2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
無料ブログはココログ

« 台風は通過したらしい(15年5月12日11時過ぎ) | トップページ | 「ふたたびの〈戦前〉軍隊体験者の反省とこれから」石田雄著 »

2015年5月12日 (火)

5月報告会レジメ(参考資料)

5月8日、9日東京で行った報告会の資料です。全文著作権は山本英夫にあります。無断転載不許可。また学習資料として使いたいなども(コピー等)必ず、ご連絡の上、願います。

  【当レジメは世田谷・練馬・杉並3会場共通のものです。】

ヤマヒデのスライド&トーク

-辺野古・大浦湾の現場から-今、沖縄から問いかけたいこと

                        /東京で考え、動き出すために

《報告》山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

《Ⅰ私の立ち位置、問題意識-プロフィールに代えて》

①89年5月から、東京から「基地の島・沖縄」に通う。もはや何回通ったのか分からない。13年10月、名護市に居を移す。14年1月名護市長選、9月名護市議選、11月沖縄県知事選・県議名護市区選、12月衆議院選挙を市民として共に闘いながら取材。

 この国(「日本国」)は、14年7月から辺野古・大浦湾の埋め立て工事を強行。私は日々現場に立ちながら、苛立ちを強めている。→「今、沖縄から問いかけたいこと/東京で考え、動き出すために」を考え始める。

②14年12月の衆議院選挙の結果-沖縄の選挙区(4区すべてで反自民の島ぐるみ会議系が勝利)以外、自公が「順調」に大勝を収める。投票率約50㌫。何故?-アベノミクスにアベノウォーズがリンクされている事が見えていない。観ようとしていない。この国(「日本国」)は「崖っぷち」にたっており、「日本国民」は「崖っぷち」に立たされていることを自覚していない。

 この選挙の傾向は、15年4月の統一地方選の結果をみても変わらない。

③この問題は、辺野古に来る来訪者の意識にも現れている。「現地を見たい、知りたい」は、貴重だが、「がんばってください」と平気で言う、言われる。ご自身との関係が見えないから?

④私のような在沖「日本人」は、沖縄とうちなーんちゅとむきあうことは、必定だ。同時に、「日本」(日本国と日本国居住者〈他民族〉を含む)と向き合い続けなければならない、ようだ。2重の鉄鎖との闘いか?

《Ⅱ 今という時間の中で》

●日本国政府の暴走に沖縄が正面から対抗。どれだけの反撃ができ、どうしたらとめられるのか、ここを考えたい。

《Ⅲ 新基地建設問題をめぐる簡潔な経緯》

①前史:45年4月から、沖縄戦、米軍は沖縄島等を占領し、普天間周辺を接収。基地を作り上げる。52年4月28日、日本国独立後も沖縄は米国に差し出される。分断支配。

②前史2:米軍は66年に辺野古・大浦湾に基地建設計画を立案(飛行場+港湾)。だが実現せず。

③前史3:72年5月15日沖縄が「日本復帰」。多くの「沖縄県民」は「平和憲法の下にある日本復帰」を願望した。しかし…。日米安保=日米地位協定により、米軍の「自由使用」を保障した。その根幹を秘密会議である日米合同委員会が決めている。日米合同委員会が憲法よりも「上位」という著しい倒錯。

 この「復帰」の過程で在日米軍基地の75㌫が領土の0,6㌫に過ぎない沖縄に集中。それも戦闘部隊である海兵隊が主力。基地・演習場。陸域・海域・空域も。

④経緯1:95年9月4日の米兵による少女レイプ事件への沖縄の怒りを沈静させるものとして、普天間基地の返還が96年4月12日の日米首脳会談で交わされた。しかし「代替施設」が問題にされ、辺野古に決まる。96年秋、沖縄特別行動委員会「合意」。しかしこの過程の裏に、「安保再定義」があった。米ソ冷戦構造の崩壊後もアジア・太平洋は諸々の問題があり、引き続き米軍の駐留を行うと。安保再定義96年4月。

⑤経緯2:97年1月、名護市市民投票。基地建設反対が多数を制したが、当時の名護市長は辞職、市長選になり、容認派が勝利。(~10年まで混乱)

