇で開かれる国際反戦集会にも参加します。20日中部、21日中部、22日中部から24日南部です。総じて71年前の戦争から今日に至る経過を歩いて、辿ります。

 本日沖縄周辺は梅雨明けしましたので、しっかり暑いと思います。がんばります。

 最近米軍のヘリや飛行機があちこちで落ちています。今は頭上を戦闘機が飛んでいます。沖縄での大きな事故は大概暑い最中でおきています。これから、ご用心の季節を迎えます。間違っても住民の頭上に落ちないでくださいね。沖縄は米軍の領土じゃないから、勘違いしないように願います。

 沖縄は米軍の領土じゃないと私達が言わなければならないのは、米日政府に対してばかりでなく、日本のマスコミ、多くの日本人の皆様にも言わなければならないのです。疲れることおびただしいのです。

 自民党(沖縄県連)がおかしいのは、ここですよね(これだけじゃないが)。日米地位協定を固持しながら米軍を最優先し、沖縄の人人を「日本国民」でないかの取り扱いを変える気がないのです。

 公明党さんもすっかり「平和の党」の看板を塗り替えようとしていますが。こういうことも私たちを疲れさせているのです。

6月14日の写真の反響

 16年6月14日の辺野古のシュワブ側での米軍演習について、既報のとおりですが、沖縄タイムス、琉球新報、同電子版http://ryukyushimpo.jp/news/entry-298248.htmlから、共同通信電子版、ほかインターネット系の様々な情報欄に拡散されています。

 こうして広がるのだと初めて知りました。その分、変な人たちも読む機会が増えるわけです。「中国艦船が日本の領海に入ったことをどう思うのだ」とのコメントがついていました。

 彼らは「大日本帝国」が「日本国」が犯してきた歴史を何も知らずに、知ろうともせずに、こういい、最近の日米中の関係についても勝手に解釈しながら無知。

 私は争いごとの手段(基地・軍隊・兵器等)も種もなくしたいのです。これは何処の国であれです。

 で、米軍の演習は海外での戦争(アメリカ本国外の、沖縄・日本外の)に備えるものです。こんなことのために沖縄は米国・米軍に蹂躙され続けているのです。

 こんなコメントもありました。「わざわざ近くまで見に行って怖いも何もないだろう」と。私は取材者として演習の現場に可能な限り近くまで行きます。それと、ぞっとする、しないの問題は全く別問題。そしてここは、住民が暮らしている現場から近いのです。

 米国は1945年に沖縄を占領して、今日まで居座り続けています。それをどう思っているのか知りたいですね。

2016年6月15日 (水)

先ほど来、オスプレイがグワグワしています

今日は疲れたので、自宅仕事中。13時30分ぐらいから上空をオスプレイがグワグワしている。見えないし、却って不気味。

 昨日の上陸演習の件、今朝の地元紙の沖縄タイムス、琉球新報にでました。新報は電子版にも。辺野古テントでも話題になっているとのメールが届きました。

 今回の撮影成功の立役者は県議の具志堅徹さんです。なぜって、彼が13日にやっていたよと教えてくれたからです。それがなければ、ここまで気合が入らなかったかも。もっとも撮影時、常に気合をいれないと、いい結果を出せない。長年の軍事演習の撮影経験があるので、何処まで下がるとか、押すとか、走るとか、またフェンスを隔てていると、この網をいかに突破するかが最大の障害になります。ゆっくり撮れるときは、考えながらやれば問題ないのですが、ウワー、ウワー、ウワーみたいだと、落ち着いて考えるのが難しい。

 徹さんからも「よく撮ったと」と励ましの電話があったそうです。ありがとうございます。

 やっとオスプレイ居なくなったみたい。40分以上やっていた。

民芸館80周年「朝鮮工芸の美」を見てきた(16年東京報告①)

日本民藝館創設80周年特別展「朝鮮工芸の美」を見てきた(16年東京報告①)

今回の東京では結局2回のお座敷しかかからなかった。時間があるので、色々と勉強したいと思った。久しぶりに民芸館に寄ろうとネットで見たら、何と創設80周年だった。「朝鮮工芸の美」展(4月2日から6月12日)。つまり1936年の創設だったのだ。私はあらためてその時代を思う。中国との戦争の最中であり、いよいよ戦争一筋にひきづられる時代の中だった。

 こうした時代の中で宗悦さんらは日本民藝館を立ち上げた。感慨深いものを私は感じる。私にとって宗悦さんは、民芸運動の創造者と同時に、朝鮮文化と出会い、琉球文化と出あって、民族性を単層で掴むのではなく、多様性を重視した人なのだ。違いが分かり、だからこそ、お互いを認め合う。そんな宗悦さんを尊敬というか、畏敬しています。

 16年6月9日午前、駒場に在る日本民藝館に行って来た。ほぼ3年ぶり。今回の特別展は「朝鮮工芸の美」とあり、①柳宗悦と朝鮮、②朝鮮時代の陶磁器、③朝鮮工芸の精華、④朝鮮時代の諸工芸、⑤朝鮮時代の絵画、⑥朝鮮工芸の誘い、と題して展示。

 総じて地味なものが多いが、そこにも宗悦さんは独自な価値を見出している。朝鮮時代とは1392年から1910年だというから、相当に古いものもあるのだ。こうしたものの保存だけでも大変な苦労があるはず。私は妙に気になった。

 私は全然こうした分野に詳しくないのでお恥ずかしいのだが、戦争の時代の中で「日本主義」に染め上げられずに固有の価値を見極めようとした柳宗悦の歩みは、断然貴重だ。展示作品が地味だっただけに、王朝文化のような華やいだものと区別された民衆の文化を追求したことも伺える。

 尚、朝鮮時代とは?と思ったが、1392年から1910年だと知った。朝鮮時代は日本の朝鮮支配によって、潰されたのだ。文化・心の領域にまで土足で踏み込んだ日本帝国主義。戦後日本文化人の多くがここを反省せずにやってきた日本。ダメだよね。宗悦さんは、こうした時代の中でも文化の底に下りていって、見極めようとしたのだろう。

 因みにお連れ合いの柳(中島)兼子さんは声楽家だが、朝鮮の人たちとの橋渡し役になったことを私たちは、忘れてはならないだろう。

 

 次回の特別展は来る6月21日~8月21日、沖縄展だ。ということで、私は8月下旬にも東京に伺う。今度は事前学習をしていきたい。

 実はこの旅の過程で、私は「艦砲ぬ喰え残さー」(星雅彦詩集)を読み上げた。本書の後記の中に星さんはこう記していた。「(中略)国家主義が高揚していた昭和10年代の方言蔑視の気風の頃、日本民芸協会の柳宗悦らによって方言論争の発端になり、それが郷土文化の価値を再認識させた功績は大きい」と。星さんは沖縄戦の時代に13歳。鮮明な記憶があるのだろう。私は詩の言葉の裏側に隠されている事態と思いをもっと想起できなければ、ダメだ。文化の底を見つめるのは、どうすれば可能になるのだろう。

 修行が決定的に足りないなぁ。 

 
◎ 日本民藝館のことは下記へ。

http://www.mingeikan.or.jp/

強襲大隊の上陸演習を撮る(16年6月14日)

 16年6月14日曇時々雨。波、風は収まり、監視船が出ていた。

 6月13日も海兵隊の水陸両用装甲車がでていたのだが、悪天候であり、私はあえて現場まで行かなかった。ところが夕方に、銃を構えて上陸演習をやっていたのだと聞かされた。明日もやるだろうから、これを撮らなければと硬く決意。

