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2016年4月

2016年4月30日 (土)

日常の中の爆発音

2016年4月29日晴れ

今日もカヌーチームと船団は出発。マリンセキュリティも監視船も変わらない。カヌーは辺野古崎、大浦湾、長々経由、平島へ。

10時59分、水陸両用装甲車1台が浜に出てきた。12時2分、まだいる。1両だけで何をしているのかと双眼鏡を使った。20人近くが周囲にたむろしている。20脚ほどのいすが置かれている。よく分からないので行ってみる。

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車両に隊旗が置かれている。米国海兵隊水陸装甲車部隊。後方で何かやっているみたいだが、不明。

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左側にあったリボンは取られておらず。さすがに面倒だったのか、上官の目が行き届かないところ(米軍かとすれば)だ、

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浜にはグンバイヒルガオが咲き始めている。

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カヌーチーム練習班が戻ってきた。12時21分。

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陸揚げ作業。手前の彼女が難儀しているので、私がお手伝い。後部を持つ。漕ぐ作業はかなりハードなはず。上腕や足腰だけでなく、腹筋、背筋がものをいう。

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アダンが妙に美しかった。

テントに戻った。

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13時6分過ぎ。普天間のUH-1 が沖合い通過。豊原あたりからシュワブへ。

13時15分、カヌーの本体が戻ってきた。

14時40分、 AH-1(攻撃ヘリ)が沖合いを東に。

14時50分、海保のヘリが沖合いを西へ。

今日は朝から近くの学校からマイクの音が甲高くうるさい。風向のせいも大きい。

そこへ15時12分と45分。2度にわたって廃弾処理の音がした。ズシーンという感じ。子どもの声を封じこめる音量だった。






大浦湾を堂々とカヌーが行く(「今日の1枚」-16年4月30日)

 大浦湾をとりもどす第1歩として、本日16年4月30日、私たちヘリ基地反対協議会と海上行動チームは、10時から辺野古崎から大浦湾に入り、海保の浜前、レジャービーチ前を抜け、作業台船の脇を抜けて、大浦湾を堂々たるデモンストレーションを行ないました。カヌーチームが27隻、船団は4隻等でした。また地上からも第3ゲート前からのエールもいただきながら、天候に恵まれ、風も波も穏やかな、最高の大浦湾を堪能しました。

 沖縄防衛局は、フロート等を撤去するということですが、どこまでやるのか、私達はこれから監視しながら、抗議の声を強めていきます。本格的な撤去作業は連休明けと思われますが、コンクリートブロックや作業台船の撤去、ガイドパイプの撤去を求めていきます。

 本格的な闘いはこれからです。静寂な大浦湾を取り戻し、ジュゴンが棲む大浦湾を取り返しましょう。そこからあらたなやんばるの海と森を基調とした地域のありかたを考え、実現していきましょう。

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後方は作業台船。長島方面に戻るカヌーチーム。(4月30日11時3分 撮影:山本英夫)

カヌーを先導する平和丸1号から撮影。これからも共に頑張りましょう。

今日の海上行動(16年4月30日)

 今日の報道によれば、沖縄防衛局は本日からフロート等の撤去作業に入る。今日はフロート等の引き揚げ先の場所の整理かららしく、実質的には連休明けからになるだろう。約1ヶ月を要する作業になるようだ。この点について、昨日私が予想したとおりになりそうだ。

 しかし問題はフロート等の浮具ばかりか、アンカーとして海底に落としたコンクリートブロックだ。これを全部引き揚げる事だ。

 私達は今日から国の作業を見守るが、2度と海中、海底をいじらないように求めていく。撤去から完全な埋め立てf断念を求めていく。このために環境の破壊についても調査し、問題点を指摘していく。

 これ以上の国の横暴を許さない。みんなの力で埋め立てを阻止し、基地建設を止めていこう。

アジサシが来た!コアジサシだった(16年4月28日)

 4月28日辺野古テント前からアジサシだとの声。こちらからは逆光。よく見えない。そこで浜側に移動して撮影を試みた。結局何枚か撮った。

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漁港の上を飛ぶコアジサシ。

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素速く、きりもみ条に飛ぶのでこれを追いかけるのは大変。しかし何とか20分でカバー。

夏がきた感がする。アジサシ類が飛ぶ海ヲ取り戻したい。がんばろう。

辺野古の赤と白の花

 沖縄の花といえば、この2種が代表的です。辺野古には案外白のゲットウが少ない。また赤のデイゴは真紅の赤であり強烈ですが、近年減少してしまい、なかなか花を見ない。

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 其れを4月28日に両方撮りました。ゲットウは私達のプレハブのお隣の庭。敷地外から撮影。だから荒っぽくて申し訳ない。

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 デイゴは辺野古社交街の近くにある木。なかなか見事に咲いています。デイゴの花を復活させて沖縄らしさを示したいものです。

2016年4月29日 (金)

久々の高江③-N4で監視活動の最中の大型ヘリ演習

 16年4月27日高江③

 写真が多くて3つに分けさせていただきました。これがパート3です。

 13時55分ごろ、N1にてヘリの音が聞こえていた。しかしここからでは撮影不可の距離だとテントの中に居た。14時過ぎ、もしや防衛局が来るのではないかとの情報があったということで、私達はN4に移動した。ここでカヌーチームのメンバーと合流。聞けばさっきから大型ヘリ(ch-53)が何度も低空から入ってきて着陸離陸を繰返していたという。ここでやっていた音なのか。妙に納得。

 14時20分ころ来た。2機。14時30分頃2機。15時2分頃2機。3回繰返した。以下のような感じだ。

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14時31分県道70号を挟んで東側から進入。電線の上をまたぐ。望遠レンズの中に入らない。

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県道をまたいで、イタジイの樹林の越えて降りる。14時31分

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やや南側から2機目が続けてくる。

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我々の上を飛び越えて、降りる。風が舞う。これがオスプレイならば強風の洗礼を浴び、事故に巻き込まれかねない。

 なおこうした撮影は2種類の方法がある。①瞬間、一枚目で決める。②対象の動きを見定めて、2枚目、3枚目で決める。今回は②の方法による。相手の動きを把握できればこちらが確実。瞬間撮りは1発勝負。

 16時過ぎたが、音沙汰なし。

 16時58分、道路の脇にアカショウビンが現れた。観たが撮影は不可。

 この後、雨が降ってきた。米軍のトラック1台が意味もなく3回も往復。ザンザン濡れた。

 17時30分私たち名護組みは一足先に帰る。結局沖縄防衛局、警察の動きなし。無事に1日の監視行動が終了した。


 

島尻安伊子参議院議員、辺野古移設支持だそうです

 今日(16年4月29日)の報道によれば、島尻安伊子参議院議員が4月28日の閣議後の会見で、「辺野古移設支持」を明確に示しました。「選挙を闘うからと、言い方を変えるということは一切考えていない」そうです。さらに「日米の合意から20年経つ。政治は問題解決することが責務だ。そこはしっかりと果たしたいとの思いに変わりない」そうです。

 しかし10年の選挙では『県外移設』を唱えながら、13年4月に『辺野古容認』に転じた過去の軌跡をお忘れでないでしょうね。自民党沖縄県連の転換のお先棒を担ぎ、さらに住民の新基地建設反対運動に弾圧を促した彼女。

 政治とは誰のためのものなのかを全くわきまえないこうした発言は、明らかに反県民的です。反沖縄です。日米安保が大事と考える彼女の口先だけの軽い言説に私達は翻弄される事なく、「台所から政治を変える」なる彼女のキャッチコピーが米国・軍事力に支配された「台所」だと看破しましょう。

 彼女の履歴を調べたら、高校時代にアメリカに留学しています。だから親米なのかもしれませんね。http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/giin/profile/7007002.htm

もっとも彼女のブログをみると、随分政治主張が古い時代のもの。「仲井真知事と共に」のままですね。http://shimajiriaiko.ti-da.net/c91985.html

 このへんを整理されて、すっきりとした主張をすべきでしょう。参議院外交防衛委員会にも所属しているようですから、2枚舌は通用しません。参議院選挙が近づいてきましたので、私達は彼女がやっていることと、言っていることの矛盾をはっきりと見つめて判断していきましょう。

 

やっちゃいました

 昨夜、カメラのデータをパソコンに取り込んでいる最中に、カメラが床に落ちた。まさかの事故です。キャップを外した途端にキャシャという音がした。ガラスが木っ端微塵に。フィルターが全損。レンズは無事で、本体は大丈夫のようですが、ショック。

 フィルターのない状態で使えない(特に海上など)ので、至急対処しなければなりませんが、困った。近くのカメラ屋さんに聞いたら何と1枚6000円もすると。社員価格で買ってもらえれば、1枚1000円もしないのに。今日から連休だし。

 明日は大浦湾での海上デモなので、これに対処しなければならない。また近距離撮影については、コンパクトデジカメに暫く再登場してもらいましょう。

 大分で震度5強とか。川内原発や伊方原発は大丈夫なのか?! 万が一のことがあれば、日本は終わるというのに。当事者意識のない政治家や官僚、財界人。冗談も休み休みにしろよ!地震は致し方ないにしても、2次災害、3次災害は人災だ。絶対にあってはならない。

 フィルターを壊してもやっちゃったですむが、原発事故は取り返しがつかないのだ。

久しぶりの高江②工事を止めよう

 4月27日の高江N1地区入り口(県道70号)に多くの人人が集まっていた。ここは東村と国頭村の村境の近く。

 私が到着時は、広島のヒバクシャの語り部の男性が当事のことを話されていた。被爆者のお話を聞くのは久しぶりだったが、投下された1発の原爆のすさまじさを改めて思う。彼は奇跡的に助かったのだが、通りかかった軍隊(広島の外の部隊が救援にきたのだろう)がたまたま彼等母子を小型トラックに乗せてくれたという。軍隊に助けられたのだ。このへんが沖縄戦とは随分違う。原爆の特殊性が、日本の戦争の話の中で、普遍化されすぎており、軍隊とは?を問わない嫌いがあるように思うのだ。無論私は核を全廃させるべきだと考えているし、武力で平和をつくる事は不可能だと考えている。

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上の2枚は東京等から来られた日本・ベトナム友好の団体(国労)の方々。挨拶されていった。

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「がんばろう」などの歌も歌われた。にぎやかなひと時。

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大宜味9条の会の平良敏子さん。対馬丸事件の生き残りの方だけに、戦争は2度とあってはならないの思いはいつも明確だ。

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大宜味島ぐるみ会議の仲間達。隣の村からであり、上記の9条の会は毎週ここの当番もやっているだけに、切実さが滲み出る。

やはりお隣の国頭島ぐるみ会議も7,8名が参加されていた。

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読谷の彼は読谷村内の基地移転容認の動きをキッパリと告発。村内から出てきた金で動く政治に明確に反対されている。ここを許していては土台から腐ってくる。

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辺野古ゲート前からも7,8名が参加。海上行動も。それぞれ発言し、Tさんがいつものように歌を朗々と歌った。(実はカヌーチームの多くはN4に居た事を私は後で知ったのだ。)

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宜野湾の牧師の島田善治さん。普天間・辺野古・高江と共に闘おうと。『物言わぬ民は滅びる』という彼の警句は田中正造の言葉だと紹介されていた。いやはや私はてっきり聖書のどこかにあるのかと思い込んでいた。正造さんの言葉に改めて納得。

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金武の島ぐるみ会議の皆さん。なかなかしっかりとした発言をされていた。県議選にも言及。米軍の元で働いてきた新人候補に警鐘を鳴らされていたのが印象的だった。

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最後に沖縄の未来を拓く市民ネットから来る参議院選について訴えた。会員になって、新基地建設反対の候補の必勝をと。

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この上がN1の出入り口。ここからの工事を止めよう。オスプレイパッドの建設を潰そう。

12時前に一旦集会を終えた。(発言者はこのほかにも多数在りましたが、ご容赦ください。) 集会参加者は150名余り。なお集会途中に参加者周辺をツマベニチョウが飛び回った。道路上低空を飛び交い、さすが、高江だと思ったものだ。翅の両端がオレンジ色で、素早く飛ぶ姿は美しいのだが、これを捉える事は困難。吸蜜も素早すぎて、私は未だ撮影に成功していない。それだけに興味しんしんなのだ。

 私は14時過ぎにN4に引き返した。(③に続く)






お久しぶりの高江①-歩いて、歩いて

2016年4月27日曇後雨

 私は名護市に暮らし始めて初めて高江に行った。無論何度か平和ガイドでご案内してきたのだが、純然たる撮影はほぼ3年ぶり。高江住民の会の皆様、また行動連絡会の皆様、申し訳ありません。

 今回の高江は、4月27日から沖縄防衛局がN4、N1の出入り口を封している車両の撤去に動き出すかもしれないとの予想から取り組まれたものだ。私もここは行かねばと一念発起したのだ。その心は①高江と辺野古は一体だから。辺野古を止めるためにも高江を止めなければならない。②辺野古の闘いに高江の皆さんは随分きてくれているのに、こちらが行かないのは仁義にもとる。③そもそも私が沖縄に渡ったのは、何も辺野古を撮るためではない。さまざまに広がってしまっている諸問題をきちんと追いかけるつもりだったはず。

 やはり高江といえばバスだよと、名護十字路5時58分に乗る。7時に高江着。そしたらどうだ。高江売店は閉店されていた。もっとも近日再開と聞いているのだが。

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 見事に閉まっていた。

今日はどこに集合なのかよくわからないが、まずは歩きだす。

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大きな葉。新芽なのだが、種名?よく見かけるのだが。

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開いたばかりのゲットウ。上と下がパカッと開くと、花が出てくる。ゲットウファンの私は先ずは嬉しい歩き始め。

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N4に到着。何人かの友人がいたが、今日はN1で集会だと。わかりました。

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N4ゲートのオレンジラインの内側に監視カメラが設置されている。右上、茶色の機会。

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アカメガシワの花。地味だが美しいの典型みたいなやつ等。

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イシガケチョウ 道端に休んでいた。

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足元に咲いている微小な花。2ミリぐらいか。これも種名は?