⑥経緯3:04年4月19日未明 この日、沖縄防衛局は辺野古漁港に作業ヤードを設置しようとしたが、これを市民が阻止。この日から辺野古座り込みが始まる。04年、05年ボーリング調査を阻止し、2500mの沖合案を断念させた。

⑦経緯4:06年5月、現在の沿岸案(1800m2本)に変更された。07年からプレアセスメントが始まる。8年、9年アセスメント。07年5月の資材設置に海上自衛隊ぶんごが出動(第1次安倍政権)。

⑧経緯5:09年鳩山首相「最低限県外」を唱え、辺野古への異論を挟み、物議をかもす。沖縄にとってこれが新基地建設阻止のステップになった。10年、再び日米首脳は辺野古に回帰したが、沖縄の闘いは、飛躍していく。

⑨経緯6:10年1月、名護市長選、「海にも陸にも基地を造らせない」を掲げた稲嶺進市長が誕生。

市民の粘り強い闘いと保守系の一部が基地建設に疑問を抱き、保革共闘が成立。(オール沖縄の走りとなる)

⑩経緯7:13年3月、日本政府、公有水面埋立法に基づく埋め立て許可を沖縄県知事に申請。13年12月、仲井真県知事(当時)、従来の公約を翻して、埋め立て申請を許諾。

⑪経緯8:14年1月名護市長選(4150票の差)、9月名護市議選、11月沖縄県知事選(10万票-過去の知事選の中で史上最大の差)、12月衆議院選(4選挙区)で、基地建設反対派が完全勝利。14年7月27日、沖縄「建白書」を実現し、未来を啓く島ぐるみ会議結成。ここが基盤となり、県知事選、衆院選を闘い、「オール沖縄」の闘いを作っていった。

⑫そして今:日本政府は沖縄県と沖縄の民意を無視し、ひたすら工事を進める。沖縄は、これに日々闘い、抗い続ける。「日本」の人々は、これにどう向き合うのか?

《Ⅳ 新基地建設問題の現況を見つめる》

①概況

◎14年7月1日 安倍政権閣議決定(「集団的自衛権」の合法化と、辺野古新基地建設のための臨時立ち入り制限区域の設定)★注:7月1日とは、54年7月1日 自衛隊発足の日

◎14年7月7日 ヘリ基地反対協、キャンプシュワブゲート前での抗議行動を開始。

◎14年7月27日~沖縄防衛局、海上での作業に着手。この頃から、反対協、ゲート前に加えて、海上でのカヌー隊や船団を組織。陸と海との闘いが始まる。

◎14年7月27日夜 沖縄防衛局、第1ゲート前に山型鉄板等を設置。ガードマン会社アルソック配置。

◎14年8月~9月16日 第一期ボーリング調査(海底の浅い部分)7箇所と陸上の5箇所を終了。

◎14年9月  名護市議選。稲嶺与党が多数を制す。

◎14年10月10日~12日 台風19号が強襲。見事にフロートを叩き潰す。すべてのフロートが海岸に打ち上げられ、破損。海上での作業はストップ。

◎14年10月30日 沖縄県知事選告示。

◎14年11月16日 県知事選で結果が出る。翁長雄志候補が仲井真弘多候補に10万票の差をつける。また県議補選も結果が。那覇市区,名護市区で基地建設反対派が勝つも、沖縄市区では惜敗。何故勝ったのか?

◎14年11月19日~22日 沖縄防衛局ボーリング調査を再開。だが、止まる。

◎14年12月14日 衆議院選挙 1区~4区島ぐるみ会議(基地建設反対のオール沖縄陣営)が完勝。1区-赤嶺政賢(共産党)、2区-照屋寛徳(社民党)、3区-玉木デニー(生活の党)、4区-仲里利信(元自民党)

◎15年1月15日~ 沖縄防衛局、海上作業を再開。連日海保の暴行が目に余る。3月からボーリング調査再開。

◎15年4月6日 海保、「不屈」に激突して、大破させる。4月27日、「勝丸」に体当たり。船体を破損させる。4月28日、「ラブ子」を転覆させる。1名、救急搬送されたが、無事。しかし機材に大いなる損害が生じた。(5月7日刑事告訴) 

②現場を巡って

●陸上(キャンプ・シュワブゲート前周辺) アルソックを前面に立てながら、警察機動隊が随時出張る。道路交通法、刑特法などで脅す。海保等の警備陣、作業車、米軍車両などの通行を確保。早朝の闘いが重要。