 16年6月14日、9時過ぎ、辺野古テントからフェンス奥に装甲車両が見える。

 10時、遠目にも兵隊がごそごそしている。動きそうなので、私は現場へ急行。一昨日からの雨で、松田ぬ浜は濡れている。川のようになっている。

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10時5分。フェンスを覘くといるわいるわ。

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乗り込んでいる。3両に約60名。10時5分。

スターターが合図を出して順次動きだす。

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10時13分。海に出たがちょろっと。航路の手前の航路標識(10番)あたりで旋回。

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10時26分、3両がほぼ横並びで上がってくる。

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10時26分、後部ハッチが開き、兵隊が出てきた。全員武器を携行。

両側に散開して、砂浜に匍匐。そして合図と伴に駆け出す。突撃だ。

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10時27分。

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10時27分。森の中に走る。

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手前は川のようになっており、バシャバシャ駆け抜ける。10時27分。

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やや視界を広げると、こうだ。10時28分。

上陸してほぼ2分で突撃態勢を展開。武器はいろいろあったが、小銃、機関銃、ほかだ。全員が照準器を装備。

 目の前でやられると、ぞーっとする。ここでは弾をこめてないだろうが、戦場に近いと感じるのだ。彼らが人を打つことがないことを私は希望する。

 13時過ぎから2度目が動いた。慌ててテントを飛び出す。今度は先回りだとフェンス沿い斜面にあがる。

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正面から迫る装甲車。手前は監視カメラ。13時18分。

ここまでオーケイだったが、斜面がずぶぬれで、直滑降できない。身体も機材も大切なのだ。漸く降りたら終わっていた。

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13時23分。森の中から引き揚げてきた兵隊。2度目は約40名だった。雨が降り出している。

14時、3回目。雨。やはり約40名。今度こそバッチリ撮るぞ。やはり3両できて、まずは匍匐前進の態勢。

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14時。

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14時1分。突撃。

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14時1分。左中列の隊員は迎撃要員だ。構えただけだが。

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14時1分。ここは撃ちまくりながら走るシーンなのだろう。

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14時2分。私から3mの位置。若い男の子。弾が当たったら痛いと知っているのだろうか。

米国兵士は日和見じゃないのか。銃よ!さらば!

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私たちはこれだ!せめて海兵隊は出て行って!

15時前後もまたやっていた。曇。

沖合い上空をF-15戦闘機3機ほどがグルグル旋回していた。










2016年6月14日 (火)

さすがに疲れたが

 東京から帰って来て、さすがに疲れた。

 昨日の朝、シュワブのゲート前に立ちよったら、Eさんから「お帰りなさい」と声を掛けていただいた。8日~12日私が東京にでていることをこのブログを読んでご存知だったのだ。ありがたい。

 昨日の様子は既に書いたが、今日も160枚ほどを撮った。米軍がシュワブの浜で上陸演習をやっていたのだ。すぐそばで銃器を持ってガサガサやっているのであり、脅威を感じる。多少雨に濡れたし、神経を張るので、大いに疲れた。

 帰宅したら、神奈川のパパラギ(「海と自然の教室」)さんからニュースが届いた。彼らの季刊のニュースだ。「やんばるの森、海を守れ!」とあり、辺野古・大浦湾の自然を紹介いただいた。彼らはダイビングもやるNPOだ。それも海への恩返しをやらねばならないと、ここの海にも注目いただいた。我等が海人の勝ちゃんの言葉が引用されている。パパラギの武本匡弘さんたちと私たちの共通点をみる思いがした。

 また、アオサンゴや、埋め立て計画のこと、K船長のことと並んでフォトジャーナリストの森住卓さんと私のこともご紹介いただいた。

 辺野古・大浦湾は基地に面しており、ダイビングスポットなのに、これまで無視されてきた。このニュースで、自然を守ろうというダイバー達にもっと知っていただけるだろう。記して感謝したい。

 彼らは6月7日からマーシャル諸島にヨットで旅に出た。54年の米国の核実験で被爆させられた島の人たちを励まそうとしているのだ。帆で進むヨットを眼にして、島の伝統技であるカヌーの復権がなされたらいいとの希望をもってでかけたようだ。マーシャル諸島とフクシマの接点も彼らの問題意識らしい。

 因みにあの第5福竜丸事件は、周辺海域で操業していた約1000隻が被爆したはずだが、軍事秘密に覆われてしまい、「第5福竜丸事件」で片付けられてきた。しかし日本政府が米国の共犯者となることで、漁民ばかりか地元の島の人達の生活と命を脅かしてきたのだ。

 被害者である日本が、再び加害者になっている現実。沖縄も同様な立場に置かれ続けているのだ。沖縄はいつまでも米国に追随しないが、早く日本もそうなってほしい。

 だから、疲れたなんて、言っていられない。

豪雨の中のフラ、そして

2016年6月13日 雲のち雷雨。

今朝は9時過ぎから荒天が予想された。私たちは海上行動を中止。さすがの防衛局も見合わせ。監視船すら1隻もいない。

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8時34分。何時から降ってくるんだ?辺野古漁港前から長島方面。

9時から降雨の予報だったが、降りださない。今朝もバナーを盗られたので、孝子さんらが張りなおした。私はこれを撮りにいく。

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10時27分。新潟のバナーが冴える。

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簡潔明瞭だ。

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フェンスの下にあるサンゴの岩を見ると。ヤドカリがざくざくいるぞ。10時30分。

適当にテントに戻る。まだ降ってこない。

東京に出かける前、殆ど説明要らずの暇してた。しかし今日は悪天候なのに来訪者は多め。私も3回話した。久しぶりだが、講演用に頭を整理したので、歯切れがよい。

そこへ女性2名のフラのグループが現れた。同伴者が7、8名。ゲート前でもやるが、ここでもやりたいと。お客さんは少ないが、海を見ながら、雨足を見ながらのダンスになった。山口県からのお二人。あの(安倍の)山口か…。

 しかし繊細な動きがそこに広がった。自然と一体のダンスだ。これを撮るのは難しいとやや緊張した私。

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外はザーザーの雨だけど。雨も風も身に受ける気持ちでと。

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自然体なお二人。

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優美と言うか、柔和な踊り。超繊細な動きに瞠目。

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意気が合うというか、お二人はそれぞれ個性的。雑然とした中でも、心の外と内がつながっているようだ。

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11時32分。雨強くても気にしない。テントだから凄い雨音がしているのだ。

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ラストは手話を交えて歌う。歌いましょう。会場と一体だ。

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踊り終わって神人のTさんと話す。感極まっている。11時56分。

雨がますますひどくなる。雷も。

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12時42分。雨が烈しく降る。横殴りです。

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しかしこの悪天候を見据えた訓練のようだ。水陸両用装甲車3両が海に出た。波、ジャブジャブの中。14時13分。

雷鳴も本格化。テントの中を風が吹き抜けるのだ。15時ころ、普段沖合いに居るエリグロアジサシが風雨に追われて、海岸に逃げてきた。彼らは、生きるための格闘を強いられているのだ。

テントの中にもそろそろ動くものが居る。。

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オカヤドカリだ。14時21分。彼らは、テントの中に避難中。

この後も雨。飛び切り上等な大雨。タイミングを見計らいながら、雨を避けながらの撤収をやりました。



2016年6月13日 (月)

重要-辺野古テントへの来方(交通止めのお知らせ)

 去る3月より辺野古漁港への入港は、辺野古側沿い(辺野古テント脇)のフェンスが漁協によって閉じられ、こちらからの車両の入港は不可となりました。

 しかし16年6月9日より、こちらの扉が開き、逆に集落側の出入り口が閉じられました。

 よって、辺野古漁港への車両の入港は控えてください。辺野古テントに用があるかたは、漁港外の車道に停車してお出でください。なお、ヘリ基地反対協議会の駐車場は国道329号線の名護市久志の沿道にあります。座り込み・抗議行動に参加される方は、ご利用ください。

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正面が辺野古漁港。右に漁港の研修施設がある。突き当たり右にテントがある。

