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2016年9月27日 (火)

沖縄・高江の工事強行の意味を考える―沖縄から世田谷へ

○以下の文は、世田谷市民運動「いち」のニュースに書きました。

 沖縄・高江の工事強行の意味を考える-沖縄から東京・世田谷の人々へ
                                                           山本英夫(フォトグラファー/名護市在住)

【はじめに】本紙8月号に高江のことがでていなかった。何故書いてくれないのだと、私は寂しかった。それで連絡した。挙句に「あなたが書いて」と言われてしまった。9月号に間に合わず時間が経った。何故高江の工事が強行されているのかを私なりにまとめたい。

 本紙読者は、「辺野古」といえば、ある程度知っているだろう。高江はどうだろうか? まだ知られていないだろう。まず、三上千恵監督の『標的の村』を観て欲しい。

 高江は、沖縄島の北部やんばるの森が広がる一角にある。東海岸側であり、辺野古から直線距離で北東に30キロ余り。名護市街からも辺野古からも車で約1時間。東村の一番北東側にある人口約150名の集落だ。辺野古から観ていると沖合いを北東方向、南西方向にオスプレイやヘリが飛ぶ。普天間基地から飛び立った米軍機がここを掠めながら米軍の北部訓練場(ジャングル訓練センター)に飛んでいくのだ。

 亜熱帯の森と川と海がひろがる。不便でも静かな暮らしを守りたいという住民の願いは不遜なものなのか?道理がないのか?

【16年7月11日未明から】7月10日の参議院選挙。予想通りの沖縄の反基地陣営の圧勝と日本全体の対比がもの悲しい。沖縄の「もう基地はやめてくれ」と、多くの都道府県の改憲・戦争に突き進むことの「了解」? 改憲派が3分の2を占め、いつでも改憲を発議できる条件が整ったのだ。

 翌未明から日本国沖縄防衛局は北部訓練場メインゲートからオスプレイパッド(着陸帯)の建設工事を始めた。重機やプレハブ等の資材搬入。機動隊を出して抗議行動を排除。

 こうしたことにも安倍政権の自信が見える。日本国民が安倍政権を支持したのだと。沖縄を踏み潰せと。

 7月19日、何と県外の機動隊を沖縄に派遣してきた。警視庁、神奈川県警、千葉県警、愛知県警、大阪府警、福岡県警から計500名余り(詳細不明)。

 ここではっきりしたことがひとつ。安倍政権は沖縄選挙区の選挙に負けることを見越して、2、3ヶ月前から、工事強行を準備してきたのだ。そうでなければ、夏の観光シーズンに宿を大量に予約することは不可能だろう。手回しが速い!

【7月21日~22日の闘い】そして沖縄防衛局は7月21日以降、N1ゲートを開き、工事にかかると宣言。これに抗して、21日の午後、現場前の県道70号線に1500名が集まり集会。夕刻から150名余りが泊り込んだ。私もだ。色々なことがあったが(私のブログ「ヤマヒデの沖縄便り」同日分参照)22日未明から機動隊が動き出した。600から800名居たのではないか。彼らは北側(国頭村)からと南側から襲い掛かってきた。こちらは150名余りで、5時頃から160台の車を路上に並べて強制排除に立ち向かった。

 この未明4時頃、機動隊が県道70号の北側を封鎖したと情報が入ってきた。やりやがったな。この県道封鎖は、沖縄県の了解を得ていない。誰の指示かも分からない。道路交通法の掟破りの荒業だ。道交法には「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り」とあるが、自ら道を塞いでいいとはどこにも書いていない。またゲート前に住民の会が置いていたテントや車その他の生活道具を「廃棄されたもの」とみなして勝手に持ち去ることも法的根拠を欠いている。