 2月22日の県民集会前、米軍MP 主導で、山城博治ら2名をゲート内に引き釣り込み逮捕。翌日釈放を勝ち取る。また、逮捕時の米軍の動画がネットに流失。この責任を取らされて、海兵隊広報副報道部長のエルドリッジは解任されたが、海兵隊と沖縄内外の右翼との関係は根強い。右翼が取り持つ「オトモダチ」。

 3月2日、沖縄総合事務局(国道管理者等)が歩道上のテント等の撤去を要請。24時間態勢で監視。それから2ヶ月余りが経過したが、強制撤去はされていない。台風時の自主撤去後、再設置を阻止される可能性。

●海上 フロート、ヴイ設置のアンカーにコンクリートブロックを使用。サンゴを壊していることをヘリ基地反対協の潜水調査グループが確認、暴露。この問題で、翁長県政が動いた。

 しかし沖縄防衛局は、深い部分でのボーリング調査を進行中。12箇所のうち4箇所目に入ったようだ。海保の暴力はやまない。法的根拠がないが故に強行。脱法行為の日常化。

●工事そのもの 

 ボーリング調査 前記の通り。ボーリング調査の為に仮設護岸を造るといわれていたが、未設置。このままボーリング調査を進めるようだ。やはり「仮設」と称して埋め立ての第一歩にしたかったのだろう。

 作業ヤードの設置 名護市が辺野古漁港周辺の利用を許可せず、辺野古崎付近の既設建物を解体して、そこに設置する工事が進行中。アスベストを含有している建築物である事をわれわれの指摘で判明し、その手続きに4ヶ月を費やした。5月連休前に、残りの1棟を除き解体された。5月中にここの整地が進み、作業ヤードが作られる見込み。そうなると本格的な埋め立て工事の準備が整う。

 既設建物の移設作業 08年から進行しており、ぴかぴかの建物が急増しているが、年末あたりから停滞(?)。移設には、新築して、解体という順番が不可欠であり、作業手順が日米の事務方で未決着かもしれない。

②政府に立ち向かう沖縄

◎沖縄県は、関係部署が協力して事に当たっている。知事の諮問委員会である埋め立て検証委員会が立ち上がり、前知事の「許諾」を検証している。取り消し、あるいは、撤回を視野に入れながら。7月中に結論予定。

◎コンクリートブロックの投入が昨夏の岩礁破砕許可区域外の海域で行われたこと、アンカーが余りにも巨大なものだとして、県は作業の停止を求め、現地調査を申し入れたが、国は拒否。米軍も海底調査を認めず。国は県の命令に対して不服審査請求。上級庁である農林水産大臣が仮処分を認め、県の執行停止命令は「保留」にされた。

◎トップ会談 安倍以下、安倍内閣閣僚は、翁長県知事の面会要求を再三拒否。4月に入って,ようやく翁長-菅官房長官、翁長-安倍首相との会談が行われた。どちらも話は平行線だったが、翁長知事の毅然たる態度と思慮深い反撃によって、国の強硬姿勢を糾した。

 こうなると、マスコミも報道せざるをえなくなった。「日本」の世論調査でもほぼ過半数が埋め立てに異論を示している。

 行政による対抗では、国は県を裁判に訴え、司法の力を借りて押し来ろうとするので、政治的な力が極めて重要だ。

③法的問題

◎日米地位協定と臨時立ち入り制限区域の怪しい関係等(この件、会場でお話しました。別途整理して当ブログに載せます)

④総括

 昨年来の現場での闘い、各級選挙の勝利、島ぐるみ会議の奮闘が基地建設反対の声を強化してきた。人々の闘いが県を動かし、県知事を支えるまでになってきた。他方、全国各地の闘い、マスメディアに対する働きかけが、じわじわと効果を発揮。しかし安倍首相は沖縄を差別しながら、ナショナリズムに酔いしれ、全うな人々を無視し、対米追従に走っている。

《Ⅴ 沖縄から問いかけたいこと》

①何故沖縄は新基地建設を拒否するのか?ここが理解されない事には、始まらない。

②先日、辺野古のテントに来た人が、こう言った。「沖縄は、沖縄が」というのは、「視野が狭い」と。「もっと大きな視点から考えろ」と。「歴史などというのは後ろ向き」だとも。