なお、辺野古集落内での走行は徐行願います。

久しぶりに辺野古関係のツイッター等を見ていたら(16年6月13日)

 今日は1日、雷雨。風もテント内に容赦なく吹き込み、Yさんがひっくりかえされた。こちらが「さがれ!」と言っているのに…。怪我しないでよかった。そのあとも、私が奥で説明していると突風が。またまたYさん危うし。こちらの話を中断して、怒鳴る。

 なんてことがほぼ1日続きました。

 帰宅後、今日いただいた孝子さんの「NO BASE」を読んだり、C船長のツイッターを見ながら、涙目に。孝子さんのニュースは毎日のトピックを拾っており、併せてテントで起こったことをマメに記してます。極めて貴重な情報源です。henoko.blog.fc2.com

 7日に三重から来たMさんのバナー張りの努力が今日(月曜日)朝、盗られており、私は観ることができなかった。掲示物そのものが大切なのか、其れを制作して掲示する努力が大切かはともかく、第三者から見えにくい制作の努力を知る私としては、一層わじわじーする。

 今回世田谷から託されたバナーもこれから張りますが、しっかりと撮影して、つくっていただいた人たちの目に見ていただきたいと思っています。

Cさんのツイッターは、相変わらずツィート数が多く、追いかけるのは大変ですが、久しぶりに見たからなのか、感無量なことが多かったせいなのか、沖縄ガンバレ!の気持ちに。ちょっと外に出ていると、やはり悔しいことが積もり積もっているのです。

 Cさんのツイッターは、https://twitter.com/tchiezinha

 自分が外に出ている時もこうしてフォローしてくれているから、助かります。外形的な問題と内面的な問題が微妙に重なっているわけで、ここが分からないと、何だかピンと来ないのです。

 今回東京でお会いした高校時代のクラスメートのYさんは、私からのブログ送信を特別なフォルダーをつくっておいて、そこに格納しておきながら随時見ていると。これだと忙しいときでも後でゆっくり見ることができるし、なるほどでした。

 参議院選挙まで1ヶ月をきった。運命の日が近づいている。泣いても笑っても、今回の結果が、むこう50年、100年先までを決めていくでしょう。絶対に負けられません。

2016年6月12日 (日)

16年6月の東京報告会のレジュメ

 16年6月8日(世田谷)、10日(小金井)で2回の報告会を開催できました。開会にご尽力いただいた各位に改めて御礼申し上げます。

 以下共通のレジメを公開します。なお、当日のものをやや補正しています。一部削除と、一部訂正。無断転載はお断りします。

 報告は別途書く予定です。

「1606rezyume2.pdf」をダウンロード

東京から帰ってきたらいきなり、雷雨(16年6月12日)

 東京から帰ってきました。今回は何だか調子が悪く、辛くも無事に帰ってきました。結果的に見ると、お座敷が2回だったのでまだよかったかもしれません。これで、4回もあったら、完全にアウトだったかもしれません。

 東京も梅雨に入ったと聞いていたのですが、概ね晴れ。帰ってきたらいきなり雨に降られてザックが濡れた。そして雷雨に。恐れをなして、しばしパソコンを閉じました。

 パソコンのコードが袋に入っておらず、東京で買いました。用意したのに、肝心の袋に入れそびれていた。6000円の無駄な出費が。漸くプロジェクターを使うことができました。まだまだ試運転でしたが。もう使い方、バッチリ分かりました。

 話としては、8日、10日、所要時間が違い、客層が違うので、かなり別の話をしました。基調的なレジュメは別途掲載します。しばしお待ちください。

 9日、時間があったので、新宿のペンタックス・ギャラリーを覘きました。山の写真展。わざとらしいデジカメ色の写真がずらり。青・緑・黄色。構図とかもわざとらしさが目立つ。山を歩く感動とか、山の自然美とかよりも、デジカメらしさを追求するフォトグラファーなようです。他人はその人なりのセンスでやればいいのですが…。

 とにかく無事に帰ってきました。以上。

2016年6月 8日 (水)

これから東京へ

 これからしたくして東京に出かけます。昨日1日で漸くレジュメを書いたけど、本当に整理してみないといけないことが多すぎます。まだまだ骨子であって、これから煮詰めていかなければならない。帰宅したらこのブログにもあげます。

 今回は講座の回数が2回しかないので、その分、あっちいったりこっちいったりと、勉強してきます。また友人達とも会ってきます。高校時代の友人が数名集まってくれるようです。名前を思うと、高校の修学旅行で一緒に写真を撮った君たちです。

 遺体遺棄事件で沖縄の全市町村で抗議決議があがりそうです。現在35市町村。+6市町村。12年のオスプレイ反対の時の様相です。

 保守系も動かざるを得ない状況になっているのです。欺瞞的といえば、欺瞞的ですが、中央政府の、自民党の動きを牽制し、沖縄のために奮闘するのか、やはり日本国家のために取り込まれるのかを見定める機会でもあります。

 戦前から戦後と国家のために翻弄されてきた沖縄で、ここに歯止めをかけていくことは、とても重要です。戦争を止めていくことにもつながります。

 帰宅は6月12日夕方。行ってまいります。

2016年6月 7日 (火)

沖縄県議選後の闘いー6月19日県民大会へ

 今朝も新聞をみた。6月5日投開票の県議選の確定投票総数が候補者別にあきらかにされている。政党別で見れば、自民154909票(27.9%)、与党系無所属122317票(22㌫)、社民79014票(14,2㌫)、共産57998票(10,4㌫)、公明34690票(6,2㌫)、野党系無所属27956票(5㌫)、社会大衆党25483票(4,5㌫)、維新23098票(4,1㌫)、中立系無所属22807票(4,1㌫)、民進6241票(1,1㌫)だ。翁長与党合計、291053票(52,5㌫)、野党合計、182865票(32.9㌫)、中立合計80595票(14.5㌫)になる。

 これを選挙区別にみると、与党票が野党票を上回ったところが、12区中11区だ。唯一宮古島市区で野党票が多数を得ている。

 この結果は県議選という多数の候補者による、多数の課題をめぐる選挙だ。7月10日に予定されている参議院選は実質一騎打ち。自民党の島尻安伊子候補対オール沖縄会議の伊波洋一候補。今回の立候補者の支持別投票総数を計算すると、伊波284661票(51,3㌫)、島尻182865票(33㌫)、未定86987票(15.7㌫)になる。

 私たちは、沖縄の過去・現在・未来を問う中から、痛ましい事件を思い返し、2度と繰返させない決意をこめて、より鮮明に新基地建設阻止、海兵隊の全面撤退、日米地位協定の改訂を訴えていこう。沖縄の未来は沖縄の人人がつくるものであって、日米政府がつくるものではない。ここをはっきりとさせていこう。

 6月19日に開催される県民大会の件。「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」と6月6日のオール沖縄会議の会合で決まった。日時は6月19日14時~。会場は那覇市の奥武山陸上競技場。県高校野球連盟が大会に賛同して使用にご協力いただいた沖縄セルラースタジアム那覇も使用する。

 大会で、被害者に対する追悼と今後の決意を示していく。

 71年前の沖縄は、戦場だった。日本軍と伴に逃げた人は、大勢が亡くなった。日本軍総司令部だった首里城や今の国際どおりなども廃墟と化した。人間が人間でなくなったといわれる沖縄戦。ここから立ち上がってきた人人。

 「日本」にも少なからずの戦争加害者・被害者がいたはずだが、語り継がずに、語り継げずにきた人人。

 沖縄の闘いは、確実に前進していると私は思う。6月19日の県民大会後のことを考えながら、参議院選挙から次のステップへ。新基地建設阻止と、地位協定の改訂をより具体化するプロセスへ。

 「日本」では戦争法の撤回と明文改憲の阻止が最大の課題だろう。沖縄の闘いを「オール何とか」などと形だけ真似せず、沖縄からもしっかり学び、地域の課題を合わせて取り組んでいただきたい。

 お互いに手を取り合って頑張るときは今しかない。頑張りましょう。

2016年6月 6日 (月)

県議選後の喜びを共有。大潮の午後(16年6月6日)

 2016年6月6日晴れ後曇後雷雨

 県議選の結果を受けて、ほっとした顔、晴れ晴れした顔。次は参議院選挙だねと気分は一致。予想通り、知り合いが、また選挙応援に来ていた人が、別の用件で那覇に来ていた人が次々と来訪される。うるま市で、沖縄市で、那覇市などのご活躍を聞いた。私は3回続けて沖縄県議選を交えて説明。

 カヌーチームにもやや大勢参加。監視船7、マリンセキュリテイのゴムボート1.