 この強制排除の中で3名が救急搬送された。また1名が(翌日分かった)、肋骨骨折を強いられていた。9時30分ごろ、第1ゲート前の車の屋根から無理やり引きずり落とされ人たち。座り込んでいた全員がゲート周辺前後200m程から排除された。最終的には機動隊の暴力の前に、自主退去の形で追い出された。私は119番した手前、救急隊に様子を伝えようと機動隊の警備の外側に止まっていた救急車側に出てしまい、そこから再び中に入れなかった。

 警察は、15時頃まで県道を完全に封鎖し、ゲート前から工事車両等を入れて作業が始まった。

【7月23日以降】翌23日から警察はほぼ毎日5、600名態勢であり、第1ゲート前どころか、土砂を運ぶトラックの交通を確保するために沿道に機動隊員を並べ、トラックの前後に警備車両10から20台余りを伴って走らせている。

 不当逮捕も続いている。公務執行妨害罪、往来妨害罪。7月11日以降、5名だろうか。やはり酷いのは、警察(現場指揮官)の判断で、道路をあるときは全面、また片側を封鎖し、車両を排除し、トラック等の作業車を通している。作業車優先の交通の確保が危険と道路渋滞と住民生活の支障をもたらしているのだ。

 工事は進み、県道70号から内部の道路建設がN1オスプレイパッド予定地まで完成し、さらにもうふたつ(GとH)のオスプレイパッドにつながる作業道路の建設が国有林を管理する営林署との協議もなく進められている。N1ヘリパッド予定地では既に樹木が丸い2つの穴のように伐採され裸地になった姿がドローンの撮影で確認されている。9月13日にはとうとう陸上自衛隊の大型ヘリCH-47、2機をわざわざ木更津の中央即応集団のヘリコプター隊から派遣してトラック等の機材を奥のG、Hに搬送した。

 この輸送も法的根拠を欠いている。防衛省は防衛省設置法第4条第1項の19号だ言うが、これは防衛省という組織が何を任務にしているかを決めているだけのものだ。自衛隊(隊員と機材)を動員できる根拠足りえない。自衛隊法には「土木工事等の受託」があるが、これを政府自ら否定しており、本件を一般的な土木事業でないと認識している様子。

【ここにいたる経緯】安倍政権は法治主義を捨て、がむしゃらに工事を強行し完成を急いでいる。何故なのだろうか。そこを考える前に基本的なことを再確認したい。北部訓練場の沿革とオスプレイパッドを新設する流れだ。1957年に「北部海兵隊訓練場」として開設。72年5月15日、沖縄の日本復帰に伴い、「北部訓練場」に名称変更。この日から森は国有林に指定されながら実質米軍の訓練場として継続使用。

 このやんばるの森は57年に米軍に盗られて以来、今日まで米軍の利用に供されている。また県道70号はやんばるの東側を南北に走る唯一の道であり、県道や新川ダム他の4箇所のダムも米軍提供用地内に在る。

 そして96年12月の沖縄特別行動委員会の決定で、北部訓練場の過半(3987ha)を返還するが、新たにヘリパッド6箇所を高江集落を挟む格好で建設し提供することが決まった。また海上からの上陸訓練の為に宇嘉川河口等159haを追加提供。

 何故日米政府はこうした合意を交わしたのか。米兵が95年9月4日起こしたレイプ事件を逆手に取る形で、普天間基地撤去の甘言から、辺野古への新基地建設を中心にして、中部を軸にある海兵隊基地群を北部にシフトさせ、より合理的に訓練ができるように面積を集約する。かつ集落を挟む格好にオスプレイパッドを並べた理由は住民を追い出すためではないだろう。しかしそこに集落があり、住民の姿がみえるところが戦場になるからだ。人々の暮らしを無視し、そこの人々を殺すことも厭わない兵隊を育て上げるためだ。