マクロレンズだと。

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さすがのマクロだが、ピントは1ミリのズレも許されない。

道路上にしゃがみこんで撮影。

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高江のキキョウラン。最近のお気に入り。

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高江にはクチナシも多い。

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北部訓練場メインゲート前。仰々しく鳥居だ。

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通りすぎようとしたのにビデオに私を撮影してくれた。私は許可出していないから。仕方なく応戦。軍警ガードマン。

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ハマニンドウの花(つる性)。(右)

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中川川上流。今年は髄分雨が多いせいか、水流豊富。

9時20分N 1に到着。ざっと100名か。

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それにしても何台の車が停っていただいたのだろうか。知り合い、全く知らない人も。「申し訳ありませんが歩きます。ありがとうございます。」

歩いた一旦をお伝えできただろうか。






















2016年4月28日 (木)

沖縄防衛局はフロートの撤去を4月30日から始めると

 3月4日の「和解」以降私達は、沖縄県も、この国に対して、即刻フロート等の撤去を行なうように申し入れてきましたが、遅ればせながら、沖縄防衛局は来る4月30日に始めると重い腰をあげました。

 しかしこの日、私たちヘリ基地反対協議会、海上行動チームによるフロート等(アンカーブロックを含む)の撤去を要求する海上デモを計画していました。政府はわざわざこれにぶつけて、「片付けます」とやりたいようです。

 であれば私達はこのデモンストレーションを彼等が何を片付け、何を放置するのか、ここをきっちりと見極めて、しつこく全面撤去を迫るステップにしていきます。

 16年4月30日10時大浦湾・瀬嵩沖等で海上デモンストレーションを行ないます。乗船希望者は当日9時30分(9時30分出港予定)までに汀間港においでください。なお乗船定員があり、先着順になりますので、積み残しが出ることも予想されます。

 また陸上からは瀬嵩(せだけ)、または国道329号線の弾薬庫前のゲート付近から見ることができます(天候等による)。

 ご参加、ご支援を御願いいたします。

ピースライブ&トーク(16年5月1日)

ピースライブ&トーク

出演:古謝美佐子・伊波洋一

平和への思いを語り、唄う。

日時:16年5月1日(日) 13時30分開場 14時開演

会場:てぃるる1階ホール(那覇市西3-11-1 ℡098-866-9090)

http://www.tiruru.or.jp/about.html#access

会費:2000円

主催:イハ洋一を国政に送る女性の会(℡098-835-4670)

やはり書けなかった

 「今晩中に書けるかな」と書きましたが、やはり無理でした。「今日の1枚」だけ。それもタイトルの付け方など不適切だったので今直しました。ご容赦ください。

 高江でも工事を始めたい沖縄防衛局、お仕事していると示したい沖縄防衛局の官僚どもがうごめいている。警察も辺野古にさかれていたのが、だいぶ減り(機動隊だけでいうとバス2,3台態勢)この分、高江に回せる。いつでも高江に動かせる。

 ただ今回の動きは、反対している人人と翁長県政との間にヒビを入れることに主眼がある気がします。県議選、参議院選前のジャブ、かく乱攻撃。

 辺野古も高江も共に頑張りましょう。

2016年4月27日 (水)

県道の真上を横切る大型ヘリ(「今日の1枚」-16年4月27日)

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16年4月27日14時31分 東村高江。県道70号線、N4前で。ごらんの通り電信柱・電線の真上を飛ぶ大型ヘリCH-53。隣のN4ヘリパッドに降りた。

黄色の帽子はヘリコプターへの警告の目印。おお怖!

拡大してみていただくと、操縦士、乗員の2名が見え、後部の彼は一眼レフカメラを所持しています。低空から地上を撮っていたのでしょうか。

雨に打たれ、虫に刺され、13時間労働の高江

 詳しくは後で報告するが、本日13時間労働。久しぶりにきちんと高江で撮影を行なった。夜明け前に出て、午後から雨模様になり、沖縄防衛局が来るとの情報もあり、濡れながら、カメラも濡らしながら、虫にさされながらの耐久レース。疲れたのだが、ノグチゲラとアカショウビンを見た。惜しくもアカショウビンの撮影に失敗。

 今朝、今年初めて聞いたアカショウビンを、高江でも聴き、何とわずか3mの目の前で見たものの、ちょいと逸りすぎて、自分が半歩ですぎたために、撮影は不可に。飛んじゃった。これだけで今日の高江に行った意味は大有りでした。次につなぐという意味でも。今度こそ彼を撮るぞ。

 それにCH-53のでかい迫力満点の奴もたくさん撮った。下降気流が届く距離だ。これがオスプレイなら事故りかねない近さ。N4(離発着区域)恐るべし。

 疲れた。腹減った。今晩中に書けるかな。

2016年4月26日 (火)

那覇から今帰ってきた

 今日(16年4月26日)は那覇へ。ジュンク堂でお買い物。懸案だった「自衛隊現況2016」と「防衛白書2016」などを買い、大先輩、後輩等の本や、資料集を買ってきた。必要に応じて読了後に紹介したい。

 余談ですが、ジュンク堂の中にある喫茶店で、ちょいと考えごとをしようと入ったのだが、目の前にあるショートケーキを確認して、頼んだら売り切れだと。え?!でした。6、7個あるのに…。前のお客さんが全部買い占めたらしい。クソ!こんなこともあるんですね。仕方なく別のケーキをお願いしたのだが、これはまたスモールなケーキ。何で値段が同じなのだ。

 考えてみたら、以前のここのケーキはもっと大振りなカットだった。値段は変わらずとも実質値上げになっているようだ。ついでに余談ながら、名護十字路にほど近い中華屋さん。ボリュームたっぷりなのだ。餃子が6個で500円。大きさからして(味も)納得の500円だ。先日の佐世保では同じ500円、6個だが、中味が余りにも小さい。前者の3分の1ぐらいか。これで500円はないだろう。もう絶対に行かないぞでした。

 夜は「沖縄の未来を拓く市民ネット」の総会へ。丁度間に合った。来る参議院選挙の結果は大きな結果をもたらすだろう。絶対に負けられない選挙になる。糸数慶子参議院議員は切迫した状況に触れながら何としても勝たなければとの緊張感が滲み出ていた。

 それにしても伊波洋一予定候補の選挙態勢の構築は大幅に遅れている。ぎりぎりとねじを巻かなければならない。また彼の発言は、主張はあっても、心もとない。北海道5区で善戦したイケマキさんぐらいの切迫感と説得力を期待したい。ガンバロウ伊波さん。

大掃除を敢行

 午前中、ブログのための画面縮小作業をやりながら、トイレ、風呂場、台所、寝室の掃除を敢行。布団も干したし、風呂場などのカビ取りもやった。予想外にスピーデイにできた。部屋がガタついていると、結局やる気をそがれて、大仕事はできない。そのための第一歩。

 午後から某所にでかけ、明日は高江に行く予定であり、今週は何かと多忙。いやはや、いやになる。

 沖縄防衛局さんは、律儀らしく、辺野古がだめなら高江があるさと、高江での工事を進めたいらしい。油断できないのだ。いつもいっていることだが、辺野古新基地建設と高江も伊江島もセット。集中的に演習効率をあげることが目的であり、基地と演習場はセットなのだ。ここに軍事基地の真髄があるのであり、だからこそ共に反対の声をあげていかなければならない。

 これは自衛隊とて同じだ。基地が出来ればそばに演習場を確保してくる。今直接演習場について説明されていないとすれば、それはウソなのだ。こう断言しても間違いないのだ。

 たとえば与那国島の射撃演習場についても、私はあると見破っていた。彼等の説明など詐欺師のようなものであり、簡単に信じてはダメだ。

 大掃除の話から何時の間に不穏な話になってしまったが、身体も心も頭も鍛えながら、がんばろう。

訂正とお知らせ

 昨夜遅くに書いた「北海道5区の惜敗に思う」を補正しました。どうしても深夜にやると頭が寝ていて、単純なミスや勘違いなどもでてしまい、これまでも一部の原稿を翌朝などに補正してきましたが、今回もまたやらかしていました。「男性が」と書きながら「彼女は」とか。お恥ずかしい。また文意がはっきりするように書き直したところが2,3箇所あります。ご承知願います。

 私は今日の辺野古を休みます。ご承知おきください。

北海道5区惜敗に思う(16年4月26日)

北海道5区でイケマキさんが善戦した。しかしいかんせん選挙には勝敗があり、負けた。

以下の報告にあるように12000票さだ。

http://www.htb-asahi-senkyo.jp/sokuho/A0105.html

「野党は共闘」の旗の元、無所属ででて、天下の町村金五、町村信孝の系譜の娘婿である和田某と互角で闘ったのだ。知名度も選挙基盤も桁違いに差をつけられたところからのスタート。市民の立ち上がりが、共と民との共闘が、そして本人のがむしゃらなまでのまい進が、ここまで上り詰めたのだ。

 しかし今回の選挙は決定的な対抗軸をもっていた。今後を占う節目の選挙だった。TPPという北海道においては死活的な問題の是非と、戦争法・戦争につき進むか否かの、改憲をめぐる分岐点だ。

 ここで負けたのだ。

 私は沖縄にいるから北海道の実情を承知していない。だから突っ込んだ議論は不可能だ。しかし最低限のことは考えておきたい。私の友人の北海道の方からこんなメールをいただいた。彼女曰く、相手候補の応援に農民の多くが奔走しているし、この傾向を変えられていない。

 また辺野古テントにお出でになった在る北海道の男性はこういった。彼は、この候補にそんな力はないよ。無理だ。随分遠めでモノを語っていた。

 こうした声と今回の得票数を考えると、壁の厚さに愕然としてくる。それにしても何故変えられないのか? 相手の権力基盤が大きいのだろう。投票して、「いれましたよ」と安心している内向きのスタンス。

 だとすると選挙の政策や戦術ではない。公約でもない。『社会的信用』度(?)だろう。寄らば大樹の陰の類の問題なのだ。

 ここを大胆に越えるためには選挙戦というレベルだけでは超えられない。時間もかかる。ひとりひとりが有権者・主権者として考え直す、考え直させることが不可欠だ。大樹にすがり、利権にすがっていては、それは変わらない。人人にこれまでの生きかた方でいいの?と、新しい生き方が求められているのだ。所謂政治論争ではない、住民自治のレベルから地道に考えて、立て直す世直しの動き。

 50年、100年先を見据えて、どうして行くのか? ここまで覚悟を固めてやっていくしかないだろう。未だチャンスはある。次の衆議院戦と同時に、地道なスタンスをもちながらがんばろう。

 沖縄では6月に県議選があり、7月に参議院選がある。沖縄はここで勝負を掛ける。

 最後になるが、池田まきさん、お疲れ様でした。勝つ方法はあきらめないこと。今後もがんばろう。一度沖縄にもきてくださいね。

 

K君、Yさん、辺野古大学教授に(16年4月25日)

2016年4月25日曇。暑いような寒いような。

 今朝のミーティングで、本日の辺野古大学の教授は、わが船団のK君とYさんだから、聞きに行くようにと促す。いささか緊張気味の二人。

 今朝もバナーが取られていた。リボンまで丸裸にして持ち去った。

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送られてきたバナーを張り出そうと準備していたら、1枚がぴったりとくっついてしまい、文字が見えなくなった。仕方なく裏面に書き直す。縁取りを書くYYさん。

9時前に船団3隻、カヌーチームが出る。

9時22分、米軍ゴムボートが2両海にでている。

10時前、海保の浜から無線。海保のGB4隻を陸揚げしているらしい。結局4隻をあげた。慌てず騒がずに何をしているのかを確実に見て欲しい。

10時ころテントの中に周辺で、ゴーゴー行っているジェット音がすさまじくきこえている。見えず。大型のジェット機と思うがよくわからない。

10時26分、カヌーチームの練習班テント前に上がってきた。休憩。

10時49分、他のカヌーチーム大浦湾の掘削棒あたりにいると。

10時55分、カヌー練習班再び河口から出発。

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真ん中がビギナー。

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河口部で向き合いながら練習している。パドルの動かし方。

沖合いを赤のタンカーが行く。天願桟橋へ、軍関係か。

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私が睨んだ船でなかったが、やはり米軍のための中型タンカー。サニー・クイーン。ホワイトビーチに入港したらしい。

11時50分、カヌー7全員が丘に上がった。

12時32分、13時7分、米軍大型ヘリが飛ぶ。

13時20分ごろ西本願寺派の僧侶等が来訪。私が説明。途中で辺野古大学に行きたいと説明をはしょる。

私は辺野古大学には参加できず。テント番は辛いのだ。だが船団等のメンバーが大勢聞きに行った。15時20分ぐらいに戻ってきたメンバーは一様に上出来だったと嬉しそう。何を話したのか。大勢が来場されたようで、ありがたい。

15時13分、オスプレイが2機飛び去る。

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ちょいと出遅れて遠ざかっていってからの撮影。

他方横浜の方が3名で来訪。最後にギターを演奏していただいた。横須賀平和船団の「船を出そうよ」ほか。懐かしい。
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海を見ながらの演奏に彼も元気をえたようだ。

ありがとうございました。

2016年4月25日 (月)

急遽書いたバナー(『今日の1枚』-16年4月25日)

 毎月曜日に辺野古浜のフェンスに掲げたバナーがいっそうされている。誰の仕業だ?!

ということで、こちらも毎月曜日は新たに張る作業におわれる。ところが今日は張る予定の一枚が張りついてしまい、無理やり剥がしたら、文字がまだらに。見えない。

とっさに裏に書き直そうと。こうして即座にできたのがこれ。

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いつも書いている孝子さんばかりか、今日はYYさんも制作にタッチ。彼女はやたらとさっさと書いていた。このあと「NO」をも補正した。誰でもやればできると、妙に感激してしまった。

てなわけですので、みなさまも書いて送ってください。お待ちしています。趣旨を考慮して文字や絵を考えてください。必ず雨が当たり濡れることを考慮して材質等を選んでください。

送り先は 名護市辺野古 辺野古テント村宛(郵便局か黒猫ヤマト便で願います)

16年5月連休中のカヌー教室へようこそ

 今年もゴールデンウィークがやってきます。辺野古の海では、カヌー教室を集中的に開催します。この機会にご参加ください。

4月29日

5月1日

5月3日

5月4日

5月5日

何れも9時30分集合、辺野古のへり基地反対協議会第2テント(プレハブ)前。12時30分まで。無料。但し、これは遊びではありません。あくまでも新基地建設に抗議し阻止するための手段としての基礎練習です。だから今後も継続的に来られる人が優先になります。思い・志のある方の積極的参加を求めます。共に頑張りましょう。尚、男女、年齢を問いませんが、最低限の基礎体力、健康状態、判断力は不可欠です。まずは見学も含めて参加を募ります。

インストラクターは常にここ辺野古・大浦湾を舞台に闘って来た先輩達です。

詳細は下記の記事を参照。

http://photoyamahide.cocolog-nifty.com/yamahideblog/2015/08/post-8693.html

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16年4月25日辺野古川河口部での初心者練習風景

何故辺野古へ通うようになったのか?