 松田浜のフェンスのバナーはまたなくなっていた。孝子さんが5枚を張りに行く。

 11時40分。沖合いをch-53が通過。

12時頃からオスプレイの音が豊原方面からきこえてくる。見えない。13時28分沖合いから東に飛び去る。

今日も大潮。昨日以上に、サンゴ礁や砂、岩が出ている。

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マナヌ岩付近。左右にさんご礁が広がっている。14時1分。

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テントのモンパノキにリュウキュウアサギマダラ。

松田浜へ。新しいバナーが5枚。

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奥は長島。

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新しいバナー。

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大潮だからフェンスの先まで行けるのだ。因みにこの奥は米軍基地。キャンプシュワブ。刑特法で捕まります。ご用心。

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やはり今日もアルソック。出てきた。14時19分。

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二人になった。近づいてこない。

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シュワブ岩もこんなにでている。

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テントに戻る途中でch-53が低空を飛び去る。14時30分。

14時30分頃から雨。雷雨。

沖縄県議選後に全国の人人に思うこと(16年6月6日)

 今回の沖縄県議選は、新基地建設の是非、米兵等の犯罪の根絶(そのための方法を含む)、海兵隊基地撤去などを主要な争点にしながら、翁長県政の是非を問うものとなった。

 その結果が翁長与党が27名、野党が15名、中立6名の結果となり、翁長県政が支持されたといえるだろう。

 無論私たちは今回の結果を聞くまでさまざまの懸念を抱いていた。県議選は争点をめぐる可否よりも人脈が大きくものを言う、「経済の自民党」にだまされる、枝葉の対策に仕方がないと諦める、選挙につぎ込まれるお金や企業選挙に左右される。

 しかし沖縄県民の多くは、もはや騙されなかった。投票率が53㌫であり、まだまだ無関心や諦めが払拭しきれているとはいえないが、これまでの闘いの蓄積が、より多くの人人にも「もう黙っていられない」ところまで肉薄してきた結果でないか。

 その端的な事例が沖縄市区の、宜野湾市区の、浦添市区等の多数を与党が占めたことに如実に現れている。

 だが安倍政権は沖縄の民意など知らんぷりを決め込んで、それでも「辺野古が唯一」だとの認識を変える気配すら示していない。地位協定の改訂にも知らぬ存ぜぬの態度を貫こうとしている。

 政権は何故沖縄ならオーケーと決め付けるのかを、私は常日頃から考えて欲しいと、辺野古テントに来る人人等に問うている。何故なのだ?

 この問題に元政権の座にあった梶山静六官房長官(98年当事)が明白に語っていたのだ。他県に移したら「必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起こすことが予想されます」などと下河辺淳国土庁事務次官(当事)宛の書簡に記していた(琉球新報16年6月4日)。本土の反対運動をさきまわしに恐れてみせ、沖縄に押し付けることを辞さないこの態度。初めから沖縄に押しつけるべしの「公理」のごとしの硬き信念。沖縄差別そのものではないか。

 沖縄を軍事殖民地のままにしていくのだとの信念が安倍政権の今日の新基地建設に、戦争法に、明文改憲に貫かれている。沖縄をこのままに、いや日米共同の軍事拠点に置きながら、日本国を米軍の手下としての軍事力を強化し、いつでも戦争ができる態勢をつくるのだとの政治に重なっている。

 沖縄は直ぐに参議院選挙の準備に入る。必ずや自民党候補に大差をつけて勝つ。全国的にもこれまで1人区での予定候補が統一候補として全区で決まった。改憲派3分の2を必ず阻止する闘いが本気で問われている。

 軍事力が強化されるとき、社会に表面化してくるとき、必ず自治は押しつぶされ、人権は踏みにじられる。こうした傾向はさまざまな地域でも課題でもおきてくる。ここに鈍感では先は見えてしまう。

 沖縄の闘いは沖縄の闘いではあるが、全国的な、アジア的なつながりもあり、全国の皆様も、沖縄の闘いを参照しながら考えるべきことがあるはずだ。くだらない噂話に組することなく、事実を見極めながら、ことに当たっていただきたい。

 

2016年沖縄県議選、翁長与党が27、多数を占める

 今回ほど正直どうなるのか、不安な選挙もなかった。国は総力を挙げて野党・自民党に応援に入り、企業の締め付け、ごまかしの謝罪や対策を矢継ぎ早に打ち出してきていた。また、自分の名護市区が無投票当選(1対1)であり、選挙戦の実感がなかったことも余計な心配をすることになった。

 結果をみれば、沖縄県民は総じて、現在の沖縄を直視し、今後の沖縄への選択を行なった。与党系が27(社民6、共産6、社会大衆党3、無所属12)に対して野党が15(自民14、無所属1)、中立は6(公明4、維新2)の結果だ。

 なお昨夜当選と書いた国頭郡区の吉田勝廣候補(7944)は、自民の具志堅透候補(8078)の集計が間違っており、逆転、落選になった。大変残念な結果になってしまった。選管しっかりしろ。

 国頭郡区は1対1、うるま市区は2対2、沖縄市区は3対1対1(公明)、宜野湾市区は2対1、中頭郡区は4対1、浦添市区は3対0対1(公明)、島尻・南城市区は2対1対1(維新)、那覇・南部離島区は5対3対3(公明2と維新1)豊見城市区は1対1、糸満市区は1対1、宮古島市区は1対1、石垣市区は1対1、名護市区は1対1(無投票)だ。

 こうしてみると満遍なく、与党が占めており、特に基地が集中している場所で過半数を閉めたことが大きい。中でも市長選でやられた沖縄市区と宜野湾市区で多数をこちらが取り返したり、繰り返しになるが宮古島市区の亀浜玲子さんのトップ当選が今後に与える影響は大きいだろう。

 当選に到らなかった与党系候補者も出たのは真に残念だが、今後も力を合わせていきましょう。

 さて参議院選です。ここでもどう勝ちきるかだ。

 私は6月8日から12日の東京での報告会の準備を急がなければならない。

 

 

翁長与党が多数を制した沖縄県議選

2016年6月5日、投開票が行なわれた沖縄県議選は、翁長与党が多数を制しました。私もホット一息しています。

自民党は現行の13名のまま。共産党は5が6名に、社民が5から6名へ、社会大衆党が2名が3名へ、結の会が2名が3名へと増やし、無所属の数をいれると、48名定数のところ25名を越えるようです。中間派の公明は4で変わらず、維新も2でかわらずです。

 今回画期的だったのは、あの市長選で大敗した宜野湾市区での定数3の中で2がこちらが占めました。また国頭郡区は何と平良昭一さんと吉田勝廣さんのお二人が、保守系の2名を落として当選したのです。この区域は高江を抱えた区域であり、また辺野古の近隣区域でもあり、ここで勝った意義は計り知れないものがあります。