【なぜ安倍政権はガムシャラか?】第一に辺野古新基地建設の予定が住民、沖縄県の反対を受けて停滞している中で、まず訓練場としての高江のオスプレイパッド建設が至上命題になっている。米国様のためならば。第2は、新基地建設予定地周辺に演習場を整備すれば(高江と伊江島)辺野古・大浦湾に新基地を造る圧力になるからだ。第3に、2017年に岩国基地に海兵隊の対地攻撃戦闘機F-35Bが導入されるが、演習場を伊江島ばかりか高江も狙っているのではないのか。第4は2016年度末に陸上自衛隊もオスプレイの部隊(佐賀)や水陸機動旅団(2100名規模)(佐世保)を新編するので、日米共同演習場として高江を含む北部演習場を使いたいのだろう。

 今安倍政権が狙っている米国の手下としての日米共同軍化は、日常的な演習を不可欠とするのだ。琉球諸島への陸自の部隊配置と重ねながら、「対中脅威論」を煽り、堂々たる国軍を持つことが安倍の野望なのだ。だからこそ改憲なのだ。

【沖縄は闘う。皆さんはどうする?】

 沖縄は微力ながら闘い続ける。何としても高江のオスプレイパッドの建設と辺野古への新基地建設を許さない。その向こうにしか私たちの人間の明日を見ることはできないからだ。武力による平和の虚しさばかりか、沖縄戦の経験を教訓にすれば、武力の残酷さと人間を非人間にすることを想起できるだろう。54基も在る原発を考えれば、もはや答えは明瞭だろう。

 東京の、世田谷の皆さん。皆さんはどうするのか。皆さんが沖縄に来て学び考える一歩にしたいのであれば、微力ながら私も御手伝いしたい。「ヤマヒデの沖縄便り」などを見てご一報を。

バスに乗り遅れN1裏へ(16年8月31日)

 ウーム。朝一のバスに乗り遅れた(名護十字路5時58分)。どうしようかと思い悩んだが(定期バスは日に3本のみ)、名護バスセンター付近発9時の支援者用の車があるはずと考えた。ありました。初めて乗せていただいた(今この送迎者は運行されていない)。

 県道沿いの闘いは終わったようなので、N1裏のテントに下ろしてもらう。10時20分過ぎだった。

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テント持ち主側のこんな張り紙が。

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中への道が塞がれている。正面は3mを超える板が、サイドには鉄条網が。奥にぽつねんとガードマンが立っているのが見える。お気の毒。(10時32分)

折角の森に鉄条網。人間にも脅威だが、アカヒゲもヤンバルクイナも住めなくなる。あえて言う。殺すな!

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こんなだよ。土地入り禁止だということだろうが、軍事演習場のために沖縄の土地を奪ったのは誰なのだ?米国であり、日本政府だ。らしいやりかただこと。

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テントに戻ると隙間から人人の車が見得る。今日も多数がきているのだ。

お昼前から集会が始まった。常連の京都のKさんが歌う。いつも元気付けられます。

ブルーシートの中なので一面青くなり、申し訳ない。色補正できますが、ひとまずご勘弁。

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毎週水曜日に辺野古、高江に那覇から来られている元衆議議員のFさん。今日は高江でお会いした。ねばり強く闘おうと。

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米国からベテランズ・フォー・ピースの皆さん。平和のための退役軍人の会。ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争等で兵役についた7名の方々。平和こそ大事だと実感されているがゆえに、一言一言に重みがある。米軍のこれ以上の戦争のためにオスプレイパッドを造る無意味さを語る。ものすごく元気をいただいた。(左端は通訳のMさん)。14時。

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世代を超えた団結がまた素晴らしい。

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支援の広がりに感謝しながら、闘い必ず工事を止めて行こうと訴える山城博治さん。14時36分。

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外は今日も暑い。私は、15時30分、高江を後にした。

今日は中途半端になってしまったが、9月2日から暫く東京なので、行けてよかった。運んでくださった方々に感謝。







2016年9月26日 (月)

緊急に台風対策を行なった(16年9月26日)

2016年9月26日台風17号の影響で、風が強く、波も高い。曇時々雨。

朝方、海っぺりのテントに行く。風の調子を確認。これはやっぱり撤収をしないと危ないと判断。6,7名で撤収作業を行なう。看板類を外し、サイドの幕を撤去し、上部のテント幕を一方にまとめる。既に風が強く、看板を一人でもつことは危険。2名がかり。県外から来た人にもお手伝い願って、やりました。9時15分頃終了。

今日はテント2で。

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台風16号接近時にもいだシマバナナが食べごろになっている。緑色から黄色に。いただきまーす。やっぱり美味い! 