 昨日16年4月24日、O大学の皆さんに私が04年当事この辺野古の座り込み(04年4月19日~)の現場を取材する中で痛く感じ入った事をお話した。以下のこだわりの中から、私の辺野古通いが始まり、その日から12年の歳月が経ち、13年10月に名護市に居を移すに到ったのだ。あぁ。

 改めて記しておこう。私が座り込みが始まってから最初に辺野古に足を運んだのは04年7月。

①市民の座り込みは非暴力。国が作業をやろうと来る事に対して、繰り返し炎天下で説得を駆使してねばり強く行なわれていた。まさに「勝つ方法はあきらめないこと」の姿勢が貫かれていた。これは今でもそうだ。

②初めて船に載せてもらい、キラキラと輝く海に感じ入った。これまでに体験した事のない美ら海であり、これは守らなければいかんと、ほんとうに心が動かされた。

③私の体験してきた1967年の東京湾の新浜。ここで私達は野鳥を守れと日本列島最大の干潟を守ろうと孤軍奮闘していたが、ここで立ちはだかったのが農民・漁民。彼等が「野鳥を殺せ!」と敵対してきた。この構図は04年の沖縄でも全く変わらなかった。海人が埋め立てる・海ヲ壊す側に回らせられ、ボーリング調査の手伝いをやらされていた構造。何故?! 国がお金で買収し、海を放棄させ、こっちの水は甘いよとやる。海人が金で左右されているのだ。哀しい構造を直ぐ想起させられた。誰が悪いのか? 言わずもがなだが、国が悪い。

 お金がすべての価値ならば、話は簡単だ。人類は生き延びられないし、地球は滅びる。核爆弾だって自由に使う戦争も辞さないのだろう。あれから50年近くの歳月が経つのに、未だこのことを分からない人たちが多数派なのだ。悔しい。

 私はただの反基地派じゃないし、単純な左翼でもない。自然との共生こそが生きる希望だと考えているのだ。

 以上の3点を私なりに確信を深めているが、人類が生き残れるか否かがますます危うくなってきている中で、このことの重要さはいっそう重くなっているはずだ。この3点は私の原点というべきことなのだ。

2016年4月24日 (日)

雨は肝心なときに降ってくる(16年4月24日)

 2016年4月24日。曇後晴れたかとおもえば雨。暑い。

 今日辺野古集落の入り口で真っ赤に咲くデイゴを見つけた!車中からなので、撮影不可。ゲットウもあったし、デイゴがそろえば、嬉しいです。

 今日は県内の大学から180名が見える。私が話すことになり(安次富浩さんは出張中)、張りきって準備していたのだ。朝のうち、どんよりとしていたのだが、晴れてきたと喜んでいたら、霧が深くなり。またはれてきたのだが。

 カヌーの練習が行なわれていた。視界が悪いので心配していたが、12時過ぎに無事戻ってきた。

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雲が美しい。辺野古川河口。12時過ぎ

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けっこう夏ぽい。

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辺野古浜。カヌー練習班が戻ってきた。12時15分ころ。

ところが、13時40分、180名さまがきて、辺野古浜でやることになったのだが、フェンス沿いで始めたら、ザンザン降りだした。何たるバッドタイミング。結果的に平和の塔まで戻ってあそこでやった。ここはここで辺野古の集落や沖縄国立高等専門学校がみえるので、話やすい。あそこの奥でホバリングしているとか、印象付けられたのではないか。自分の用意した話をおっちゃって、ここから見えること、普天間基地のことにも触れながら話した。正味20分。

 しかし事前に考えたメモはもう少し吟味したら、標準バージョンにしてもよい内容。付き添いの教員が握手を求めてきたので、概ね合格点をもらえただろう。知り合いの先生だといささか緊張するわ。

 これを機会に個人的にも来訪する学生がでればいいのだが。期待していますと終了時挨拶した。

 何しろ降ったりやんだりで、雨と霧に振り回された1日だった。

猫蟹合戦(性格の悪い猫を撮る)

 今日辺野古のプレハブの庭で珍しいものを見てしまった。猿蟹合戦ならぬ猫蟹合戦だ。

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じっと見る

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横からそっと

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にらめっこ

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上目遣いから

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真横から

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オマエネェ(てなこと言われても)

結語 猫の性格は悪い。蟹をいたぶる悪さ。もっとも性格の悪い人間集団の性格が似たのかも。爪をだしていないから、ただのいたぶりなのだろう。

後期ーこの蟹はその後、無事に草むらから逃げおおせたようです。

キキョウラン、ダイサギ、リュウキュウコメツキガニ、夏の雲近し

2016年4月23日。霧後晴れ。

 今日はブログを書いており、やや遅刻。朝のバスの中から辺りは霧に覆われていた。これじゃ船はダメか。9時27分、船団から連絡あり、視界が悪いので今日はアウトと。カヌーチームもやむなく豊原方面で練習となる。

 私は「霧の摩周湖」ならぬ辺野古で、何か撮れないかと物色。段々晴れてきた。

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丁度カヌーチームが出て行く(9時31分)。手前の白いものは干してある網。

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漁港からは海人が出漁。がんばれ!

辺野古浜に下りる。アレレと思ったが、よくみたらコマツヨイグサとグンバイヒルガオ。根は別でしたよ。

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ちょいと目線を移すと。

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キキョウラン。今日は光の具合が良好で、ベリーグッド。

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シャリンバイ。木なのでやや高いのだが、下から仰ぎ見て、まずまず。

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右の白がコンロンカ(花は黄色)、左の小さな花はキキョウラン。

10時46分、カヌーチーム、全員上陸したと。ご苦労様。

今日の昼食はカレーライスの差し入れ。ありがたい。昼前後にゆんたく。

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タオルが洗濯して干してある。

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12時17分、夏かな?辺野古川河口。

引いた河口を探索。

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私と沿って歩いている。ダイサギは魚を随分咥えている。

ひとまず、海ヲ見る。徐々に出てくる。

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ミナミコメツキガニ。14時10分。

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同じ場所だ。14時13分。

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凄い数。14時14分。

河口の先端まで行った。波が来ている。

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14時18分。

一旦テントまで引き返した。出直した。

今度の狙いはリュウキュウコメツキガニ。

30分ほど巣穴の前で粘ったがダメ。俊敏。

諦めかけた。頭が出た。ここで再度粘ってみる。

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足が出た。15時4分。

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出た! 15時5分。

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右肩から出た。15時8分。全長1センチほど。

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15時10分。何とか撮れた。

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14時26分。河口。福岡から来た子どもが遊んでいる。はだしになって楽しそう。

ノンビリした1日。














2016年4月23日 (土)

沖縄の未来を拓く 市民ネット 結成集会(16年4月26日)

沖縄県民を裏切らない政治家を、国会へ送り出そう

建白書実現! 辺野古・高江への新基地建設ストップ!

普天間基地の即時閉鎖・返還を!

沖縄の未来を拓く参議院議員を誕生させるために、市民の力を結集しよう!

日時:16年4月26日(火) 18時開場 18時30分開会

会場:教育福祉会館大ホール(那覇市古島 モノレール古島駅下車5分。興南高校隣)

登壇者:糸数慶子、高里鈴与、真喜志好一、

参院選予定候補者 伊波洋一(前宜野湾市長)

○いよいよ参議院選挙まで時間が迫ってまいりました。私もこの選挙をオール沖縄の力で、市民が力を出し合って、絶対に負けるわけにはいきません。相手陣営・候補も必死です。沖縄の未来がまさにかかった選挙です。がんばりましょう。(ヤマヒデ)

フォトグラフィックデイズ

 昨日、今日と短時間ながら、撮影タイムが充実。今日はキキョウラン、ダイサギ、リュウキュウコメツキガニといきました。キキョウランはやっと光が回っていたし、リュウキュウコメツキガニは小さく敏感な身体を漸く撮影に成功した。小指の先ほどの大きさで、超敏感・注意深い奴だ。こういうのを撮れるのは、さすが沖縄であり、辺野古だからだ。感謝。

 だからこそ、この海を私は守りたい。普段、基地だから危険だとか、戦場に成りかねないからと言っているだけでなく、自然環境の問題をはずせません。

 自由に撮影ができるのは幸せなことです。だからこそ、こうした場所を守りたい。

 明日は沖縄県内の大学1年生が180人も来訪される。私が講和をすることになっており、特別バージョンの話をするつもりだ。若い沖縄の学生の感度を少しでも向上させたい。こんなチャンスを見逃せない。この場の空間と、今という時間が交差する場から問題提起したい。頑張る!

重要な動きが報じられている

 熊本・大分の地震の状況は一向に収まらず、複合災害の破壊力はすさまじい。対策が後ずさりを強いられもしているのだろう。やはり、災害への備えが社会的基盤としてできていなかったことが改めて露呈している。それに政権の関心が住民に向いていないから、ますますだ。自治体力の底力が試される。

 改めて人間の生活基盤とは何かが問われているのだろう。一時だけの緊急避難的対策だけではすまない問題だ。

 昨日国と県の係争委員会が開かれて、翁長知事と国の双方が意見を述べた。ようやく本格的な論争になるのだろう。行方を注視したい(詳報は後に)。

 また環境省が「重要海域」の選定作業を進めているようだ。海洋保護区の選定に向けた重要なステップになるというのだが、どんなものだろう。沖縄島のほとんどが『重要海域』に指定されており、当然辺野古・大浦湾は含まれている。此方も大いに今後の行方を注目していきたい。

 所詮、日本の国政がやることなど信用ならないが、重い腰をあげたことは大いに歓迎であり、実行力の在る政策にしていくのは、私たちの力以外にないだろう。

 たとえば、やんばるの森を世界遺産にといっても、8000haに及ぶ北部演習場を度外視し、高江周辺にヘリパッドを集中させる分断政治を許しては、どうにもならない。自然環境とは何かが分からない政治家や官僚にまかせていては、逆効果しか生み出さない。

 色々と辛いけどがんばろう。

2016年4月22日 (金)

感動と眠りの一日(16年4月22日)

2016年4月22日晴れ後一時雨のち晴れ。暑い。

 予報では雷雨もありそうとか。カヌーチームと船団3隻でました。11時19分カヌーチーム荒天を予想して早々と帰還。降りそうで降らない。

 釧路から5名が来訪。別海演習場のことを言われたので、私は知っていますよと。そこから釧路の三宅先生が90になられているが、ご健在だと知った。99年ごろ陸上自衛隊の北方機動演習を追いかけていて、知り合った。その後、3回ほどお会いし、お世話になったのたが、その後、道東に行く機会がなくなってしまい、未だ生きているのかなと、大変気になっていた方だ。お元気だと知って、喜んだ。お一人お一人と握手を交わした。

 今日は何回か説明。12時52分ころから雨。強く降る。午前中から今日も実弾射撃演習の音が聞こえてくる。

 食事後、暫く寝てしまった。未だ射撃演習の音がしている。ヘリコプターやオスプレイの音も混じる。

 午後は来訪者も少なく、14時過ぎから植物の撮影に出かける。

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テントから漁港におりたとこりろ。ハマアズキ。いくつも咲いている。

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よく見ると、こんな花も。黄色の小さなクモがついている。ハマアズキとクモ。クモは全長5ミリぐらい。

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これは漁港の駐車場の脇。何だろう?

浜のほうに移動する。

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キキョウランがあちこちにある。実が増えている。風で揺れてなかなか撮れない。

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キキョウラン。小さいが美しい。下向きに咲くし、揺れるし。撮りづらい。

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浜から辺野古集落に上がる藪道で。コンロンカ。背が高く、風に揺れて撮りづらいが、じっと我慢の子。

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お墓があって、脇に咲き誇る。ブッソウゲ。でかくて、ダイナミックな美。

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テッポウユリ

浜を見下ろしたら、修学旅行生がきていた。
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漁港内で。ルリハコベ。これも小さい。

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テント脇。コメツブウマゴヤシ。小さい。2,3ミリ。

15時15分ころテントに戻る。








 

月桃(「今日の1枚」-16年4月22日)

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 今年も月桃が咲き出した。数日前から気づいていたが、撮れず。これは自宅近くで。場所が悪く、葉っぱがいささか変色しているので、あんまりよくないが、ひとまずの月桃。

 沖縄の植物の中で美しい花のひとつであり、毎年撮りたくなる花だ。それにしても未だアカショウビンの声を聞かない。どうしたのだろう。今年こそ、真っ赤なアカショウビンを撮りたいものだ。

モード、または愛

 帰宅。今日は少々植物の撮影を行った。これは先日U君から「長崎・佐世保・対馬の植物」の続編を御願いされたのだが、それよりも辺野古でどうかと思ったことと、たまには心を休めて、じっくり植物に向いたいと思ったからだ。結果はあとで記すが、辺野古でも花々が案外咲いているものだと思った。特にマクロレンズも駆使しようとがんばると、1ミリ2ミリの違いで、良し悪しがはっきり出るので、集中力が問われる。少々風が吹いただけで、数ミリから数10ミリ動いてしまうので、大変なのだ。

 このように注意深く観察しながらやると、何故か愛にいきつく。生物を大切にしたいとの思いであり、これは無論人間にも重なる。愛があれば、これほどの争いや憎しみ、無関心は生まれない。下種な人間でも、もうちょっと何とかなるはずだと、信じたい。争いに支配されている状況では、愛は生まれないし、育まれない。卵が先か鶏が先かはともかく、愛を平和を大切にせず、争いを求めていては、人間は自滅するほかないのだ。「勝者」も敗者になり、自滅していく。歴史から学ばないものは、真の意味で愚者である。

 撮影は如何なるモードに自分があるかで、決まる。私の場合であれば、自然モード、報道モード、軍事モード、記念撮影モード、人間モードなどだ。だから心の準備がないときに、急に撮ってといわれても、撮ろうと思っても、少々時間がかかることがある。無論、現場ではほぼ同時にあれもこれも撮らざるを得ないことがあるが、幾つかのモードを意識しており、パソコンじゃないが表に出ているアイコンだけでなく、裏に隠れているアイコンをぱっと引き出せるようになっているから可能なのだ。

 モードと愛がいかにつながっているのかは、別の機会にするが、間違いなく通じている問題だろう。一言で言えば他者(他事)への関心だろうか。

パソコンの動きが良くなった

昨日からのトラブルで、インターネットを使えなかった分、他の仕事をやっていた。大量の削除をやったからか、今日の動きは調子いい。カメラからの大量のデータの取得も1枚分やった。やるべきことは多数あるが、今晩は寝る。お休みなさい。

 いい写真がとれれば、パソコンの動きがよければ、気持ちがいいが、気持ちがよければ、パソコンの動きもよいにならないのだろうか。ならないか?

水陸両用装甲車が海に、カヌー隊とニアミス(コワ!)