 もうひとつ重大な勝利は宮古島市区での亀田玲子さんのトップ当選です。宮古は自衛隊の誘致問題があり、これとの闘いが焦点となりました。議席数では1対1ですが、票の合計では誘致派が多数ですが、ここに肉薄したのです。

 詳細は明日考えますが、ほっとして眠れるのは幸せです。沖縄の人人の意思は、しっかりとしていたのです。安倍政権はこの重みを受け止めて再考することを求めます。

 頑張りましょう。次は参院選です。

2016年6月 5日 (日)

アルソックの仕事?(16年6月5日)

2016年6月5日曇後晴れ 暑い。

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1週間ぐらい前から咲き始めたツバメオモト。辺野古の第2テント脇。日々花が開いていくのが分かります。

 海に防衛局雇いの監視船が数隻。マリンセキュリティも1,2隻。こちらはカヌー練習のみ。

 今日も来訪者少なく、暇でした。兵庫県からきていたおじさんと話す。なかなか話がかみ合わない。沖縄事情は他のところにいると分からないのだろう。途中で「ヤマヒデさんなんですか?」と。私の名前、ブログを知っていてくださった。午後、友人のOさんがお一人を案内してきた。以前にも来られた東京の教員。

 14時40分頃から松田ぬ浜で撮影。

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辺野古テントムラの孝子さん制作のバナーが。

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これは新潟のGさん作。

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これは静岡のグループ作。穴から長島が見える。

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孝子さん作。図星だよ。

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こんな状態。監視カメラにご用心。

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フェンスの海側に行くと。イワガニの仲間。

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フェンスの先端から見る辺野古の海。左奥がキャンプシュワブ側。

すると。

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左上のアルソックの詰め所から出てきました。右の人たちは休暇中の米兵。15時2分。

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歩いてきますよ。ご苦労様。

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右手にハンドマイク、左手に無線。15時4分。

近づいてくるので私は後退。フェンスの内側へ。

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そこまできました。15時6分。周囲の網状の白はフェンスの影。

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ここがフェンスの先端。

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コンクリートの土台の前で彼の顔を撮れず。メットのみ。

彼らの仕事は何だろう。しかと確認するために今後まじめに撮ります。ここに宣言しておきます。






沖縄県議選投票日です(16年6月5日)

 今日は沖縄県議選投票日。投票権のある県民の皆様はぜひと投票に足を運んでいただきたい。

 今回の選挙は、翁長県政と共に歩み、新基地建設を許さず、基地を撤去させ、戦のない沖縄を、アジアを、世界をつくっていくのか、再び戦乱の世の中に逆戻りさせていくのかを私たち沖縄県民が決める選挙です。今回の意思表示はすこぶる大切です。

 これまで地道に作り出してきた流れをさらに発展させ、強化することができるのか、私たち自身が問われているのです。ここでこの平和への歩みが停滞することがあれば、辺野古新基地建設や琉球諸島への自衛隊基地建設を加速させてしまいます。

 自民党は経済を主張しますが、戦争を招く経済はいらないときっぱりと主張しましょう。ここ沖縄に戦争がやってきたら、経済そのものが破滅し、私たちの生存じたいが危うくなるのです。そのときになって気がついたとしても遅すぎます。

 軍隊は住民を守らなかったいいますが、さらに今書いた指摘こそ、沖縄戦から学ぶ教訓です。

 日本の皆さんにも私は大きな声で言いたい。4人に一人が亡くなった戦争体験から発している沖縄の皆さんの教訓。沖縄戦後も1972年まで米国領におかれ、今も在日米軍基地の大半が置かれている沖縄からの声を、広く日本中の人人の声にしてこれなかったことを私は悔やみます。日本のはずれの小さな島国のことだからと、度外視してきた日本の世論を恥じ入ります。そしてまた元米兵による凶行を止められなかったこの国。

 私は今日も辺野古に行きます。一人ひとりは無力じゃない。微力だが支えあい、力を合わせてきたからこそ、翁長県政を作りだし、堂々とこの国と、アベ政権と対峙できるまでになったのです。ここまで来た成果を選挙での投票で、より一歩大きくしていきましょう。がんばりましょう。

 辺野古・大浦湾の生きものたちも、やんばるの森の生きたちも、行動する私たちに声援を送っているはずです。

 

フロートのない大浦湾、サンゴ礁の大浦湾を行く(16年6月4日)

2016年6月4日 曇のち晴れ。暑い。

 久しぶりに今日は船に乗った。不屈に3名で。船団は2隻でカヌーは9艇か。

 まっすぐに海保の浜に向かう。

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揚げた和船が3隻。GB4。1隻にだけ人がいる。閑散。

マリンセキュリティの「かしま」がうるさくついてくる。50mぐらいの距離を取っている。

不屈は辺野古崎へ移動。フロートがないのだ。せいせいするというか、やっと我等の大浦湾を不十分ながら取り戻したようだ。

9時35分カヌーチームが辺野古から到着。

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すると辺野古崎にアルソック(青シャツ)と軍のガードマンが。立ち入り制限区域から出ろとうるさいこと。これは変わっていない。

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ここでカヌーを牽引して移動。9時38分撮影。

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海保GBが後ろについてくる。9時45分。たまには焦点を海保に合わせてみました。長島をバックに大浦湾の内側に向かう。

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バックは大浦湾入り口安部方面。まだ曇っている。9時46分。

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9時56分。レジャービーチで抗議活動。こちらは軍警ガードマン。ハッスルしています。撮影と警告。「ここは米軍管理区域です。退去しなさい」と高圧的だ。左後方はアダンの木。

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カヌーチームが率先して抗議。皆さん(アルソックとアリンセキュリティと海保)こそがさがるべき。右後方は「かしま」。

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若干残っているフロートをすり抜けて反対側に。10時12分。

このフロートを撤去せよと声をあげた。

長島でエリグロアジサシが飛び回っている。

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長島の上を飛ぶエリグロアジサシ。魚を咥えていた。約10羽。10時38分。

長島付近から移動。

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10時40分。辺野古崎からカヌー隊とわかれて、船団はチリビシに向かう。この青空と青い海に感嘆!

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チリビシで海面を覘く。サンゴですぞ。偏光フィルターのかかり方が今いちでした。10時57分。

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全部そうです。テーブルサンゴ。

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奥がカヌチャリゾート。

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11時1分。サンゴの産卵の兆候なし。

帰ります。

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K船長のこだわりが。ありがとう。

12時45分辺野古テントに戻った。

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今日もクロサギ。今日は正統派らしい食べ方。

関西からの観光客に話した。理解のある方でした。

暑かったです。















2016年6月 4日 (土)

あれこれと(16年6月4日)

 今朝新聞で玉城義和さんが亡くなったと知って、慌てて追悼めいたことを書いた。まさかこんなに早く亡くなられるとは思っていなかったので、愕然とした。

 同じ新聞に政府の米軍犯罪対策が出ていたが、あくまでも現行の日米地位協定を変えずに、天皇様、神様・仏様、米軍様を死守するつもりのようだ。あきれ果てる。パトロール隊新設、警官100名増員、街路灯をつけるなど。これで沖縄の住民を守れるのか、そもそも守る前に事件・事故を起こさない処置を取れと言っているのだ。枝葉だけの対策で、解決するなら誰も苦労しない。被害を受けるのは沖縄の住民であり、選挙対策の騙くらかしはたくさんだ。

 そんなこんなで今朝の出発が遅れバスに。あぁ今日は船に乗ろうと思っていたのにとがっかりしていたが、何とか間に合った。船にも乗った。本格的な夏の太陽だ。関西から来た学生が一人乗ったのだが、帽子ナシ、サングラスナシ、日焼け止めなしの男の子。焼けるぞといったら、案の定。赤くなっていた。沖縄の太陽を甞めたらイカンゾ。