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そうだ、このバナーを外さないと。既に1枚は紐が切れ掛かっていました。9時21分。

午前中は来訪者が重なったりして。時々大雨が降る中で。

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漁港を前景に、サンゴ礁の先を見る。13時26分。

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マナヌ岩あたりも大波がはじけている。13時29分。

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フェンス際にもこれほどの波が。13時32分。

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浜辺にヤドカリが。13時35分。

14時20分頃。携帯が一斉に鳴り出した。地震警報。奄美で震度5弱。沖縄島でも震度1~3.直ぐに揺れた。(隣の豊原で震度2)

郵便が届く。

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9月の10日頃来た人から。

ありがとう。丁寧に縫っている。

高江からの情報。今日は30台余りのトラックが入ったと。多勢に無勢。交通禁止に。2時間30分待たされたとぼやきの情報。

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このバナナ、夕方には大分減っていた。万有引力の法則でバナナが次々に落ちる。15時36分

自分、食べ過ぎたかな。

 

国連人権理事会で「琉球・沖縄の表現の自由」について声明

 去る16年9月19日、国連人権理事会で、反差別国際運動などは「琉球・沖縄の表現の自由」についての共同声明を発表しました。日本政府による沖縄に対する弾圧を表現の自由の観点から警告しています。

 私たちも大いに広げながら、国内外に訴えていきましょう。

全文は以下のサイトからご覧ください。

http://imadr.net/freedomofexpression-ryukyu-okinawa-japan-hrc33-2016-joint-os/

 

オリイオオコウモリの飛ぶ姿をバッチリ見た

 2016年9月26日、18時頃、夕闇が迫る中で、自宅近くで私の前方30~40m前を悠々と飛ぶオリイオオコウモリ、1頭を観た。これまで木にぶら下がっているところや、間下から飛んでいるところを観たが、斜め上を横に飛ぶ姿をはっきりと観たのは初めて。大きさはカラス大だが、頭部が大きく、全体にふくらみがあり、ボリュームがある。飛び方はまっすぐに飛び、ひらひらした感じは全くない。

 11月が繁殖期だということなので、今後の撮影に期待したい。今日はカメラナシのタイミングだった。

 なお、沖縄動物園に飼育されているようだ。

やっと体調おちついてきた(16年9月26日)

 やっと体調落ち着いてきた。バスでおもろまちまで行くと片道2時間近く掛かり、大変なのだが、高速バスの揺れはひどくないから、無事に戻ってこれた。鑑賞時間はシンポジウムを入れて4時間ぐらい掛かり、難儀だったが、1夜明けたら、落ち着いた。

 今朝の沖縄タイムスに、昨日のシンポの模様が簡単に出ている。また「展評」欄に宮城篤正さんが国展工芸展の陶芸・木工を主に紹介している。冒頭に染織の素晴らしさに圧倒されたとあり、いやはや同感である。

 それにしてもこの春にあった『宮城瑛子展-いのち』が県立美術館でまだやっていたのだ。10月初めまでらしいので、可能だったら機会を改めて行きたい(願望)。

 今日は八重山方向に向かっている台風17号の影響で、曇や雨の見込み。また八重山だと。程ほどに通過してほしいものだ。

 これから辺野古に向かいます。

2016年9月25日 (日)