2016年4月21日 曇後晴れ(暑くなった)

朝のうちは雲って居て、視界も悪かった。海上はどうにも撮影日和でない。未だ寝不足もあり、今日も地上に。

9時過ぎから浜のフェンスにバナー張り。孝子さんが行くと言うので、私もお供。同時にシュワブの浜に水陸両用装甲車も出ており、これを撮影。

 カメラをだす関係で私は追いかける形に。

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19日にMさん、Yさんがやった「うみがすき」の脇に一枚。

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丁寧に一枚。

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そのとき、カヌーチームが海に出る。

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フェンス越しの撮影。30名ほどが打ち合わせ。この際、フェンスをどの程度出すのか、潰すのかを考えて、フェンスへの距離と露出を考える。そうしないと、まだら-みたいになりかねない。

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こちらはフェンスを消して撮影。

9時26分米軍のゴムボート3台が海に出て行く。

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9時30分、3台が次々に海に出る。フェンスが引っかかってしまった。薄っすらと茶色いのはそのせいだ。動いているものはちょいと難しい。

ヤバイ! 向うは航路ぞいだろう。そこにわがカヌーがいる。Y船長が素早く本部に電話。無線を飛ばしてもらう。

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だがカヌーは回避行動を取っていない。いや逆にじたばた動かずと決めたのだろう。装甲車は目視しているようで、ゆっくり走っている。この車両は、船舶と違い、前部で波を立てるだけでなく、推進力がジェット推進なので、後方から烈しく波を掻き揚げる。その分、至近距離に巻き込まれたら、怖い。

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3台が行く手前に居るカヌー。ひやひやものでした。何事もなかった。

やはり浜に装甲車が居るときは、航路に入らない、近づかないを原則にしたい。

残りの5両は動かない。

13時ころ、今日の辺野古総合大学に三上智恵監督が見えた。ドレスアップされている。

私も撮りにゲート前に上がりたかったのだが、テント番が足りず、下に。お客さん多数だったらしい。

13時過ぎ晴れてきた。暑くなってきた。夏だ。28度だって。来訪者も多く、忙しい。15時ころ神奈川からの2名の20台女性にやや丁寧に話す。折角来られた若い人にわかってもらわないとならないのだ。

16時前後にオスプレイ上空を飛び去る。





2016年4月21日 (木)

日常の中に闘いがあるのだ(16年4月19日)

2016年4月19日晴れ。すがすがしい晴れ間。

朝、辺野古テントで、安次富さんが「オスプレイ!」と叫ぶ。どこ?「港内徐行」の「港」の上。え? なんのことはない。ミサゴでした。「だって騒音は聞こえていないだろう。」 これにはまいりました。

 そんな冗談の中に安次富さんに海保から電話が。カヌーチームが岸に寄りすぎているから離れてと指示しろと。軍警が騒いでいるらしい。米軍は目取真さん逮捕以来かりかりしているようだ。いつでもみせしめ逮捕のご様子。

 9時50分ころから実弾演習の音が聞こえてくる。

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辺野古川河口部豊原側。緑のアーサがきれいだった。

10時15分頃、カヌーチームから無線連絡。シアター(赤色の瓦の建物)付近で米兵がシュノーケリング訓練中。通行の際、きおつけてと。

 テントの中にきりっとした若い男性が一人で来ました。話をしたら伊江島に行った帰りだと。わびあいの里で、阿波根昌鴻さんのことを聞いてきましたと。丁寧だが積極的な姿勢が垣間見える。聞けば、文化座の役者F君。今度、阿波根さんと瀬長亀次郎さんの苦闘を描いた新作に挑戦するようだ。知らないことばかりでと、現場に来てよかったとおっしゃる。時代は移り行くが、根本は変わっていない現在、芝居を通して時代を描くことはとても重要だ。頑張ってと、やや詳しくここの問題を解説。これからゲート前に行って、明日は不屈館(亀次郎さんの記念館)に行ってきますと。

 感性豊かで、状況に敏感な役者がいることは劇団の生命のようなものだ。

これまでの文化座の沖縄関連の演目 http://bunkaza.com/sp/okinawa/okinawa1.html

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今日はこの漁港前での座りこみから12年。その割には静かだ。私一人で12年、12年と騒ぎすぎたのか。4384日。一人ひとりの持続する志がここまでつながり、大きくなってきたのだ。苦しいけど愉しいし、嬉しい、じゃないか。無償の志の力は強いのだ。

12時過ぎに辺野古浜に行く。三重からの常連メンバーのMさんがリボンをフェンスにつけていく。「うみがすき ヘイワガスキ NO BASE」。シンプルだがこの思いだよ。

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キキョウラン。実に美しい。だが、撮るのは難しい。なかなかうまくいかず。悩ましい花だ。

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浜でリボン付けを撮影中。何だか聞きなれない鳥が舞う。おう!てなものだ。チュウシャクシギとホウロクシギ。一気に自分は盛り上がる。

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浜ではこんなものもおちていた。浮き。カメノテの仲間がたくさんついている。一旦固着してしまえば離れない。このまま生きながらえるのか?

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汀にて。ホウロクシギ(右の2羽)とチュウシャクシギ。他にセイタカシギも合流。ここはフェンスの向こう側。これ以上近づけない。

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アルソックのお兄さんたちが此方を凝視している。左上が彼等の監視所らしい。悪いけど色気ない連中だ。

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フェンス際からマナヌ岩を望む。このフェンスが邪魔だ。






 

インターネットとの接続が不可になっていました

 お詫びー昨日4月20日19時ころより、先ほど(4月21日17時30分)までインターネットとの接続ができませんでした。お陰でブログの続きをかけませんでした。ルーターが不調をおこしていたようです。今晩はまた少し書きますのでよろしく御願いいたします。

 なおまだメールの受信に不備があるようです。完全な回復まで暫くお待ちください

2016年4月20日 (水)

イケマキさんを応援しています(北海道5区衆議院補選)

来る4月24日が投票日の北海道5区の衆議院補欠選挙。私も沖縄の地からイケマキさんを応援しています。

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4月19日オホーツクの方が応援に辺野古テントにきてくださいました。私たちも北海道の政治に関心をもっています。共にがんばろう。

 池田まきさん。1972年生まれの東京出身のフリーのソーシャルワーカー。調べたら板橋区の福祉事務所にも働いていたそうです。私も23区内の社会福祉主事(ソーシャルワーカー)でしたから、いわば後輩。時期がずれているのでお会いする機会はありませんでしたが。

 彼女は「野党は共闘」の中で、立候補を決めた無所属の候補。何よりも素晴らしいのは「誰一人おいてきぼりにしない」であり、「誰もが安心して暮らせる社会をつくる」に彼女の思いが凝縮されています。このモットーは重い、辛い。福祉の現場に居れば、その重さが辛さが分かります。北海道に移住したあとも社会福祉にこだわってきたようです。

 北海道の政治ですから、まずはTPP反対。当然です。集団的自衛権反対、改憲反対なども重要政策。私とはやや距離を置く政策もありますが、北海道らしく自衛官の安全・命にも心を配っています。食と観光、都市と農村など沖縄とも共通する課題もあります。彼女の政策は以下をみてください。

http://ikemaki.jp/mypolicy

 当選したあかつきにはぜひとも沖縄に来ていただいて交流したいです。自衛隊と米軍の問題もますます重要になってきていますから。お待ちしています。

 しかしこの選挙、全くアンフェアな環境下で行なわれています。以下のとおり。政党が圧倒的に有利。おかしいです。これが正当な選挙なのか疑わしい。

「5.pdf」をダウンロード

アルソックの監視の中で(「今日の1枚」-16年4月19日)

 2016年4月19日はここ辺野古漁港前での座り込み12周年。私は大層こだわっていたのだが、どうも皆さんの関心が薄い。沖縄タイムスはちゃんと報じてくれたが。

 しかし「今日の1枚」はこれ。極めてトピック的だ。

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ここはキャンプシュワブに。盗られている浜。かすんで見えるのはフェンスがあるから。

主題は干潟で戯れるシギたち(ホウロクシギ、チュウシャクシギ、セイタカシギ)。といいたいのだが、後方にいるアルソックの皆さん。

彼等はシギに興味があるのではない。多分見えていないだろう。私がきわどい撮影をしたので、私を注視したのだ。シギたちが遠い。このフェンスが阻んでいるのだ。すこしでも近づいて撮りたかっただけなのだが、彼等は近づくなと、飛んできたのだ。

私は彼等の動向を直ぐに察知したので引き下がった。なぜならば、彼等が近づけばシギたちは飛び去ってしまう。シギたちは北国へと渡る最中だ。多くの餌を採りたいのだ。

私がここでホウロクシギを観たのも、セイタカシギを観たのも初めてだ。単純に嬉しかったのに、アルソックの奴らめ。いやいや日米政府め! 許さん!

この浜を米日政府の軍事基地から解放して、沖縄の浜に、沖縄の海に、自然・地球の海に取り戻そう。

片山虎之助参議院議員の「タイミングのいい地震」発言

 大阪維新の会の共同代表である片山虎之助参議院議員が党の会合で4月19日トンデモ発言をしたようだ。沖縄タイムスほか複数の新聞が報じている。

「タイミングのいい地震」だと。その後発言を撤回したようだが、ここに彼の信条・心情が吐露されたのだろう。

http://this.kiji.is/95130680880726022?c=39550187727945729

「終盤国会になってから地震が起こった。政局の動向に影響を与えるのは確かだ。大変タイミングがいい地震だ」といってしまう彼の信条・心情とは?

とうてい「言葉の使い方が不適切だった」などの釈明では、言い逃れができない発言だ。権力に擦り寄る態度が露骨であり、改憲派政党を率いるだけのことはある。他人の不幸を笑い、大震災をも改憲のステップに使う安倍政権の本音と共鳴している。全く「主権在民」の原則を無視しており、自分たちに都合よく政治を変えてしまおうとの本音がプンプンと臭ってくる。

彼は元自治省官僚、消防庁の次長で退官。消防行政にもかかわっていた彼がこういうのか。改めて怒りで震える。http://www.toranosuke.net/profile/index.html

いずれにしても私達はこうした国会議員が多数いることを自覚して、総退場していただこう。彼は来る参議院選挙にまたでるのだろうか。岡山県が選挙地盤だ。

落選運動をやるべきだ。一票が届くのは余りにも限られている。だからこそ、落選運動だろうし、日常的なチェックが重要だ。

ただでさえ、腐りきった国会を変えられるのか、戦争を引き出す政治をやめさせられるのか、改憲に待ったを掛けられるか否かのラストチャンスでもあるこの4月から7月。ひとりひとりが何ができるのかを考え行動したい。共にがんばろう。沖縄は諦めないですからね。

4月20日は辺野古を休み、少々燃料を補給します

 ちょいと時間が不規則になりすぎたため、4月20日は辺野古を休みます。やっと長崎・佐世保・対馬・佐賀空港を書きました。20日、与那国の続報を書きます。熊本地震の件でもこの国の暗雲がたちこめており、これも書きたい。

 それにしてもこの国はひどい。福島の原発事故を隠蔽し、熊本地震の問題も過小評価して、暖簾に腕押し。

http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/134000c?platform=hootsuite

こんなことをまじめに言うのか。官僚、学者、政治家、財界との4重奏。地球を壊して、人間を壊す悪魔達。

 怒ると体を痛めるのでやめたいのだが。これから寝ます。20日5時。

長崎市、佐世保市、対馬に佐賀空港

旅先で考える

1:何故旅に出るのか?

 毎回旅に出る度に、何をしたいのか、何を撮るのかを考えながら企画を決めて、実行する。ただ余りにも時間がないので、準備不足は否めない。初めてでかけるところは、さすがに知らない分、準備するのだが、数回行った事があれば、まぁこんなものでと行ける分、杜撰になりがち。困ったものだ。

 同じ場所にいると、段々と鈍感になることもある。だからこそ新鮮な感覚を求めて、違いを分かるために旅にでることがある。

 私の旅は、軍事の追いかけと、自然を撮る事の2つに絞られている。また、武力に拠らない平和を求めることだろうか。旅に出るのは、もちろん空間の移動だが、空間を動けば、その場、その場の時間を巡ることになる。私が定めている歴史的位相は近代以降だが、しかし近代以前の影響を無視できないと考えており、いまさらのように近世以降まで辿る事がある。

 こう考えれば、どこに行くのも知らないことだらけ。とても観光ガイドは役立たず、事前に本を求め、旅先で資料を求めてくる。特に何度も行かなければと思い定めているところの資料はたまってくる。

 撮影はこうした集積智の結晶になれば、いいものができるはずだ。大きな課題。

 

2 長崎市、佐世保市、対馬、佐賀空港を巡って

 今回は大急ぎで回った。長崎市は先ずはプロローグであり、何はなくても長崎市だろの類。佐世保は海軍基地と陸自の相浦駐屯地、対馬は陸自の対馬警備隊と朝鮮通信史、佐賀はオスプレイ基地が予定されている佐賀空港。

 長崎市には多分10回ぐらい出かけている。原爆の長崎であり、軍事産業の町。三菱重工や石炭の採掘の歴史。佐世保は書いたとおりだが、これから陸自の基地が強化されようとしている。対馬は朝鮮有事を見据えて警備隊と称する部隊が琉球諸島以前に配備されており、かつ陸・海・空の3自衛隊がそろっている。ここは対馬藩の時代から、日清・日露の戦争以来、防人の島として苦難をなめさせられている。多分調べれば調べるほど、歩けば歩くほどさまざまな問題があるだろう。佐賀空港はこれからのオスプレイ配備を巡って焦点化されてきたが、今回私はまず第一歩を記してみた。

 4月5日、6日に訪れた長崎は、5日夕に、長崎中華街だろで、行ってみた。ところが何故か本日閉店のお店が多く、いつもの賑わいがない。もともと中華街でも横浜の中華街と比べてはならない。横浜が大きすぎであり、また、長崎の小ささは官許の場だからこその規模によるのだろうか。

 長崎は異文化が混在した街であり、さまざまな軋轢があったのだろうし、あるだろう。だからこそ、観光という表の顔じゃない部分も分かれば、奥深い現状を理解できるはずだ。

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長崎港。対岸は三菱重工。行きかう五島列島などへの連絡船(赤のライン船)。

 6日朝に行ったグラバー園は1863年スコットランドのトーマス・ブレーク・グラバーが居住した家を中心に、後に移転させた洋館ともども鎮座している庭園(1974年開園)。長崎の街は江戸幕府の鎖国の中で、海外居留地になり、海外の人と文化を受け入れた「国際交流」の地だからこその歴史がある。グラバー園の長崎湾の対岸に三菱重工の古くからのドックがあり、この庭園は三菱を見渡せる特等席だ。今回はさしていなかったが。

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大浦天主堂。

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グラバー園から望む三菱重工のドック群。護衛艦が修理中。

 佐世保は6日午後相浦駐屯地を回った(別稿で触れる予定)。7日に海軍基地を回る予定にしていたが、生憎の風雨で中止。こちらは沖縄に居るので、豪雨みたいなものには慣れているのだが、無闇に濡れても悲しいだけ。撮影は不可だし。

 ただ休憩にするのはなんなので、佐世保市の図書館に行った。2度目だが、郷土資料のコーナーが充実している。文学では村上龍とかも佐世保出身。いやはや久しく読んでないが。

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相浦駐屯地。相浦川対岸から。トラックや燃料タンクが見える。

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駐屯地の近くにある大崎教会のマリア像。

 対馬は8日と9日に行った。ささっと2日間だけ。前回の14年5月に対馬警備隊の演習場(上見坂展望台周辺)の場所を突き止めたので、今回もこのルートを巡った。今回は遭遇せず、不発。私が考えるに、同島内に他にも演習場があると思われる。ここは朝鮮戦争に備える警備隊だから、難民対策と、難民に紛れ込む対テロ作戦が中心になるはずだ。この調査も不発だったので、私が想定している場所については、確証を得てから明らかにしたい。

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厳原。イカを干している。

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朝鮮通信使の碑。厳原。朝鮮との外交が対馬藩の努力で重ねられた。江戸幕府にも行列をつくり交流を重ねた。

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対馬警備隊(厳原)を見上げる。

 むろん私が対馬にこだわるのは、警備隊が石垣島や宮古島に置かれる動きを見通して居るからだ。ただ対馬は朝鮮戦争に際して、地理的地形的に後方支援にほぼ限定されるが、琉球諸島の場合、中国と正面から構える形になり、後方も前方もない。ある意味で最前線になるのだ。