→人の生死をくぐって生き残ってきた人の壮絶な人生を分かろうとしない人に、狭いも大きいもない。お金が大事だ、国家が大事だと言える人間の薄汚さ。70年前と同じような過ちを繰返したら、「日本人」は確実に終わる。狭い国土に54基もの原発を抱え込んでいるのだ。2,3発ミサイルを食らえば、もうおしまい。海外からの輸入に頼っている食料を考えても、経済封鎖されれば、あっという間に終わる。否、だから機雷をしかけ、爆雷を投げて、経済封鎖させないのか。こうなれば、本格的な戦争になる。「島嶼奪還作戦」をもしも始めれば、本格的な全面戦争になりかねない危うさをもっている。

 沖縄や朝鮮、中国を差別して楽しんでいる暇があるならば、自分の足元の脆弱性を凝視すべきだ。暴力による平和がどれだけ、脆弱か。広大な国土を抱える米国ですら、限界に近づいているのだ。

③確かに戦争は、壊しては造るものだから、えらい「公共事業」だ。その先に何が待ち構えているのか、考えずには置かないのが歴史を吟味しながら歩んできた沖縄の現実だ。そこを実直に日々取組んでいるのが沖縄の闘いだ。むちゃくちゃな死を強いられながら、基地被害を受けながら「命どぅ宝」だと、小さな声をあげながら…。そして沖縄の基地収入は大きくない。却って阻害要因となっていることに気づき始めた。

④沖縄に米軍基地が集中されてきた。「日本人」はこの事実を忘れ去っていた。観光で出かけても気づこうとしてこなかった。那覇空港には対空ミサイルが常備されているのをご存知か?

 「日本人」は何も知らないふりをして、見過ごしてきたのではないか。少女レイプ事件が起きた95年から20年が経つ。知らない事は恥でないが、知ろうとしないことは、大いに恥じ入るべきだ。沖縄を支援するのではなく、当事者として考えるべきだ。

⑤辺野古新基地ができれば、ここから自衛隊の「国防軍」化が始まる。佐世保・相浦駐屯地と与那国(陸自レーダー基地)、石垣、宮古、奄美大島に陸上自衛隊の警備隊が新設され、全国の機動旅団がつながって、戦いの最前線に躍り出る(2013年「防衛計画大綱」)。

《Ⅵ 東京で考え、動き出すために》

①東京は得たいが知れない-経済と政治(日米安保体制を根幹とする)中心。華美な中に、巨大な暗闇を抱えている。差別と無関心の塊。60年代後半から70年代前半の「革新自治体」はそのかけらすら残っていない。

 人が生きる場を、生きれる場を再構築していかなければ、先を見出せまい。可能性があるとすれば、住民自治。そこをどう耕すかだ。

②今何が進んでいるのか?-戦争する、ドンパチやらかす国への大転換。同時に民主主義、人権、地域自治が解体されていく。その暁に、「美しき殉国」の道が待っている。

③見えないから、どんどん差別と無関心が深まる。だから今、自分から観る事が重要だ。沖縄と共に闘い、沖縄から考える。福島と共に闘い、福島から考えるでもあるだろう。

④①と②と③に対して同時に闘うしかないだろう。そのためには、新しい集団の形成が求められるだろう。

⑤「勝つ方法は、あきらめないこと」を東京で如何にしたら実践できるのか。ぜひとも考えてほしい。

【補足】

①マイブログ「ヤマヒデの沖縄便り」日々更新中。

②ミニパネル「辺野古・大浦湾-この海を、生きる希望をあきらめない」(15枚セット) 畳4枚分のスペースがあれば、展示可。鋲で刺す。1日、3000円、7日まで5000円。送料借り手の自己負担。

6月から貸し出し開始。

 

 

 

 

 

« 台風は通過したらしい(15年5月12日11時過ぎ) | トップページ | 「ふたたびの〈戦前〉軍隊体験者の反省とこれから」石田雄著 »

ヤマヒデの出番です(本人・写真展)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 5月報告会レジメ(参考資料):

« 台風は通過したらしい(15年5月12日11時過ぎ) | トップページ | 「ふたたびの〈戦前〉軍隊体験者の反省とこれから」石田雄著 »