「工芸沖縄展」と「沖縄の工芸展」を県立博物館で見てきた

 今日(16年9月25日)は、現場を休み、沖縄県立博物館、美術館で2つの工芸展を見てきた。当初沖縄タイムスで知ったのは、「90回記念国展-工芸沖縄展」(会期:9月13日~10月2日)に行こうと思ったのだが、別に「日本民芸館80周年 沖縄の工芸展―柳宗悦と昭和10年代の沖縄」(会期:9月21日~10月23日)も開催中であり、ならば両方と欲張ったのだ。前者は国画会工芸部と沖縄タイムス社の主催。沖縄県立美術館にて。後者は県立博物館・美術館の企画展である。県立博物館の会場にて。

 私は、90回目の出品(入選)作が並んでいるだけでなく、黎明期に活躍し、国画会工芸部を創設した人人の作品を見たいとた思ったのだ。創部に尽力したのは富本憲吉であり、その後、民芸運動を推進した柳宗悦、濱田庄司、バーナード・リーチ、河井寛次郎、芹沢銈介、柳悦孝、黒田辰秋らが参加し、基礎が築かれていったらしい。

 個人的なことだが、私が幼少時、栃木県益子で、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、芹沢銈介さんらとお会いしているというのか、お世話になったらしいのだ。そんな微かな記憶があり、また柳悦孝は私の伯父であり、自分が中学生ぐらいまではしばしば家族で遊びに行っていたものだ。だから彼が女子美の学長時代など、お弟子さんが何人もお宅に来ていたのを見ているし、その中に、沖縄からきていると紹介された学生さんも記憶している(お名前は覚えていないが)。

 私が沖縄・工芸などに関心をもつというか、線がつながったのはずっと後のことであり、悦孝さんが亡くなった(2003年)あとのことだった。今から考えれば、惜しいことをしたものだ。いずれにしても、今回の企画展で悦孝さん、悦博さん(悦孝さんの弟)の作品と出会えた。昔から兄の作品は渋みがあり、弟の作品は明るい色合いだと記憶していたが、まさにそんなだった。

 一々書くと長くなるので省略するが、黎明期の人達の作品は重みがある。どっしりと○○さんのだと、一目で分かる。しかし現代の出品作も皆さん、手抜きなく、カチッと製作されている。私など老眼なので、やや離れて全体を見て、近づいてめがねを外して、マクロにみる。これをやらないと鮮やかさ、精緻さが見て取れないのだ。どれだけの時間をかけて構想を練り、制作に入るのか。一つ一つが感嘆の連続だった。

 私個人は渋いのが好みだが、全般的にド派手なものはなかった。落ち着いたものだ。国展工芸の「生活の中にあって人間を豊かにする」趣旨が今日まで活かされているようだ。

 芹沢さんは沖縄の紅型に接して沖縄に渡って(1928年)染織に目覚めたらしいが、他の黎明期のメンバーも沖縄の工芸に触発され、敬意を抱き、沖縄の方々と学びあう中から作風を新たにしていったようだ。そこに伝統と自由な創作意思が絡み合いながら発展してきたのだろう。

 現代の作家たちについて、私はコメントできる能力はないが、もっと見て、研鑽を重ねるうちに、何かいえればいいだろう。

 工芸が沖縄を元気にし、平和にすることに貢献して欲しいものだ。(続く)

自己中の頭では、事故の再発防止は不可能だ。

新聞報道によれば、昨日16年9月24日、在日米軍のチャールズ・シュローティ副司令官は名護市内のホテルで稲田防衛大臣と面談した。墜落事故について謝罪はなく、操縦士を素早く救助できたと自画自賛し、「大惨事を避けた」と口外したようだ。

 こうした自己中の軍人がトップでは何も解決できまい。自画自賛の頭では、事故原因の解明などできるわけがない。敗因をしっかりと洗い出せ。住民や漁民の暮らしを意識しながら。

 それにしても軍人とは日本の皇軍のことを引き合いに出すまでもなく、大概自己中なのだろう。こういう連中がのさばる社会になることじたいが、どれだけ住民の目線から外れていることなのか。