 対馬に私が興味を覚えた根拠に、対馬藩の歴史がある。かのちは森の島。田んぼは極小。経済基盤が貧しい。だからこそ、彼らは平和外交に徹しようとしたのだ。一番近い、朝鮮とも仲良くしようとした。そこをあの豊臣秀吉が朝鮮侵略に駆り立てた。対馬藩は苦悩しながら、後背地としての協力をさせられたが、侵略の尖兵にならなかった。因みにこの時間に稼いだのが島津藩だ。領土を拡張して、石高を上げて、琉球支配の基盤を作ったのだ。日本史から見ると朝鮮、沖縄とみえてくるのだが、琉球史から見ると、また別の構図が見えてくる。こんな事は学校教育では決して習わない。「正史」からはずれているからだが、侵略された側から見ることが益々重要になっているのが現代だ。

 県立対馬歴史博物館(在、厳原)に今回寄ってみた。貴重な資料をたくさんもっているのだろうが、展示品は猫の額の規模。対馬藩の平和外交などまるでなかったかのようだ。がっかりさせられた。学芸員の活躍と住民の支持を期待したい。

 同じ島に自衛隊がおり、平和外交の歴史がある。島の人が平和をもっと発信できないのだろうか。

 自分の勉強不足があり、もっと調べなければならないが、武力に拠らない平和を追い求め、連帯していければ、そこに武力が配備されていても、ひとつの可能性はあるはずだ。沖縄島だって歴史から学び直してきたのだから。

 それにしても韓国人観光客の多さに、圧倒される。言葉が分かれば民衆交流が可能になるはずだがな。

 佐賀空港は行っただけの時間(数時間)しかとれず。地図もなく(調べたらでてきたが、あとの祭り)。ここをオスプレイの拠点にするとすれば、反対があるからだけでなく、狭い。土地の拡張が必要になるだろう。ないしは小規模の基地にしてから、おいおい拡張の話がでるのか。ここ南側が有明海であり、漁協が反対している。眼と鼻の先にオスプレイは嫌でしょう。当然だ。決して造らせないことだ。

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佐賀空港。有明海の海苔罅が見える。

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佐賀駅南の小公園で。パンジー等が美しかった。

2016年4月19日 (火)

微妙な光を求めて(16年4月18日)

2016年4月18日曇一時雨。

 辺野古テントは賑わいました。カヌーや船団は天候の激変を気にしながらでていきました。

米軍の廃弾処理(爆発)は午前中何度も何度も。

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たまたま干潟を見下ろしたら、ミナミコメツキガニがたくさんでていました。

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テント脇で来訪者に説明する安次富浩さん。

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雨雲の下に一条の光が。辺野古ブルーを際立たせます。

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テントの中では今日も孝子さんが説明に奔走していました。土砂搬出反対の全国からの皆さんが40名おいでになりました。

私も説明何度も頑張りましたよ。

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辺野川河口にも一瞬だけ晴れ間が。この一瞬を掴むのが容易じゃないのです。

13時45分から断続的に雨。

16時前のテント撤収の時間は雨はなく、助かりました。





 

2016年4月18日 (月)

明日、辺野古テントでの座り込み12年を迎えます

 今日は2016年4月18日。明日でここの座りこみは丁度12年を迎えます。詳細につきましては明日にしますが、ひとつの節目を迎えます。今日はテントに琉球新報の記者が取材に見えました。明日の紙面に私達の写真もでることでしょう。

 今日は来訪者も多く、私も何回も説明させていただきました。印象を深めてお帰りになれれば、幸いです。

 今日は天気が悪かったのですが、微妙な変化があり、労せずにいい写真を撮る事ができました。テントの中から、労せずというのは贅沢な話し。唯一の労はベストチャンスを見逃さない事。ちょっとした波のかげん、光の出方、風の吹き方、雲の動き。

 帰ってきたら、「沖縄の怒りと共に」が届いていました。表紙が私の写真。今号のタイトルが「『工事中断』後の辺野古の海 完全に勝ち取るまで、闘いは続く」です。私の写真とどんぴしゃのタイトルで嬉しいです。編集者が勇気をもらったと言われていましたが、皆さんを力づけられれば、ありがたいことです。これからも共に頑張りましょう。

 これから土砂(埋め立て用)搬出反対の皆さんとの交流会があります。友人達もこられており、これからでかけてきます。

2016年4月17日 (日)

今日は日曜日モードだが(16年4月17日)

 2016年4月17日(日)曇後晴れ

今日は日曜日モードのように見えたが、一部そうでもないのだった。

9時過ぎに入ってきた情報によれば、エクアドル(太平洋側)でM7.8の大地震発生。津波の可能性。60年のチリ地震の際は、ここ大浦湾周辺も被害を受けており、今回も要注意だろう。継続して情報を確認していこう。

 ふとテントの外にでてみれば、

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モンパノキに停まるイシガケチョウ。ほぼ3mも在る高いところ。降りてこないかな。

今日はカヌー教室。20人参加。

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一部の班が辺野古川河口沖を豊原方面に抜けていく。今朝の雨で赤土が流れている。10時23分。

来訪者は少ない。すっかり日曜モードに。

 ところが日曜だから出てきた人たちがいました。ゲート前に街宣右翼のガナリ声が聞こえてきた。また

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13時45分、マナヌ岩付近に海上保安庁のGB2隻(右の2隻)。15時ころまでこの辺をうろうろ。何しに来たのだろう。新人研修か。多分、此方のメンバーと遭遇しない時間を選んできたのじゃないか。なお左はマリンセキュリティ(民間警備会社)のもの。

 Yさんが目の前の海岸のゴミ掃除。

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これは漁業用の浮き。ロープをよくみると。

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長さ数ミリのカメノテの仲間(マクロレンズで撮影)。成体は固着して動かない。海洋生物は不可思議。

15時16分上空をC-130、1機が北東に飛んだ。

日曜日なんだけどな。





ここは落ち着いていくほかない

 11日に九州から帰って来て、与那国の稲川さんが亡くなって、自分も呆然としていたようだ。先ほどお金を下ろそうと辺野古から直接出向いたら、通帳がない。トホホ状態。未だ通帳は旅先の袋の中にしまったままだった。そんなわけで、手持ちの現金がなく、買い物もできない。ベスト2着と財布とズボンが同時にアウト。昨日名護のお店でベストの安いものをみつけたのだが、お金がなければ買えないのだ。

 すぐにでも与那国に出直そうと思ったが、ここは気持ちをおちつけて、ことにかかりたい。せいてはことを仕損じるの格言もあることだし。与那国の皆さん、誠に申し訳ないが、まずは自分のパネルの制作(無論、与那国・石垣・宮古も入る)や講演会での中身の再構成などをやっていきたい。5月中に伺います。

 アベ政治は熊本地震をも使って、米軍との「オトモダチ」作戦とか、緊急事態条項とかいって中央集権のファシズム国家をつくりだしたいようだが、私が考えたいことは地域からの政治。地域自治。政府は自己責任を第一にもってきて国家責任を後回しにしてきたが、自己責任を主張するのであれば、地域からの解決能力の向上が第一義だろう。ここを普段から支援もせずに中央依存を図りながらの「自己責任」。これもアベコベ政治の典型だろう。おふざけでないよ。

視界が悪かったが海に出た(16年4月16日)

 16年4月16日曇 案外涼しいというか、少々寒かった

今日の私は久しぶりに海に出た。私は「美ら海」で、M.O船長とY船長見習いとの3名で。船3隻とカヌー14隻(他に練習班あり)。天気が悪く、視界も悪いが、和解後の海の状況を見ておきたかった。

9時26分出港。9時38分、「2J」のブイ近くからフロートを越える。

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ごらんの通りの視界の悪さ。作業台船が2隻見える。まだまだ3台の台船は撤去されていないのだ。

9時47分辺野古崎の大浦側で待機する。

するとどうだ。かの辺野古崎に軍警とアルソックが併せて9名も。ここを通るカヌー隊を捕まえようとの構えだ。先日の目取真逮捕を髣髴とさせる情景だ。

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10時27分、カヌーの皆さんが見えた。3重のフロートを14名が越えるのだ。

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余り近づいていないのは、これ以上前に出ると座礁の危険。

私達は3班担当。こちらの3名にマリンセキュリテーがしつこくまとわりつく。これを迎撃。

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慌てて遠ざかるマリンセキュリテー。

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長島脇にある掘削棒。早く撤去しろ!

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レジャービーチ前を行く。あちらにいるのは、休暇中の米兵(左)。おや工事中かと思ったのだが、文字通りレジャービーチの様子。

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青の台船の前を巡回。
ロープにかからないように注意して進む。

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こちらは1班と2班の練習。カヌーでの曳航後に不屈からカヌーに乗り移る。

こちらはわが美ら海の上でも練習。O船長がアンカーを引き揚げる際の操船を教えている。そのときの風の強さと風向、潮の動き、海底の状況を把握しながら、動かせと。

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再度、カヌーチームは海保の浜の前へ。

そして、今日のメニューは終わり。12時過ぎに私達の船も戻る。因みに今日の海保はGB2隻とマリンセキュリテーが5隻。

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フロートの内側を飛ばす不屈(Y船長)。

12時35分港に帰還。

13時過ぎにテント2にて、昼食。今日は差し入れ弁当に舌鼓をうつ。

それにしても防衛局はまだフロートすら撤去していない。アンカーやブイごとすべて撤去すべきだろう。

午後は風が出てきた。いささか寒い感じだ。














2016年4月16日 (土)

熊本地震を悪用したこの国の悪政を断ち切れ!

 4月14日に起こった熊本地震。16日未明にも震度7を記録する地震が発生しており、まだまだ地震が頻発している。そのうえ、大雨が降り、洪水等の土砂災害が発生しており、阿蘇山すら爆発をはじめている。震災等の災害は現在進行形なのだ。

 特に活断層に沿って、震源が移動中でもあるようであり、不気味だ。震源地が拡散し、さらに被害地が広がる可能性や、被害の様相が多様化する可能性が高い。この国がまずやるべきことは、被害を拡大させない事であり、まずは被災状況を確認していくことだろう。また念のために近くで動いている川内原発を止めることだ。これは佐賀県の玄海原発、愛媛県の伊方原発についても、可能な限りの予防措置をとるべきだろう。福島原発のときのように、爆発してから慌てても取り返しがつかないのが原発なのだ。

 中谷防衛大臣は、自衛隊に米軍との共同作戦を検討していると示唆しているが、これは米軍様との「おともだち」ぶりを掻き立てるものだ。実効性よりも政治的な宣伝戦。緊急な対処が必要な時に米軍のご協力を御願いし、調整・準備に時間を掛けている場合ではないはずだ。

 また米軍が出動するとなると、沖縄からの部隊が動くことになるだろう。人殺しを旨とする軍隊に他ならない米軍の支持率をあげるような、沖縄と「日本」の分断策を高めるような政治を私は明確に拒否する。抗議する。

 こうした災害の中でこそ、政治を住民・市民に寄り添うように私達が変えていく契機にしなければならないはずだ。政府が垂れ流し、マスコミやインターネットが拡散する誤情報に私達は踊らされてはならない。

 

朝ぱっらから沖合いを米海軍の貨物弾薬輸送艦が通過

2016年4月15日。曇後晴れ。丁度暖かな気温。

朝8時過ぎに辺野古川沿いにテントに向うとなにやら貨物弾薬輸送艦が沖合いを行くところ。テントに着いて早速撮る。

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丁度良いタイミングを外してしまい、ならばと、コントラストの出やすい岩陰の場面で(マイナス3分の1補正)。8時45分ころ。多分、天願桟橋に向うのだろう。事実15日10時ころ、同桟橋に着岸。リムピースによれば。http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/160415take7.html

その報告によれば、4月6日横須賀港を出て、津軽海峡、日本海、対馬海峡、佐世保港、辺野古、天願桟橋だというから、ものすごい展開をしている。

今日も朝から射撃音が聞こえてくる。

カヌーチームは今日は10隻ほどがでた。14時ころまで。12時頃から波風がでてきた。

私は午前中に千葉県佐倉のグループに説明。

午後にある仏教系の団体がきて、安次富浩さんが説明していた。

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テント前で現場のほうを指差しながら。

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いつもの光景だが、たまにはちゃんと撮っておかないと。時々彼が寄稿する原稿に添付したいといわれるし。

そのぐらいのお手伝いはしないとならないのだろうな。

ちょいとゆんたくしながら午後の時間を過ごした。

晴れ間が出て活気が出た辺野古(16年4月14日)

 2016年4月14日。晴れ。久しぶりの晴天にすがすがしさすら覚える辺野古。4月10日に盗られた横断幕を悪天候に阻まれて張れていなかった。やっと張りに行く。

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辺野古浜へ。足取り軽く。

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次々と張り出す。

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これは東北と沖縄の連帯を願ったもの。

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この青のジュゴンは、先日の落とし穴に使われて砂まみれになったもの。きちんと再生して公開した。負けるもんか。

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これは自前でつくりました。「寿」の地に絵を重ねた。順光に映えて、意外と目立っていた。

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辺野古浜。これからカヌーチームが出掛けます。

テントに戻ると、新たな掲示板ができました。まずは旧を外します。

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すっきりできました。Tさんに感謝。

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以前のものより丈夫にできました。

カヌーチームなどの海上行動は、昼すぎに切り上げました。

この日の米軍演習はけっこうけたたましかった。

8時代 廃弾処理の炸裂音2回。

9時9分、同1回、9時59分、同一回、10時15分、同1回、11時23分、同1回、11時29分同1回、11時40分、同1回、12時23分同1回、12時28分同1回、13時24分同1回、計11回。他に射撃演習は随時。私達は現場が見える場所まででかけたのだが、音はすれども煙があがらない。不思議。どうも久志岳の奥で隠れているのか。

名護市の基地対策課に電話すると、演習の詳細は不明。「通常訓練」だとのお答え。演習時間の特定もないようです。

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12時30分米軍のゴムボート4台が出て海ヲ荒らしている。

大型ヘリCH-53が13時23分、東に飛び去る。

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14時1分、米海兵隊の大型ヘリが沖合いを通過。西へ。低空だがやや遠く。

14時39分から在る労組に説明。1時間たっぷり。







2016年4月15日 (金)

まずご報告(16年4月15日)

 今朝、辺野古沖合いを米軍の補給艦が天願桟橋(金武湾)方面に移動していきました。ああゆうのいつみても不気味です。朝から嫌な感じがしました。朝方は未だ曇り空で、鮮明に撮れませんでしたが、撮った。

 熊本方面の皆さん。大丈夫でしたか? 震度7とか。私は、あの2011年3月11日の東京で、立っていられないほどの揺れを体験しています。大地が揺れるって予知できないし、足元が揺れるわけだから、怖いです。

 今朝、熊本県内の友人に電話したら、電話が通じ、無事だと。ほっとしました。ただし余震が断続的に続いていると。熊本城の石垣がかなり崩壊し、立派な屋根瓦がずり落ちています。

 熊本県には、与那国に新たな部隊を置いた西部方面隊総監部がある健軍もあります。健軍の駐屯地にはそう言えば、行っていないかもと思っていた矢先の地震。健軍にはそのうち必ず行きますから。

 私達のヘリ基地反対協議会のプレハブ小屋(在辺野古)に海山建設様のご尽力(ボランティア)で、新たにトイレとシャワー室が完成し、関係者のご利用をお待ちしています。今晩は感謝とお祝いの会。では。