 しかしフロートのない海を走り、サンゴ礁の海を堪能した。最高の気分。ここをつぶすなどありえないのだ。

 県議選、翁長与党の苦戦が伝えられている。かね亡者にまたやられるのか。自立と自力で活路を見出すのか。沖縄に生きている以上、もしもここが戦場になったら、お陀仏だ。そんな愚かな選択だけはしないでいただきたい。

 余談だが先の学生、アメリカニューシネマが好きとか。俺の青春時代のものを何故知っているでした。では『マッシュ』を見たことがあるかと聞いたら、ないと。これはお勧めと、船の上で話もできた。これが『和解』後の海だからできること。ここにくるなら、『戦場ぬ止み』や『圧殺の海』を見なさいねと申し上げておいた。

玉城義和さんが亡くなった(16年6月3日)

 玉城義和県議(県民ネット)が昨日16年6月3日午後、食道がんで亡くなった。今県議選を勇退するときいており、がんだともきいていたが、こんなに早くお亡くなりになるとは…。

 彼は名護町職労から74年に総評に入り、国民運動本部長等を務めて、沖縄に戻り、県議を7期もやった。95年の10月21日に開催された性暴力事件糾弾の県民大会の事務局長を担い、辺野古新基地建設問題でも活躍され、市長選にでたこともあった。最近ではオール沖縄の流れを作り出す牽引役をにない、島ぐるみ会議、15年12月のオール沖縄会議の結成にも尽力されるなど、超党派の運動の要として、長年努力されてきた。

 彼のような、表のバッターとして動くだけでなく、同時に人と人をつなぐ役割を果たせる人は、特に沖縄では大切であり、こうして彼の履歴を少々振り返っただけでも、惜しい人を亡くしたと思う。ここに哀悼の意を表するとともに、こうした役割にも目配りできる視点を私ももちたいと思う。

 彼の厳しい顔、柔らかい笑顔を近くで見てきた者として、95年からの一時代の終わりから新たな転換の季節を切り開くべく、私は取材し続けたい。合掌。

 

 

2016年6月 3日 (金)

辺野古川河口にダンサー?(16年6月3日)

2016年6月3日雲のち雨

波高く、風強し。長袖を着る。

マリンセキュリティの船いない。監視船5隻のみ(辺野古側)。

こちらの海上行動はなし。火と金は当面休止。

9時過ぎから11時40分ころまで米軍ゴムボート2隻海に出た。

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11時3分、フェンスの奥に部隊が。小部隊の訓練だろう。

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13時8分。気温は低いがミナミコメツキガニはでている。気温だけでない何か別の因子が働いているのだろう。

13時10分。豊原側からモトクロスのバイクが3台。うるせえ!60代のオヤジたちだ。

クロサギ、オバシギがいるんだがな。

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クロサギがいるのだ。13時34分。

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アクロバットな格好は何でしょうか?必死で魚を狙っています。13時35分。

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ちょいとダンス。13時35分。

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どうですか?

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13時35分、飛び去りました。

種明かし。残念ながら、プリマドンナではありません。踊る仕草は羽で魚を驚かして、飛び上がった魚を取る漁法です。難しいのですが、クロサギはよくやります。

このあと、テント側の流れにまたクロサギが来ました。近づくかと期待したら、さきほどのモトクロスのおじさんたちが戻ってきて、排気ガス撒き散らしてクロサギを飛ばしてくれました。13時50分。

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行きは楽々きた道に潮が満ちてきて、危なっかしく戻っていったおじさんたち。自然ヲ荒らすなよ。タイヤの痕もいらないよ。

15時20分。監視船に乗っていたマリンセキュリティの社員がマイクロバスに乗せられて帰っていく。確かに海上の船は0。早上がりさせてもらえたようです。良かったね。

ゲート前では今日も米軍に抗議行動。機動隊も出てきて、対峙関係が。













沖縄県議選のゆくえ ③ 命育む結果を出すために

 当ブログにも沖縄県議選の結果(予想)を求める検索が入ってくる。これにお答えできる人は誰もいません。選挙運動の後半になって、如何なる状況なのかを考えるために主な争点を検討したい。

 ①やはり歴史的に争点となってきた辺野古新基地建設をめぐる可否が最大の問題点だろう。特に2014年11月の県知事選で翁長知事が誕生して、今日までの取り組みがいかに評価されるのか?各県議候補がどうこれに応答しているのか。特に重大事件が発覚後、海兵隊撤退が新たな課題になっているときに、県議候補はいかに向きあうのか。再び同様な事件を生み出さないための政策は何か?

 地位協定の改訂に前向きな候補が増えているが(自民党沖縄県連がいまさらのように主張し始めている)、其れは本気なのか、ただのポーズなのか?これまでに何をやり、どう主張してきたのかを私たちは確かめて投票したい。

 ②子どもの貧困対策が特に言われだしている。この問題は与野党共通の認識らしいが、手法に違いがある。野党の言うような医療費・通院費の無料化などの枝葉の問題では解決できまい。保育・教育や、地域としての支えがより重要であり、不正規・不安定雇用が多いという経済構造の問題にメスを入れていかなければ、解決につながらない。この問題は沖縄に土木・建設産業が多いこともあるが、観光産業も不安定雇用に支えられている実態があるのであり、ここも改善していかなければならない。

 ③自衛隊配備をめぐる問題も大きい。与那国・石垣・宮古(実は沖縄島も)への自衛隊配備をめぐって国は強硬姿勢を変えていない。県知事も明瞭な態度を示していない。しかし中国を脅威だと煽り立てることで、沖縄への軍事力の集中を正当化し、この国が軍事国家に成り上がる口実にしており、そして万が一軍事衝突が起きれば、ここ沖縄周辺が戦場になるのだ。冗談じゃない。明確に反対する候補に1票を入れたい。

 また自衛隊の問題を考えるとき、沖縄本島と宮古・八重山等の島々との格差の問題を抜きに解決できない。島の自立的な経済振興ができなければ、自衛隊誘致に陥るのは根拠のない話ではない。平和(戦争)と経済は重なるだけに、危ういのだ。

 ④問題は色々あり、争点もある。だが、結果がどうでるかは自民党(沖縄県連)の争点隠しと、利益誘導の政策に、有権者がどこまで明晰に前を見て、判断するかにかかっている。

 確かに基地をめぐる問題は、この国の最重要政策であり、これを跳ね返すのは困難だ。時間もかかる。だからといって私たちの命が、将来が、世界がこれ以上危うくなることを是とするのか、変えていくのか、大きな選択が問われている。いくら「こっちの水は甘いよ」と言われても、毒水を呑まされたくない。沖縄が歩まされてきた過去と現在と向き合いながら、私たちが生きるための選択をしよう。アベ政治と心中は、したくない。

 だからこそ、ひとりひとりが考える力をつけていかなければならない。考えるための時間と人間関係と資料が近くになければならない。夫婦・親子・友人の間で話し合うことが必要だ。

 図書館や博物館・美術館、児童館などの社会教育施設はもっともっと充実させるべきだ。沖縄には公立図書館が少ないのだから、大学図書館等も一般に貸し出せる道を広げるとか、検討すべきだろう。

 私たちが主権者として生きていく第一歩として、来る6月5日の投票を行なおう。次は参議院選挙が待っている。

悩ましいところ

 昨日書いたオバシギのタイミングで、廃弾音の問題を少々。自分としては、辺野古でオバシギを観るのは初めて。徐々に近づいてくるし、此方をもう少し撮りたかった。そこに廃弾音。こちらは、今回の場所なら行けば撮れそう。車で送るからと言われたら、了解と言わざるをえない。結果、廃弾(噴煙)の撮影に成功。ほぼ雨に降られもせず、助かった。