 私達は恐れることなく、過去・現在・未来にわたって、彼らが何をやっているのか、しっかりと見て、批判していかなければならない。

 註:「自己中」と書きましたが、違和感ももつ方もいるのかもしれない。自己中ではなく国家意識だと。素晴らしいお国のためにだから、謝罪せず。お国の資源であるパイロットは元気に退院したなどと言うのです。国家に絡めとられている「自己」は無意識的に自己と国家を同調させているのです。だから怖い。

 一度、国家と自己との心理学をきちんと勉強したいものです。

 

稲田防衛大臣が沖縄にきた(16年9月24日)

 この人、運悪いよね。海兵隊のハリアーが海上に墜落した2日後だから。しかしその分(知事の言い分を適当に聞き流しておけば)、辺野古新基地をめぐる会談時間が短めになったのだから、ラッキーなのかもしれない。

 今日の報道を読めば、防衛相は「裁判手続きを進めながらも、しっかりと意見交換をすることが重要だ」と言ったようだ。今更何を言うかと私は思うのだ。このせりふは「和解」が成立した時点であればともかく、明らかにポーズだけ。言うことは「辺野古が唯一」に終始するわけだ。政府代表だから、この問題をひとまず譲れないとすれば、普天間の危険性についての認識を磨り合わせるとか、ハリアーの事故について協議するところから始めたらいい。政府は口先だけで「負担軽減」などと言えるが、沖縄は実際に沖縄県民が暮らしている場であり、様々な問題が直接のしかかってくるだけに、発言が重くなるのは当然だ。

 翁長知事は、沖縄が負わされてきた歴史をかいつまんで指摘したらしいが、稲田防衛大臣は、うん、うんと聴いただけ。拝聴しただけでは、いかんともしがたいのだ。それにお国が一番の稲田さんからすれば、たとえ、聴くだけでも聞き流せないことがあったはずだ。まぁ、こうした歴史的事実は基本の基だけに、お互いに譲れないだろうが、沖縄からすれば、だから新基地は県外に、なるのだ。政府の露骨に沖縄に押し付け続けますの姿勢を変えなければならないのだ。

 また知事は地方自治を尊重せよと述べたようだが、当然すぎる。国が高江でやっているような連日にわたる暴力の発動は、沖縄に基地を押しつけてきた歴史の上にたってなされていることだ。だからこそ、民意を踏まえる知事は、もっともっと毅然として発言すべきだ。私たちは、自治を形式の中に封じ込めてはならないのだ。

 事故の問題もいつもその場だけの収拾を許さない姿勢が重要だ。抗議に留まらず、徹底的な原因究明を公表させ、一つ一つ釘を刺していかなければならない。在沖米軍は一年に1度の墜落事故やっているんだよ。

やっと遅れを取り戻せるか?

高江、8月31日を書けば追いつく。7月の宮古島、3月の与那国島を書いて。次の段階での取材に進めて(10月)、沖縄島での報告会をめざす。1月には宮古島市の市長選がある。基地建設推進派と反対派の闘い。

体調を整えて資料を整理して、次のステップに向かいたい。

明日は(今日)沖縄県立博物館へ。国展沖縄工芸展と民芸館80周年展のダブル。期待しています。

砂利採取場に行ってみた(16年8月30日)

16年8月30日、晴れ。土砂を搬入している現場に行ってみた。名護から「辺土名」行きのバスで。終点下車。国頭村辺土名。村の役場がある。北勝建設もある。

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街の案内図。

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バナナ(芭蕉)の木。

そこから戻ること徒歩20分。半地の交差点(信号)斜めに南に入る。

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坂を上がる。右奥に海が見えた。案外急坂だ。この先を左折。

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採取場が並ぶ。

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砂山が広がっているのだが、見えない奥がメインだろう。奥は作業場であり、立ち入り禁止のようす。北側にも砂山が広がっているようだ。