吉川勇一さんの散骨式に参加して

 2016年4月11日、吉川勇一さんの散骨式が渡嘉敷島近海で行なわれた。私は沖縄在住の友人として参加させていただいた。

 吉川さんといっても知らない方が多いだろう。1965年から1975年に掛けて行動した「ベトナムに平和を!市民連合」の事務局長であり、その後も、「市民の意見30の会 東京」などで活動されていた。

 私との接点は、べ平連時代、私が小さな大学の学生であり、彼はべ平連事務局長であり、当事の私には「お偉い人」のイメージしかなかった。要はほとんど接点がなかったのだ。彼個人を知るのは、1987年以降の反戦の共同行動の場であり、市民の意見30の会とのお付き合いからだった。

 2015年5月28日、彼は心不全で84歳の生涯を閉じた。私は既に沖縄在住だったから、そのときのお葬式やその後に行なわれた「送る会」にも参加できなかった。

 今回は沖縄で散骨式をやるから、沖縄在住のお前は、参加してねと言われており、また私の連れ合いは、吉川さんを師としてきた関係も含めて、参加することになった。丁度、私は10日に福岡から那覇に帰ってくる予定であり、その意味でも参加しやすかった。

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11日9時ころ。待ち合わせ場のとまりん奥の八百屋さんの前で。彼は料理が好きだったと晴子さん。私はこの長ナスに見惚れながら店内を写させていただいた。

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正面は魚の市場。「いゆ」って、魚のこと。

参加者は11名。ご弟妹が4名、市民運動の関係者が7名。そのうち沖縄在住者が2名。

生憎の雨模様。どうなるかと心配したが、ひとまず出港。

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ガンガン飛ばす。しかし余り揺れない。私は辺野古・大浦湾で慣れてますから。ただし雨と波しぶきがかかります。カメラもレンズも濡れました。

11時ころ、海況の安定した場所で停船し、準備を進める業者の人と様子を見入る参加者達。箱の中に置かれている白い袋に骨が砕かれて収納されています。

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妹さんが海に。

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最後まで看取った市民運動づきあいの隆二君も。

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晴子さんも。

どんな思いで吉川さんとのお別れをしたのだろう。

もちろん私も散骨にも参加。市民運動家の彼と、最晩年の彼についての話とのギャップにいささか動揺したのかな。

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お花を思い思いに海に捧げました。万物流転。生死の循環を信じたい。

ここでは多くを語れません。あのべ平連運動が提起した当事の個人原理は、組織を重視してきたセクトからの重圧の中で葛藤が大きかった。もちろん今でも未成熟ですが、個人原理・市民原理を私・私達は尊重してきた。沖縄の非暴力・抵抗運動の中で、新たな地平を作り出していきたい。個人と集団の相互関係の中から。

しかしせっかく今という時代に沖縄でやったのだから、もっと多くの勇一さんの友人達が参加して欲しかった。多分、勇一さんは、そう思っているのじゃないだろうか。

10日夜遅くに千葉県三里塚から参加したY君がたけのこをもってきてくれた。これを私がいただいて、辺野古の海上行動の仲間達に持参した。

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これは12日のテントの中で、大きなタケノコを煮込んでもらった。13日休んだ私は食べれないかと思いきや、14日にタケノコご飯を食べた。おいしかった。

こうして時空を越えて、ひとりひとりの思いやりから、自分たちの誇り在る豊かさを獲得していくのだ。

吉川勇一さん、これからは、にらいかないから、私たちを見守ってください。















2016年4月14日 (木)

雄飛するミサゴ(「今日の1枚」-16年4月14日)

久しぶりに「今日の1枚」を復活させます。今日はこれです。

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雄飛するミサゴ 

廃弾処理の現場を撮れないかと出かけて、外れ。辺野古テント前に戻った途端に目に入ったのがこのミサゴ。近い!と、長ものレンズを上げれば、レンズのフードがない。落とした。一瞬戸惑いながら、翼の裏側が開いた瞬間を3枚。これは2枚目。しっかりと左足に魚をゲット!全開長1mにもなるミサゴ。かっちょいい。

 私が落としたフードは予想通りの場所に落ちていました。拾えてセーフ!

組織で来ている人にも、個人の関心に寄り添ったアプローチ

 今日は9日ぶりに辺野古テント前で新基地建設の非・否を説いた。彼等の団体はある鉄道会社の労組。一通り話し終わり、質問や感想をいただいた。ある方は、自分は戦争に協力したいがために今の会社に入ったのではないと前置きされて、何故沖縄に鉄道がないのか前々から疑問に思っていたと言われた。

 この話がでたのは、私の説明の中で、既にこの国は戦時体制になれば、鉄道(労働者)にも戦時協力がかかってくる法律が施行されており、皆さんに戦争協力が強いられかねないのだと話したことからだった。沖縄には戦中まで幾つかの軽便鉄道があったのだが、あの沖縄戦で破壊されつくし、72年まで米軍の統治下に置かれてきたのだとお答えした。また、モノレールは2003年に開通(首里から那覇空港)したが、いまだに沖縄島の主要部に米軍基地があり続けており、鉄軌道の開通は悲願といわれながら、なかなか進捗していないと。

 こうした問題意識ならば、彼等彼女等のお仕事からして、すんなり入るだろうと、私は考えたのだ。

 また同じ彼は自分はダイビングをやっており、ここからこの海を見ただけでも、直ぐにでも潜ってみたいと言われたので、改めてきていただければ、魅力的な宝の海が待っていますよとお話したのだ。

 さまざまな個人的な関心が分かれば、色々なアプローチが可能であり、私たち自身の奥の深さが試されもしているのだと改めて考えた次第。相手がある組織だから、この組織にはこうだけでなく、個性の多様性に応じた接点をもっと探る努力が、個々の参加者に、忘れがたい印象を残し、ここから考え直す可能性が生まれるかもしれないと思ったのだ。

 

今日は暑くなった(16年4月14日)

 今日は晴れて暑くなりました。すっかり夏の気分。私が辺野古テント前で東京からみえた労組の方々にお話していたら、オオゴマダラが50センチぐらいの高さに飛んで、思わず「オオゴマダラ!」と叫びました。9日ぶりに話したので、やや調子が低調でしたが、オオゴマダラの出現に励まされて、なんとかなった。

 帰宅したら2件嬉しい報告が。宮古島のS様が与那国の部隊配備の問題点を投稿されたのが掲載されたとの報告(私の写真も添付され)と、先日いらした兵庫のK様から、お礼が届いていました。運悪く4月5日の自分の旅立ちの日だったので落ち着かなかったのですが、微力ながら役立って、良かったです。

 色々と書くべきことがたまっていますが、またのちほど。

今日はパネル制作のための買い物に出掛けた

 3月25日~30日与那国、4月5日~10・11日、九州北部・慶良間付近での散骨、そして4月11日、与那国の仲間の死。疲れた。

 そんなわけで、4月13日は辺野古を急遽休み、パネル制作のために発注していた画材をやっと取りに行った。予想外の重さ。バスを降りたら風に吹かれて、飛ばされそうに。生憎雨も降ってきて。Oさんが明日東京に帰ると、飲み会にそのまま行った。いつもの飲み屋の場所が分からなくなってしまい、やや迷った。方向感覚がなくなるほど疲れているのか。

 無事に交流をして、帰路に着いたのだが、雨もやみ、風もおさまっていた。良かった。

 パネルの制作に取り掛かるのだが、基本設計ができているので、詳細設計に入る。これができないと駒選びはできない。また今回は新たな画材を使い、新たな規格にするので、1枚造ってみてうまくいくか確かめてみないとならない。その分、失敗してもいいように余計に買ってきた。他の画材等は名護に在るお店でも間にあうだろう。4月中完成はむりそうなので、5月連休明けを目処に頑張りたい。

 時代に追いつき、追い越す知的な流れを作りだしたい。いつまでも大衆迎合で、権力に媚び、差別意識丸出しの「日本人」「ヤマト民族」意識を克服できなければ、オシマイダ。民族主義とかいいながら対米追随なのも笑える。戦争をやった子ども達(孫たち)は、硝煙の臭いが好きなのだろうか。

 哀しくてやりきれない。ついでに私が何故反戦なのかといえば、この点を抜きには語れない。戦争の歴史を振り返ればどれだけ、いじめが横行したか。体罰が当たり前だったのか。人の命を人権をどれだけ無視したのか。それでも国家が大切なのか? 自己を喪う事の危うさを自覚しなければならない。

 こうした歴史とは自分の心身の中に埋め込まれているのだ。だからこそ容易に変えることはできないのだ。これは父親から教訓として学んだ事でも在る。戦後民主主義者になれても、差別主義を克服できなかったオヤジ。こうしたことを殆ど自覚できていないから、安倍のような手合いが生まれ、安倍支持の連中が相対多数のままなのだ。

 愚劣なエリート意識と差別的な感情。軍隊のような序列意識の構造は、こうした差別を露骨に再生産していく。軍隊が社会の真ん中に侵入してくるとは、差別を増長していくものだ。だから、単純な殺したくない、殺されたくないだけでは、すまない問題なのだ。

2016年4月13日 (水)

稲川宏二さんの志に寄り沿いたい

 未だ信じられない。稲川宏二さんが亡くなったなんて。3月上旬の夜、一緒に話し込んだ。3月28日の隊旗授与式では門前で、意思表示されていた。

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この意思表示。15名ほどが思い思いの気持ちをこめて集まっていた。左から3番目が稲川さん。「戦わないで 仲良くしよう」。16年3月28日12時15分。

この「戦わないで 仲良くしよう」に、彼がこめた思いは何だろう。意味深だ。最前線に位置づけられた自衛隊員の命の危険に思いをこめているのだろう。もちろん住民の命の重さをかみ締めている。

 彼がこの10年ほどの間にやってきたことは、何だったのだろうか? 島の人人の思いは何だろうか? 

 一人ひとりの思いと、一人ひとりをつなぎ、力を付けていく事。他人を縛らず、お互いに支えられる組織のありかた。彼は家父長的なもの、権威主義に陥らないように努力していた。

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カタブル浜。3月26日15時5分。干潮時。与那国島では珍しい自然の内湾。足元はさんごだらけ。

彼は4月10日、ここから海に潜ったらしい。貝を取りに。ダイビングもベテランだったらしい。11日朝、捜索中のダイバーが水深10m地点で彼を発見。11日8時、与那国診療所の医師が死亡を確認。

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カタブル浜から西側の海(しまの南側)。3月26日15時54分撮影。

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3月26日16時過ぎ。ここは南側の海岸の中でも随一の絶景地。以前は南牧場の馬がここまで来ているのを見なかったが。

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3月26日16時58分。夕日を浴びながら西に向って歩いた。シマアザミが美しい。

彼は与那国の海を見ながら何を思っていたのだろう。ここに何が見えるのかすら人によって違うのだから、何を思うのかなど、余りにも違うだろう。もっと彼の思いを受け止めたかった。反省しきりだ。

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北牧場のうまたち。3月28日16時54分。

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北牧場の牛達。3月28日17時41分。少し気持ちが落ち着く。

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3月28日6時40分。夜明け前。西崎。ここは国境の島といわれるが、ここから閉じるあり方に彼は疑問を抱いていたはずだ。国境を越えるあり方を私は考え続けたい。

戦争を呼び込むなど愚の骨頂だ。





主が追い出された旧南牧場周辺(16年3月28日、29日)

16年3月28日、29日の旧南牧場周辺の馬達を追いました。

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3月28日12時54分。旧南牧場の外(海)側の道をかっての主である馬たちがとぼとぼと行く。牧草地を追われて、条件の悪いところで食べなければならない。

 右上の集団は着任したばかりの自衛隊員。周辺を銃をもちながら歩いてました。

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3月29日16時43分。やはり与那国監視隊の駐屯地前。盛り土は弾薬庫。

こちらは道路を隔てた海側の草地。正面の丘一帯が南牧場だったのだ。

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3月29日16時59分。旧南牧場の最西端から。上の建物群周辺が与那国監視隊に取られた。拡大してご覧ください。

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3月29日16時33分。監視隊の柵にまで上がって、餌を食べる馬達。道路から約2m上。

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こんなです。3月29日16時36分。悲しく、涙が出てきます。

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そして左上の馬は果敢にも監視隊入り口(工事現場の入り口)を通ることを試みましたが、このクレーン車に阻まれた。主が追われる。3月29日16時40分。

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とぼとぼと戻ってくる。こんな現実に誰がした?! 3月29日16時41分。



今日は急遽辺野古を休みます(16年4月13日)

 起きたら7時を過ぎていました。ちょいと疲れたので、今日は辺野古を休みます。4月末の与那国の事など書かなければならないことが残っています。

 沖縄に帰ってきたら、どうも天気がよろしくない。雨模様が続いているようです。昨日も悪天候で、海上行動は早々に切り上げていました。

 パネルを造るための材料が入荷したので、取りにいかなければならないので、行ってきます。

2016年4月12日 (火)

雑然とした中で

 旅先で、ズボンの生地がホンマに破れてきた。足を伸ばすとびりびり。今日は財布のチャックが開いてしまい、小銭がばらばら。海水をつけたらダメでしょうと、Y船長。金属が腐食して、閉まらなくなっているのだ。真水で洗えとのご指摘。この財布はここ2年間で何度も海水の中に漬け込んでいるので、寿命がきても致し方ない。

 朝の辺野古での打ち合わせの折、与那国島の稲川さんが亡くなったことを皆さんに伝えた。少なからぬ人が報道を読んでいて概ね知っていた。「NO BASE」を書いている孝子さんは、新聞を精査している人であり、与那国にも関心をもっているので、彼女のほうからお悔やみの声をかけていただいた。

 今日4月12日は、普天間基地返還(欺瞞的)合意から20年の日。夜に那覇で集会があった。行く気はしなかったが、皆さんが行くということで、私も便乗。行けば、よし撮るぞと、気合が入る。

 有形無形の励ましを皆さんから受けている。ありがたい。

 イソバの会の稲川さんが3月30日に東京で行なったスピーチが同会のブログにでていた。http://isobanokai.ti-da.net/e8562499.html

またユーチューブにもあがっている。是非見てほしい。

これは果たしていたずらなのか?

旧聞に属してしまうが、恐縮ながら、ここで4月5日に立ち返る。

9時過ぎに急報が飛び込んできた。浜のフェンスに貼ったあったバナーが怪しげな事になっていると。何だ?!私が現場に駆けつけると。

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フェンスとは反対側の漁港側。バナーが3枚。地割れしている。報告者によれば、落とし穴。一輪車も置いたまま。

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バナーを持ち上げれば開く。掃除のホウキが約1メートルも入る案外大きな落とし穴だ。落ちたら危険だ。

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これは何か? 菓子類の食べ残し。

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フェンスを見る。わざわざここまでもってきた。

悪質な徒か。用心しましょう。

しかし、子どものいたずらに見せかけた、悪意ある威嚇かもしれない。一輪車で穴を掘った砂を周囲にまいて、平らにして、隠した。次回はフェンスの側に造るぞとの脅しを暗示しているのかもしれない。

今回はたまたま発見してくれたが、注意していこう。不審な足跡などに、要注意。

このように横断幕は今日も健在だ。私達の志気も、もちろん健在だ。

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ベストデコレーションかワーストバリヤか、超難しい!