 こんなことも3名の方々のご協力によって、できたのだ。彼らに感謝したい。

 こういう撮影は、タイミングを外したら不可能なのだ。また、まず遠目で見えなければ、何処に行けば見えそうかも想像できない。今回は以前からの周辺への調査と、遠目で見てくれた人があっちと教えてくれたので、あっちはそっちだなとの私の判断が、大当たりだった。真正面だったから。

 小銃音はその右手から聞こえてきた。辺野古岳山腹だ。これを地形図で照合すると、二見十字路まで1キロあまりの至近距離だと分かる。これまで私もここいらの地形が複雑で、相互の位置関係をつかめていなかったのだが、シュワブ演習場の様子をだいぶ分かってきた。

 オバシギさん、ごめんなだが、こっちはこっちで、またいい天気のときに出てもらいたい。いいえ、もう北に旅立ちますかな。

 そもそも、自然写真と報道(軍事)写真とを両立させるという無理を承知でやっている自分が悪いのだ。しかしそんな無理を押し付けてくる沖縄、日米政府が悪いんじゃないのか。やはり問題の根本はここに来るのだ。

2016年6月 2日 (木)

サイレンと爆発音(16年6月2日)

2016年6月2日 曇 

今日から県議選の「3日戦争」は始まった。ラストスパートに全力であり、こちらへの人はまばらだった。それでもカヌーと船は出た。

8時51分、演習場から射撃訓練が始まっている音がよく聞こえだす。

海上から無線。シアターで今日も作業中だと。

9時22分、雲の上から戦闘機音。

11時ころから、シュワブ基地側から緊急車のサイレンの音が聞こえてくる。暫く鳴り止まず。何があったのだろう?-ゲート前に座り込んだ人人に対する威嚇だったらしい。あの事件に抗議する意味での米軍車両への抗議行動に、米軍はよほど頭にきたとみえて、米軍パトカーをオレンジラインぎりぎりに停車し、約30分間サイレンを鳴らし続けたようだ。子どもじみた対応だこと。

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タンカーが行く。11時11分。これは軍用、それとも民間?

11時15分ごろ、テント前の干潟にシギが2羽。

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オバシギでした。ここでみたのははじめて。

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テントに近づいてきたのに、突然の爆発音。11時20分。何処?何?

オバシギの撮影をおいて、現場に向かいました。11時32分。高専の下の橋の上。久志岳のしたのトンネルも見える。このへんだろう。

暇をもてあましながら。

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橋の下の花を。ノボタン。11時34分。

11時43分。小さな音。風向きのせいだろうか。

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油断した。大急ぎで押す。

続けて。

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このひろがり。左が赤みの在る煙、右は青白い。

この後、2回爆発音。廃弾処理なのだろう。

私は食堂経由でテントに戻った。

 

カラス対カニの「対決」を観て

先日の「ノンビリムードの1日」(5月31日)を見た方からコメントをいただきました。案外重要なことなので、本欄に私の見解を示します。

生物圏で観ていますと、多くの食ったり食われたりの「闘争」があります。「食う側」と「食われまいとする側」の双方に個体としての種としての生存戦略があるのです。

 このカラス対ツノメガニの対決を見ていて私が思ったのは、こういうことです。絶対強者であるカラスに対して、カニはただ素早く逃げたのです。それもカニが有利な水の中(水深2,3センチ)に。そのうえで、鋏を突き出して威嚇していました。ここでいわば水入りです。カニはカラスがそれ以上攻撃するのを諦めるまで、待つのです。

 きっと、カラスは、「ちぇ、見逃したか!」と思っているのでしょうが、「また出直すぜ」と、仕切りなおすのです。

 これは異種間の食うか食われるかの関係においてすら、一定の和があるということです。和と言えば上等すぎますが、バランス感覚です。一方が他方を食い尽くして、自分も絶滅しないための生存感覚です。

 人間の場合、何故同種間でこれほど争うのかです。全く種の生存戦略からすれば、愚かしい限りです。人間独特の業、傲慢さが災いしているのでしょう。

 人間には、「殺られたら、殺り返す」の報復の論理が相当程度蔓延しています。しかし「36計逃げるに如かず」とも言います。逃げるのは恥でも何でもなく、当然の計略です。

 こんなこともありました。満員電車内で、痴漢を発見して、「一体この手はどいつだか」確認できない。相手を特定できなくても、放置するのではなく、その間に足を入れて引き剥がし、勝手なことをさせないなど、さまざまな手段があるものです。さすがの加害者も痴漢しているのを邪魔されたと怒鳴り返せません。

 何事も力に力で対抗しようと思うから、予期せぬ暴発も起こりうるのです。人間ほど頭が悪いと、この「力対力」の論理を克服できない絶望感にとらわれかねないのですが、平和的手段や、相手を尊重する上等な関係づくりにこそ、私は努力したいのです。

 動物達の行動を観て、私たちの行動を見直すことも、とても大切な学習であり、哲学です。

 

2016年6月 1日 (水)

マイブログ「ヤマヒデの沖縄だより」2周年に向けて

マイブログ2周年、ここからの飛躍(16年6月1日)

 沖縄に来て3年目。まだまだ駆け出しだ。他方で89年から「基地の島沖縄」を撮るということで沖縄との縁ができて27年が経つ。来て3年になろうとしているが、こなければ気がつかないことがたくさんあったし、まだまだあるだろう。

 このブログは極めて断片的な情報しか発信できていないし、極私的な問題意識に偏っている。そこはご了解いただきたい。できないものはできないのだから。また無理無理やっても、続かない。

 ご承知の通り私の問題意識は自然に対することから始まっている。だから今でも「自然写真・報道写真」の順番でプロフィールを書いている。ここから50年ほどの年月が経ち、政治から軍事に行き着き、結果的に沖縄に辿りついてしまった。私は後悔などしていない。しかしストレスは予想以上のものがある。これだけ多くの仲間たちがいるのに、それでもきついのだ。

 このブログも多くの人々に支えられ書き続けているが、今後の課題はいかにして読者を増やし、営業につなげていくのか、ここが第一の課題だ。どなた様かの御託議にあるような辺野古に行っても1円ももらえないのだ。どなた様か…!

 そのためには書くための考える時間を捻出できなければ、まとまった考えがでてくるはずもない。名護は都会と違って、サテンが近くにないし、まともな本屋もない。図書館も遠い。現場が近すぎる。しかし名護だから出きる方法を編み出さないとダメだ。

 私のこのブログにかける意義は、現場からの発信であり、各人・各地を繋ぐ一点になりたいと思っている。しかし追いかけるべき場所、課題は多く、やればやるほど悪戦苦闘するしかない。頭の整理が追いつかない。やるしかないのだが。

 それでも色々と教えていただいたり、支えていただいたり。あるときなど誰それの本、ないですかと言ったら翌日もって来ていただいた。辺野古・大浦湾を潜ってよといったら、4月に潜ったと返事が来た。彼の通信に報告書くからと。東京では度々私の報告会をやっていただいている世田谷市民運動いちの皆様など、感謝感激だ。ひとりじゃ何もできない。

 第2の課題は、沖縄と日米政府の対立が深まっていることにどうしていくかだ。7月の参議院選挙の結果如何では一挙に改憲が私たちを襲う。これに私たちはたじろいではいられない。絶対に阻止しなければ、俺達に明日はない。私の発信は現場で、ブログで、報告会で、パネル展示などで行なっていく。ここまでくると政治勢力との共闘が必要な一方で、今まで政治なんか知らんという人に届けなければ、広がらない。これも確かなことだ。自然も文化も歴史も、このためにも重要なのだ。

 このときに重要な呼びかけは、「生きようよ」ということだ。私は11年の大震災の後、12年のカレンダーを制作・販売した。テーマは『生きようよ』だった。売れ残ってしまい、収益にならなかったのが残念だった。政治は再び国家に命を捧げよの時代に戻りつつある。まだまだソフトだが。死ねの時代に「生きようよ」と呼びかけることが、時代の転換を促すはずだ。

  因みに私が生物を撮っているのも生きる輪廻を考えたいからだ。人間だけが生きているんじゃないし、人間が偉いのでもない。この地球をぶっ壊しているのは誰なんだ。根源的なテーマが身近にあるのだ。ということで問題は尽きないが、今後も頑張ります。また色々とお手伝いをお願いいたします。ご一緒にがんばりましょう。

沖縄県議選16年6月 ② 要点を探る

 私が沖縄県議選に直接関心を抱くのは初めてだ。沖縄居住後初めてのことだから致し方ない。其の分わけがわからないこともあるが、私なりに考えてみたい。

 『概況』

 定数は48名。ここに与党(翁長県政支持)系37名、野党系22名、そして中立系12名が立っている。与党系は社民が6、共産が7、社会大衆党が3、民進が1、無所属・諸派が20だ。野党系は自民が19、無所属が3であり、中立に公明4、維新3、無所属が5だ。

 現状は、与党系24(社民6、共産5、社会大衆党3、無所属10)、野党系14、中立が8名だ。これがどのように転ぶのか?