対馬で私の狙いは大はずれ。このまま帰るのかと思いながら歩いていると、ヤマガラが姿を見せた。

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道際の木に出てきてくれた。じっくりと撮影できた。久しぶりにみたので、感動した。4月8日午後。ヤマガラはシジュウカラの仲間。

そしてどんどん下山していくと。美しいサクラの木が。めじろがいるよ。どれどれと探してみたが、なかなかよい場所にきてくれない。サクラの花弁は最高のデコレーションなのだが、これが最悪のバリヤになる。メジロは花の蜜を吸うのだが、最高のアクロバッター。

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さかさまにぶら下がりながら。

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正面にきたが、顔に光が回っていない。

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今度はさかさまに蜜を吸う様を捉えた。

拡大してみてください。

約60分粘って、60枚から70枚撮影の中で、数枚がましか。



稲川宏二さんのご冥福を祈ります。

 4月11帰宅して、色々と片付けていた。別の島の友人から電話がなった。稲川さんが亡くなったと。一瞬絶句。

 4月10日午後、比川のカタブル浜から貝を取ると友人と潜ったらしい。一たん陸に上がって、彼だけが再度海へ。夕方戻らないので、捜索。11日朝、海中で発見され、死亡が確認されたようだ。

 死因は不明だが、彼は与那国島で陸上自衛隊の駐屯に反対してきたイソバの会の共同代表。

 3月28日の隊旗授与式に自衛隊の駐屯に反対の意思表明をされていた。あの日の彼は私用があり、また話そうねと分かれたばかりだった。原因の究明が待たれる。

 彼は2月の私宛のメールで基地建設反対から島を戦場にさせない闘い、島の兵隊の命と人権を守る闘いになると決意を語られていた。大きな軋轢を受けながらの生と死。

 悔しい。哀しい。だからこそ彼の遺志を引き継いでいこう。島の皆さん、がんばろう。

新聞記事からhttp://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=163126

長崎・佐世保・対馬の花たち

 16年4月11日夕方に帰宅。メールを読み、ブログを書き始めていたところに、衝撃的な電話が。愕然とするばかりだ。

 気持ちを盛り上げる意味をこめて、今回の美しかったものを紹介したい。

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長崎市グラバー園の椿。4月6日撮影:山本英夫

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レンゲソウとキンポウゲ(?) 佐世保市相浦の休耕田で。「大学駅」そばで私が撮影していると、通りかかりの女性が、「きれいですね」と声をかけてくださった。「気がついていなかった」と、ありがたられてしまった。地元の自然ヲ大切に見守ってくださいね。

4月6日午後撮影:山本英夫

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同じ場所で。ここは私有地であり、フェンス越しの撮影のため、やや自由に撮れないために、四苦八苦。

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ツツジの仲間。対馬の山際で。ピンクと黄緑の対比がいいね。4月8日撮影:山本英夫

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こちらは園芸品種の何? 白に赤が寄り添い。グラバー園。4月6日撮影:山本英夫

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サクラ。グラバー園。私はほぼサクラを撮らない。あえてあげたのは、沖縄に居ると珍しいのと、長崎空港に展示されていたサクラの写真展(大村市主催)のひどいこと。すべてアンダーで暗い。白が白くならないのは、+補正を知らないから。

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椿。これは対馬の。あえて+補正して明るく。周囲を飛ばして肝心な部分を浮き上がらせる。シンプルな美しさ。

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シロバナタンポポ。対馬厳原の歩道際で。4月9日撮影:山本英夫

まだまだありますが。このへんで。


2016年4月11日 (月)

九州から帰ってきました

 16年4月5日からスタートした今回の旅は、長崎市、佐世保市、対馬、福岡市、佐賀空港をめぐって参りました。結果は芳しくありませんでした。

 もっとも、ただの市民としては、事件・事故がないほうが、嬉しいのですが、報道写真家としては、成果なしかよみたいな。今回は調査のための撮影でしたので、幾つかのことをあとでご報告します。

 写真の結果をだせないと。暇つぶしに色々とやってみます。此方も後で写真をだしましょう。肝心な与那国の報告もまだまだ残っています。

 文章だけでご報告できる事をいくつか。まず、新聞の問題。長崎新聞と西日本新聞を読みました。10日は久しぶりに朝日新聞福岡本社版も。

 なんだかぺらぺらな感じ。読むところがないというのか、これは取っておかなければという記事がない。ローカルなニュースなりの突込みがない。投稿欄も何々読んでみるかのものがない。むろんたまたま私の関心を引くような記事がなかっただけかもしれませんが、沖縄の2紙と比べて、ニュースに対する視線が淡すぎる。これは、ある住民の目からみて、どういう問題なのかを書いていない。記者がニュースの外側から書いているだけ?

 9日の夜、博多で交流会がありました。こちらは福岡で大成建設の歴史を報告する加藤宣子さんを講師に迎えた集会のあとの交流会に私が参入しました。Tさんのお計らいです。

 久しぶりの博多での会食に期待していたのですが、なんと私を待っていたのは8名の女性達。一人も男がいないって、どうよでした。

 飛行機の関係と宿の関係で私は1時間遅刻でしたが、いくや否や与那国のことを聞きたいと、質問攻めに。皆さんの真剣な眼差しに、飲食しながら話している場合じゃないと、まずは状況をきちんとお話ししました。これは島の視線だけでみていたら、ダメなのです。

 無論、辺野古や高江のこと目取真さんの不当逮捕の件などもでました。ついでに私から警備隊がいる対馬の自衛隊の話もさせていただきました。

 メンバーの中に沖縄出身の方がおり、彼女の眼差しが印象的でした。外にいるうちなんちゅの気がかり度合いをひしひしと痛く感じました。彼女が聞きたかったことのどこまでを話せたのかわかりませんが、酒の入った交流会なのに、全く酔わずに遠くの宿に無事に帰れました。

 他の皆さんも熱心でよく事を承知されており、基本の基に遡る必要なく、どんどん質問を重ねてくる気合に私はいささか押されぎみでした。すこしでもどうやったら伝えられるのかとの思いを考えさせていただきました。

 講演会じゃないので、事前の準備なしで、不十分な点については、真に申し訳ありませんでした。参加された皆様、真にありがとうございました。

 お料理もおいしかったです。ちゃんぽんも懐かしい。

 場所をセットしてくれたTさん、ありがとう。

2016年4月 5日 (火)

それでも与那国は美しいのだ

 与那国島が自衛隊の島になった。私は大いにショックを覚えた。しかし今回5泊6日の旅だった。自衛隊を追いかけながらも島の美しい自然に励まされた。以下少々紹介したい。

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16年3月25日14時35分。飛行場から久部良に向う道で。アカバナー。沖縄にはどこにもあるが、やはり赤の原色が原種に近いのだ。

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3月26日7時39分。西崎灯台から眼下を見る。最西端の佇まい。

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3月26日10時25分。久部良付近。ルリタテハ。美しいものはついつい、無意識に真ん中にもっていきがち。それでは絵にならぬ。ぐぐっと引きなおすこと。

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3月26日12時16分。久部良の裏の田んぼで。セイタカシギ。

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3月26日13時16分。比川の田んぼ。ダイサギの群れ。全部で70羽いた。2日後には全くいなくなっていた。

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3月26日16時8分。南牧場。牛が1匹。

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3月26日16時35分。南牧場南の海。雲と風で光が海面を動く。

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3月26日17時5分。南牧場の南側の海岸原。ヒメキランソウ。

3月27日は荒天のため撮影不可。

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3月28日6時40分。西崎。最西端の島の朝。妙に感慨深い。月。

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3月28日6時55分。西崎から朝焼け。太陽。

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3月28日14時頃。久部良から比川へ。

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3月28日15時59分。久部良岳の下から。

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3月28日16時54分北部牧場。

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3月28日18時51分。久部良 夕日の見える丘。ちょっとロマンチック。

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3月29日15時41分南牧場の東南。クソエンドウ。

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3月29日18時22分 西崎灯台から。

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3月29日18時27分。日が沈む。

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3月29日18時38分。真っ赤な太陽。

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3月29日18時42分。残照。

じっくりと堪能してください。















2016年4月 4日 (月)

今日もテントで。雨ザーザーの一日

 2016年4月4日。曇後雨。

今朝、目取真俊さんと再会した。無事にカヌーチームに復帰。彼は皆に支援への感謝とこれからも頑張ると思いの一端を語った。

月曜日は毎回辺野古浜のバナーが取られている。今日もやられていた。

今日は船団3隻、カヌー7隻。慎重に大浦湾まででた。これに、海保GB6隻、マリンセキュリティ3隻、シュワブの浜に軍警6名、民間ガードマン若干、それなりに構えているようだ。

10時過ぎから風・雨が強くなってきて、抗議の態勢を解除し、撤収へ。

今日も演習場からの射撃音が絶えなかった。午後には雷鳴混じりの騒音下に。

11時前に市民自治を目指す三多摩議員ネットの4名が来訪。昨日今日と、自治体議員ネットの沖縄での集会に参加されての来訪だった。私をたずねてくれたのは昨秋の東京都あきる野市での講演会の縁。全員市議なので、質問も鋭い。観光・リゾートになれば、また自然は壊される。どう考えているのと。今の「オール沖縄」にこうした傾向が含まれている。そこをどう考えているのかと。

私は持論を繰返す。無論、自然と共にとリゾート開発は矛盾する。経済成長主義を超えることなしに、沖縄の未来も、どこの未来もない。短期目標としての参議院選挙と長期目標の基本。地域自治であり、国に依存しない地域経済。これが可能か。主権者として、生きかたに磨きをかけなければ。長いものに巻かれろではなく、地域自治。個々人が生きるために何をすべきなのか、してはならないのかを考えていかないと。それは如何すれば可能になるのか。私も明答は持ち合わせていない。楽しそうな生きかたのなかにある陥穽。気がついてからでは遅すぎたになりかねない。もはや取り返しが利かなくなる最終的な局面だろう。結果的に1時間ほどのゆんたくになった。

14時過ぎからは来訪者が途絶えたが、射撃音はやまず。

淡々と1日が過ぎた。

慌しい日々

 3月30日に与那国島から帰って来た。しばらくはこちらの報告に集中したいと思っていたら、目取真俊さんが不当逮捕され、大慌て。この間に、突如原稿(写真)が欲しいとの申し入れがあった。これを今朝送信した。工事中断後の臨時立ち入り制限区域の中を快調に航行するカヌーと動力船の姿に感動したとの返信が届いていた。

 そして以前に頼まれていた写真の督促が電話であって、これを今日明日中にやらないとならない。こちらも辺野古・大浦湾の海の写真。上記の写真を選ぶ際にめぼしをつけておいたので、さほど選ぶ手間はかからない。

 明日からまたでかけてくる。4月11日に帰宅予定。今回の目的地は何箇所か。与那国島のように一箇所に留まって、チェックをして問題点を探るやりかたはできないので、偶然性が大きくものをいう。しかし運を呼び込むのは事前準備と問題意識の確かさ如何。

 そんなこんなで、慌しい。今日中に与那国の事など、幾つかあげておきたいのだが。書くことが多すぎて困った。

2016年4月 3日 (日)

目取真さん、今日3日午後、ゲート前に行っていたようだ

 目取真俊さんの今日のブログによれば、午後からゲート前に行って、お礼やら報告をしていたようだ。誤認をしてしまい、申し訳ありませんでした。

 ここに訂正させていただく。彼のブログを見てください。

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/98acd3f27165c77fb5742ee06aac3977

今日は日曜日なのだ(16年4月3日)

2016年4月3日 晴れ。今日は日曜日だったな。

 昨晩、Aさん、いやいや目取真俊さんが、不当な拘束・逮捕から解放された。今日は日曜日でいいのだと思う。普段、曜日の感覚0だから、たまには休みにしていいはずだ。

 今日は米軍の演習もなく、ただただカヌーの練習生14名が近くの海に出ていた。無線を聞いていても、のんびりできた。

 ゲート前も昨日の今日だし、人が少なかったらしい。午後はそこに右翼が来て、騒がしかったらしいが。目取真さんもさすがに疲れたのか、今日は姿を見せなかった(訂正-午後からお出でになったそうです)。

 その代わりかなんだか知らないが、4月1日のコンビたちが3名来ていたので、色々と聞いた。いつもの辺野古側から大浦湾側に回りこむコースを定石どおり進んだところ、軍警が4名いて、Ⅰさんがカヌーヲもってフロートを越えようとしたところを押さえこまれた。其れを認めたので2名で対応したが、結果として目取真さんが軍警に引きずりこまれたようだ。彼等は目取真さんの本名を知っており、誰だかわかっていた。

 こうした行動は、米軍の指示がなければできないので、米軍も基地建設の遅延を分かっており、不安に思うのだろう。

 ところで辺野古の浜は安寧な状態でなかった。

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sさんによれば、バナーが1枚外されたと。何枚かも外されそうになったが、無事だった。車が奥まで入り込み、暴れた跡が残っていると。車が走り回り、ご覧の通り。

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フェンスの際まで。

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タイヤの跡。乗用車じゃない。モット大きな車のタイヤ。
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最後はこれだ。コメツブウマゴヤシ。微風だが、油断ならない。ぶるぶる震えているのだ。

 

与那国沿岸監視隊の建設状況

 これまでも当ブログにここの建設状況を知りたいとの検索が多数入っていました。今回改めて撮影しましたので、少々検討しましょう。

 2016年3月28日隊旗授与式。正式に「与那国沿岸監視隊」が160名規模で発足。しかし工事はまだまだ継続中です。当日の記者会見でも、工期についても回答はありませんでした。確たる答えをいえない段階なのでしょう。

 与那国島は東西に長い島です。周囲30キロもない。西に、西崎があり、久部良。東に、東崎があり、やや東よりに町役場も在る祖納があります。またほぼ真ん中の南に比川があります。人人はその3つの集落に暮らしています。

 今回建設中の駐屯地を大きく分けると、2箇所です。久部良の高台から続く南牧場跡地に広がる兵舎群。25ha。他に祖納地区といわれる比川集落に近いインビ岳中腹のアンテナ群。1ha。

まず、久部良から。

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西崎灯台から見た久部良のアンテナ。右の大きいの。その右奥が祖納地区のアンテナ群。まだ周囲の台地に重機が多数あります。16年3月28日朝。

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久部良のアンテナ群の台地の一角はまだこんな。3月26日11時29分。

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西崎灯台から。右奥の高台をみてください。アンテナとやや離れたところに管理棟が見えます。3月29日18時11分。

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ややアップで。久部良の集落内から。3月28日午後。台地の整備が続行中。

南牧場側は。

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南の海岸沿いです。まだ足場、仮囲も取れていない。そこに銃を持った部隊が出てきました。3月27日15時48分。

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左上が弾薬庫。右の建物が前の写真の建物。弾薬庫には避雷針も、空調の管等未設置。まだ使用できないはず。3月29日朝。

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こちらは東端の建物。まだコンクリートを流し込んでいる。3月30日朝。