 『基地を巡る危うさ』

 沖縄の場合、基地問題を抜きに政治はできない。これは従来の保革対決時代もそうだったし、14年翁長県政誕生後の今日も同様だ。だからこそ本音と宣伝(外見)は大いに違ってしまう。だからこそ以前の自民党沖縄県連は、「県外移設」を主張したそぶりを見せ、今は地位協定の改定を唱えるなど、争点ぼかしに躍起になっている。また、沖縄の公明党は中立に数えられているように、地位協定の改定を主張している。公明党・沖縄の本気度が問われている。

 無論、自民党沖縄県連は、沖縄自民党を切り捨てた現在、以前ほど、そぶりでごまかせない。其の分、彼等がやることは、安保を隠して経済の自民党を打ち出し、沖縄も「日本」で締める。

 『課題』

 こうした動きに対して、翁長県政与党は何をするのか。新基地建設阻止は当然だが、海兵隊撤去、さらに全基地撤去に踏み込んでもらいたい。地位協定の抜本改定も当然だ。これは個々の条文の問題を超えて、米日同盟に対抗する沖縄の力関係を変えていく闘いの重要な基礎を成しているからだ。これなしに米兵・軍属の横暴振りをとめられない。

 基地問題の裏側に経済がある。沖縄は基地がなければ、経済的になりたたないのか、基地こそ阻害要因なのか。この基地と経済の連結環こそが今後の沖縄を大きく決めていくだろう。

 また沖縄らしさをどうつくりだしていくのかも大きな論点になるはずだ。自然・文化・歴史を巡る論点がもっと掲げられるべきだろう。経済でも中央政府に依存した経済から、沖縄発の独自の経済を東アジア、南アジアとの関係の中で創り出すことが重要だ。

 翁長さんが県知事選で主張した沖縄アイデンティティをどう作り出していくのかが、ますます重要な論点になるはずだ。

 今戦闘機の音がしてきた。これだけでいらつくのだから、嘉手納や普天間の近隣住民はどれほど悩まされているのだろう。集中力を奪われる。

 沖縄も日本国というくくりに易々と乗せられてしまい、あの「大東亜戦争」に積極的に加担させられたのが過去の沖縄だった。「軍隊は住民を守らない」が沖縄戦の教訓だが、同時に「大日本帝国」は、「日本国」も沖縄を守らなかったし、今も守らないを、今こそ教訓にし主張しなければなるまい。長いものに巻かれていたら沖縄は潰される。これは沖縄だけじゃないが。沖縄の自決権・自治を本気で志向する政党が沖縄に必要だろう。まだまだ弱いと私は考えている。

 翁長与党の候補者は旗色鮮明に自らの主張をしてもらいたい。また野党のウソを暴きださなければ、負けるかもしれない。(16年6月1日)

ノンビリムードの中で(16年5月31日)

16年5月31日 曇後晴れ。昨日は米国は休日だったが今日も連休の様子で、演習等なし。今日も出ているのが話題のマリンセキュリティ。辺野古だけで7隻。何が話題かと言えば会社は「警備人件費過大請求」、労働者はぼったくられ、個人情報の収集業務までやらされている。

 今週から海上行動は、火と金を当面お休み。高江に行ったり、嘉手納やここゲート前に行こうと。

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9時49分。クロサギが羽をばたつかせて、魚を取る。辺野古川河口。

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10時20分、テント前。カラスがツノメガニの巣に嘴を突っ込んだ。素早く逃げたカニ。水の中に。はさみを突き出して対峙。お互いに生きるために必死なのだ。

時間はノンビリ過ぎて。久しぶりにキム・キガンさん登場です。

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14時6分。雑然とした中ですいません。もち歌を披露していただきました。相棒はとりいしん平さん。

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合い方との息もぴったりです。

何ともいえぬ思いが伝わって来る彼女。

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しんぺいさんとは初めてお会いしましたが、素敵です。膝のアップリケ可愛いでしょ。

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まっすぐに歌う姿が素敵。

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ほめ過ぎたかな。来てくれてありがとう。もっとも来てくれたのは辺野古テントに孝子さんがいるから。

 このあと、フェンスに行って、録音すると。

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辺野古川河口部の丘。上部右のしろっぽいのは、ソテツの花。拡大してご覧ください。






根津さん停職処分を取り消す画期的高裁判決

去る16年5月28日、東京高裁は07年の東京都による停職処分を取り消した。損害賠償も認めた。「日の丸・君が代」不起立への画期的な勝訴だ。

 先ほど私は連れ合いのツイッターで知った。根津公子さんは「日の丸・君が代」にこだわり、以前から闘い続けてきた。ここまで巻き返したのだから凄い。皆様の闘いに敬意を表したい。

 根津さんは私の沖縄写真展を何回か見に来てくれた。何回か立ち話をしている。教員が犯してきた戦争責任にこだわり、歴史認識にこだわり、表現の自由にこだわってきた。沖縄に対する思いもたくさんいただいた。私を励ましてくれた在京メンバーのお一人だ。

 思想をガンジガラメニされない柔軟な発想を、疑う視線を持ちあわせたい。根津さんは、頑固だけじゃない、柔和な人でもある。そこが、私は好き。

 これからもがんばりましょうね。

詳細はこちらをみてください。

http://www.labornetjp.org/news/2015/0528nezu

ヒロシマの空を仰ぐ

 先日のオバマ外交・安倍政治。ヒロシマを謝罪しない平和(「積極的平和」?!)に押し込め、原爆投下責任・戦争責任を黙殺した。これは両国の侵略責任・戦争責任を封じ込めることにつながる。だから原爆資料館の見学は10分で終了。無論、事前に官僚どもがどれをみせる、見せないと吟味してやったのだろうが、呆れた。

 中でもヒバクシャである平山郁夫さんが描いた紅蓮の炎に包まれた中に不動大明が立つ「広島生変図」をみたらしい。

 これは79年の作品。平山さんらしからぬ赤を基調とした絵だ。彼の宗教画は、被爆との対峙が基礎にある。生き延びた希望の瀬戸内の海の青が基調になっていったのだ。

 オバマ所感は17分。原始雲の上から目線。落としたのに落ちたみたいなひどい発言。

 今時の政治家は文章ですら平気で勝手に意味を取り替える。「積極的平和」など。絵でも写真でも勝手に意味をつけ変える。許せない。

 私は昨年4月に平山郁夫美術館(瀬戸内の島)に行った際に本作をみている。それだけこうした政治を知ると腸が煮えくり返る。

因みに平山郁夫「群青の海へ」中公文庫を読まれたい。

平山郁夫美術館はこちらhttp://hirayama-museum.or.jp/

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