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上から見たのだが、やや霞んでいて。右奥が弾薬庫。

祖納地区(インビ岳)は

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右奥にアンテナ群が。

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近づけば。5棟。右に管理棟。まだ重機があります。

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比川。何かといえば、祖納地区と南牧場地区をつなぐ光回線の点検作業中でした。マンホールを開けてチェックしてました。3月29日11時20分。これがつながらないと電子情報の傍受に不備があります。電子情報は無線と有線の2回路でつながるのです。

基地の中は全く舗装されていません。赤土だらけ。宿舎も完成していない。作業員のプレハブ暮らし。家族住宅は祖納に1箇所。18戸分のみ。

命令ひとつの転勤、ご苦労様です。












2016年4月 2日 (土)

Aさん、解放されました(16年4月2日19時過ぎ)

今入ってきた情報によれば、昨日不当にも拘束され、逮捕されていたAさんは本日19時過ぎに釈放されました。良かったです。私もほっとしました。

 皆さんのご支援、共感に感謝します。

 それにしても治外法権としての米軍基地・区域、国内法が歪められている現実に改めて違和感を覚えます。これを契機に私も日米地位協定、国内軍事植民地主義について、批判的な検証を行い、米国べったりの日本の政治を変えていきたいと考えます。

 勝つ方法は諦めないこと。これを肝に命じて闘い続けましょう。

ありがとうございました。

詳しい情報につきましては明日改めてお知らせします。

辺野古総合大学第2期開講

 辺野古総合大学は昨年の8月に国と県との協議期間にシュワブゲート前テントで開講されました。このたび、第2期ともいえるものが来る4月5日から30日に17駒開講されます。

 原則として14時~15時のキャンプ・シュワブのゲート前です。「生きる力を与える」「闘いの日に備えて」とあり、なかなか実践的で文化的に充実しています。ここならではな大学講座です。奮ってご参加ください。

詳細は以下をご覧ください。

「henokosougoudaigaku.odt」をダウンロード

Aさん早期解放を求めて、中城海上保安部前での抗議行動

 16年4月2日、11時から沖縄市にある中城海上保安部前でAさんの早期解放を求めて、抗議と激励行動が行なわれた。この取り組みは、昨夜の決定にも関わらず、250名あまりの人人が参加した。

 日頃辺野古現地で闘う海上行動メンバーも、今日はここ中城に参加した。私もそのひとりだ。ちょいと辺野古からの出発が遅れたこともあって、現地到着が遅れたが、なんとか間に合った。

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丁度、照屋寛徳弁護士(衆議院議員)が昨日からの米軍・軍警、海保のAさんに対する不当拘束、逮捕を批判していたところだった。軍警が拘束して8時間あまりも米軍基地内に彼を閉じ込め、弁護士接見もさせないままに、処置がきまらず、ただただ拘束した事実。沖縄の米軍は日本法を無視して、市民を勝手に拘束できるのか。

海保に身柄が移管されたのは、昨夜17時20分だったようだ。海保は処置のしように困惑したのか、弁護士接見すらなかなか応じず、やっと19時過ぎに弁護士3名が接見できたのだ。

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駆けつけた糸数慶子参議院議員も、怒り一杯だった。不当拘束について、外務省にきいたが、事実を把握していなかった。先日のレイプ事件のときもそうだった。工事中断中の米軍の暴挙。彼を取り戻して、新基地建設を必ずや阻止しようと。また米軍基地を守る刑事特別法による弾圧を厳しく弾劾した。

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発言の合間にみんなで歌を歌う。ゲート前と同じように。「座り込め」、「起ち上がれ」。仲間に対する共感が湧き上がる時間だ。

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拘束されている彼の仲間である海上行動メンバーが前に出て、挨拶。まず安次富浩ヘリ基地反対協議会の共同代表が挨拶に立つ。

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余りにも恣意的な拘束と逮捕に怒りを表明。また沖縄タイムス等の実名報道に怒りと抗議を明言。本人が完黙してたたかっているのに潰すきか。一部の報道から悪意がばらまかれてもいくのだと。

続いて、K船長、カヌーチームのTさんが必ず彼を取り戻して共に闘いぬくと。

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海保前で円陣を組み集会を続ける。司会は山城博治平和運動センター議長。

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闘いを鼓舞する山城議長。みな、怒りで一杯だ。

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集会後建物の裏に周り、拘束されている側でAさんの愛唱歌を歌う。詩を読み出しながら(山城さんの右のYさん)大合唱。

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柵に阻まれながらも抗議と激励の声は彼に届いたようだ。

集会は午後(夜まで)続行だが、私たちは辺野古の座り込みに12時過ぎにこの場を離れた。

その後の情報では、13時30分ごろ、海保は那覇地検に彼を送ったそうだ。勾留がつくか否か、改めて報告したい。





左手-小指・薬指の付け根が痛い

 昨日あたりから左手の小指・薬指の付け根が痛い。何故かと思う。3月25日~30日、与那国島で約800枚ほど撮りまくったためだろう。

 デジタルになって、重くなった。望遠レンズをつければ約2kg。これを2台持ち歩き構える。左腕を左胸に当てて、その先の手首から先でカメラを支える。中心線が体の真ん中にくるように。そのポーズを取ってみれば、やはり左手の小指と薬指の付け根に重みがかかる。ここが痛くなるのは、撮影のポーズが決まっている証拠。だとすれば、やむおえない。

 今朝は左手が昨夜よりも痛くなっていた。今日の中城の海保前で撮影可能かと不安だった。サロンパスを貼って、いざ出陣。やってみれば、痛みは消えている。問題なかった。

 撮影が終われば、また痛みが戻る。治ったわけじゃないのだ。集中力から重み・痛みがきにならなくなっていただけだ。これはいわば職業病か。

2016年4月 1日 (金)

明日緊急 抗議・早期解放を求める集会へ

 既報の通り、今日16年4月1日、辺野古崎でAさんが不当な拘束を受けた。これは海保による一時的な拘束ではない。米軍管理下の軍警備ガードマンによる拘束であり、結果として警察ではなく、現場は海上だと認定されて(?)、海保に身柄が移管された。

 先ほど入ってきた情報によれば、明日4月2日11時、中城海保保安署前での集会を行なう。最大の結集をお待ちしています。彼を励まし、一緒にこれからもがんばろう。

 それにしても米軍やヘタレマスコミは如何なる了見でパクリ、一方的な情報を垂れ流しているのか。怒りを禁じえない。

中城海保http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/nakagusuku/shokai/index01.html

辺野古はリアルなのだった(16年4月1日)

 やはり辺野古はリアルなのだ。絵に描いたとおり弾圧があるし(別項参照)、射撃演習が行なわれている。小銃の射撃演習や対地短距離ミサイル?の発射音も断続的に聞こえていた。ズ・ズドーン、ゴン・ゴーン、ズ・ズーン、ド・ドーンなどと聞こえてくるのだ。

 午後に劇団俳優座の「有馬理恵さんと歩く沖縄・宮古島」のご一行様が来られた。これに私が説明。沖縄島と宮古島と重ねていかれる意義を私も強調。この国の「南西方面重視策」の問題。先の戦争の問題など。与那国の問題も強調。

 同時刻に来られた別のグループには安次富浩さんが応対。こうした分担は時々やるのだが、理恵さんを知っている私がこっちね、みたいな。時間が限られており控えめにやったのだが、理恵さんが多くの質問を出してくださる。最後に全体での記念写真に納まる。

 この他、今日の私は3回の説明を行う。与那国島のAさんがまたおいでになっていた。行ったばかりですよと、挨拶。

徳島からの学生さんには沖縄の歴史を重点に今の基地問題をやや長めに概説した。その人が知りたいことをすこしでも分かった上で説明したいものだ。

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午後暑くなったので、テントの幕を全部あけた。風が通って、涼しくなった。今日から4月だもの。

与那国も辺野古もやはり大変な事態を抱えているのだ。負けられない。

俳優座の「反応工程」(理恵さんが企画者のお一人)

http://hyz-hannoukoutei.wix.com/2016may

Aさん、軍警備員に不当拘束される(16年4月1日)

2016年4月1日 晴れ、暑くなった。

 9時23分無線機から、カヌーチームのメンバー1名が軍警備員に拘束されたとの第1報が入ってきた。え!?なのだ。何があったのだ、どこでだ。

 暫く情報が混乱したが、戻ってきたカヌーチーム、船団の話を総合すると、こうだ。場所は辺野古崎。辺野古側から大浦側に回りこむあたりは、フロートが長島と辺野古崎を結んで海が閉ざされている。ここをカヌーごとわたろうとしたBさんが軍警備員に拘束されてしまい、彼を助けようとしたAさんが逆に拘束されたという。Bさんは無事だった。

 場所は陸の上でなく、海上。潮がひいており、岩が、ごつごつしているのだ。軍警備員は普段、浜や岩近くで待機しながら目を光らせているが、ここまで海に出張ってきたのは初めてであり、海上まで動いたことはなかった。海につかりながらの逮捕劇だったようだ。

 また彼をどこが調べるのか16時時点で不明。名護署なのか、海保第11管区中城署なのか、お互いに関わりたくなかったようだ。弁護士からも軍警、海保に問い合わせ。結局18時頃、海保中城署に移管されたようだ。

 余りにも不当な軍警の動き。拘束9時間。長時間拘束だ。彼はウエットスーツを着ており、この間、着替えの差し入れもできず。寒かっただろう。容疑も現時点では不明。

 また沖縄タイムスは関係者の話として、早々に実名報道を行なってしまった。本人は黙秘しているのであり、防御権の侵害であり、基本的人権の侵害に当たる。ヘリ基地反対協議会はこれに抗議した。

 既にヤフーニュースなどのインターネットメディアにもペンネーム、実名、写真までが出てしまった。

 中城署は即刻彼を釈放せよ!

 明日は中城署前でも行動が入るだろう。

私達は弾圧を跳ね除けて闘いぬくだろう。新基地を絶対につくらせないし、キャンプシュワブの全面返還を要求するだろう。

すっかり夏の雰囲気(「今日の1枚」-16年4月1日)

2016年4月1日 晴れ。

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暑くなって来たのでテントを全開。いつもの光景だが、妙にすがすがしい。つうか、海上で午前中に不当逮捕があり、むかついていたので、風通しと光の通しがよいと、やはりおちつく。負けないぞ!

美しいのだが難しい(「今日の1枚」-16年3月31日)

 昨日16年3月31日、久しぶりに辺野古テントに行った。ある人が辺野古側沿いに美しい実がなっているのだが、何と問われた。あれかと思いながら私も分からないのだ。念のために撮りに行った。

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樹木なのだが分からぬ。枝振りから、どうにも撮影が難しい。あーでもない、こーでもないと横に縦に斜めに、バックをどうするとやったが、絵としてまとまらぬ。

素が美しいからといって、巧く絵にできるわけじゃないと、これが昨日の教訓だ。

与那国島の報告をどう書くか?

 まずは周辺部から書き始めたのだが、6日もいたから、書くことが多くなかなか大変だ。まだ基本となるマシーンも動いてないし、兵舎じたいが、不備も不備。一度15年度中に新編すると決めたから、やるのだでは、私も赴任した関係者にいささか同情する。

 あとで工事はどこまですすんでいるのかという疑問にお答えする。

 そもそもこの島には遊ぶ場所などない。飲み屋があるだけだし、部隊長に隠れて飲むなど、無理。うっぷんばらしが住民に向う事がない事を希望したい。

 外で飲むなら、石垣島や那覇まで行かなければならない。礼文も稚内も、対馬も同じようだから、そうした場所での地域研究が必要か。自衛隊員の行動学。

 だが問題はやはりオフィシャルな領域の問題だ。ここでの自衛隊の存在がこれから東アジアに如何なる影響を与えていくのか。与那国-石垣・宮古・沖縄・奄美と自衛隊の基地ができたとすれば、どうなるのか。与那国が着火点になる可能性が高まる。

 私が与那国に関心をもったのも、沖縄島・辺野古をみていたからだ。中国との領土・領海をめぐる分断線を入れ、楔を打ち込む。当然、陸・海・空の統合演習・統合作戦になるだろうし、日米の共同演習・共同作戦になるだろう。もっとも米国は対中戦争など考えていないだろう。だがTPPのように中国封じ込めの経済環境をつくろうとしている。ここに経済と軍事が重なる。決して安泰ではないのだ。

 私に何ができるのか、さしたることはできまい。だが、与那国の自然はまだまだ素晴らしいし、人人も諦めていない。何が可能なのか、考えたい。

 それにしても与那国の赤土はすごかった。ズボンについて、乾いてもなかなか剥がれなかった。革靴についたものを落とそうと、バンバン叩いたが帰りの重量は重くなっていた。

基地の島と化した与那国島

 私は16年3月25日から30日、与那国島に行ってきた。色々と問題を感じたが、幾つかに分けて問題を指摘したい。

 25日飛行場から久部良まで歩いた。何が変わったのか。自動車が増え、走行スピードが大幅に上がっている。もはやノンビリムードはどこえやら。明らかに基地建設の車両と自衛隊車両が増えていた。

 3月26日。曇、風強し。ツバメが飛んでいる。風の吹かない場所で珍しいものを見た。

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あの空中飛行の名手が路上に下りて休んでいるのだ。3月26日7時58分。

注意深く私は道に座り込みながら、撮る。もう少しよれないか。その瞬間、シュートした音が聞こえたかともえば、ツバメは逃げた。何者?!

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振り向けば、自転車通勤の自衛隊員。3月26日7時59分。一声掛けて通過してもらいたいものだ。

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気を取り直してツバメを撮る。26日8時1分。琉球ツバメでなく、間違いなくツバメだ。

余談ながらこうしたとき、むやみとこちらからちかづかない事。おまじないをかけるのだ。近づいてと。これは案外有効。なぜならば、私は君に危害を加えないからと、自分の中の緊張感を緩めるのだ。彼らは敏感なので、この信号を察知して、近寄ってくれる。この写真は被写体まで3mもない。

 さて次の話に写る。3月26日15時40分頃。場所は比川のカタブル浜を出て、車道の左側は海岸性の草原。そこになにやら小型トラックが1台。草取りしたと思われる雑草を落としている。民間の車だし、自衛隊員だとは思わなかった。帰り際に戦闘服だと確認。

 これはと思って待つ。10分後来た。

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3月26日15時42分。手前に止めて様子を伺うようだ。こちらは望遠レンズで撮影。制服が見える。ヤバイと思ったらしくすごすごと引き揚げた。

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3月29日15時32分に行ったら、片付けられていた。ここに4束ほど落とされていたのだ。

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3月26日15時50分。前の写真と同じ場所で反対側から写す。

結果的に自衛隊員による不法投棄を回収させたのだが、情けないぞ。ついでにいえば、彼らは複数でやっていた。個人の行動でなく、誰かの上司の命令で捨てにきたのだろう。いけませんね。

 思い出すよ。あれは1970年の夏。奥日光国立公園。一番のゴミ捨て犯人は、学校の林間学校と、2位が自衛隊の夜間行軍。食料を食べて缶詰等をどかっと捨てていた。私は国立公園管理人、レンジャーのアルバイトだった。殆どの仕事はゴミ拾い。学校と自衛隊の後始末だった。

 彼らの体質は50年近くたっても変わらないらしい。新しい島で住民と仲良くやるんじゃないのかい。






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