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上から降りてきた。これだけの砂山だったら、しばらくは不足しないだろう。

この道広いから、ここでとめるのは無理だろう。

たいして役にたたなかったが、知っておいて損することはない。



裏での攻防。(16年8月26日)

○高江の件、書き遅れていました。申し訳ありません。9月の東京で体調を崩して以来、本調子でなく、車に揺られて行くことに自信がありません。先日は那覇まで出たのですが、帰りのバスでやはりダメ。明日はおもろまちまで出ます。様子見しながら、高江にも顔を出したいと思っています。(9月25日ヤマヒデ)

朝は辺野古へ。多くの海上メンバーが高江に行っており、ヤマヒデさんが東京でパクラレタんだって、心配しているよと言うことで、私も高江に行きました。

ひとまずN-1ゲート前を目指しましたが、直前で止められた。何だ?!

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アルソックに止められた。前方からこちらの一団がやってきます。機動隊がゲートから裏に回ったと。12時3分。仕方なく私たちも裏へ急行。

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裏テントから中に入るとガードマンと業者が通せんぼしてる。12時26分。

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通さないというが根拠は?通せ!12時27分。

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ここからGやHへ道を造るのか。ガードマンが待機。

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こちらでも止められる。相手は防衛局か。12時33分。

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土砂が敷き詰められている。奥は防衛局。12時37分。

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周囲の木も伐採されている。

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やはり機動隊が来た。12時49分。追いだされている。12時49分。

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ガードマンと警察連合。 12時50分。

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機動隊約50名。裏入り口。12時58分。

それ以上の介入はないとのことで、私たちも下がりました。

しかしこの後、彼らはこの金網を強固にし、板を打ち付けて中に入れないようにしたとのことです。

辺野古の海上メンバーの多くと会いました。皆さん心配してくださいました。元気な姿をみて、安心したり、励ましてくれたり。ありがとう。










2016年9月24日 (土)

軍事機密という壁を破らない限り

 16年9月22日午後、米国海兵隊所属の戦闘攻撃機ハリアーが訓練空域ホテルホテルで、墜落した。昨夜私が新聞の切り抜き作業中にも「ハリアー墜落」の記事を見つけた。去る5月の米国本国での事故だった。

 昨日23日、海兵隊第31遠征部隊の司令官ローレンス・ニコルソンは、同機種の運用を一時停止すると発表した。停止理由は「運用基準を満たしていることを確認するために検査する」とし、停止期間を明らかにしていない。

 沖縄県や周辺の市町村長、県漁協組合長会、住民等は、抗議の声をあげ、国に、米軍に同型機の飛行中止、原因究明などを求めている。しかし日米政府は今回も従前と同じような対応に終始するだろう。デキレースはいつも決まっているからだ。

 分かりやすく言えば、事故原因の解明は、常に軍事機密の壁にガードされており、一歩も動かないのだ。04年の沖縄国際大の構内にヘリが墜落したときは、米軍が周辺を占拠し、証拠物をすべてもちさった。13年のヘリの「着艦失敗事故」なるものは対ゲリラ制圧作戦だったようで、証拠隠滅の時間を作りだし、ありもしない「着艦失敗」をでっち上げた。低空から甲板に武装襲撃するさい、ローターが船の何処かに接触して墜落したはずだ。如何なる演習だったかを隠蔽する彼らの体質と日米同盟の強固な態勢が、事故を再生産しているのだ。オスプレイの事故も原因が明らかにされたことはない。

 こうした軍事機密の壁は日米地位協定とその運用によって、特に日本政府の大サービスによって維持されている。

 私達が、事故機の飛行中止と原因究明を求める以上、軍事機密の壁を破る努力をしない限り、彼らは薄笑いを浮かべて事件をもみ消すだけだ。基地撤去に迫るためには、基地の運用を秘密とするあり方に肉薄できない限り、私達は大きな力をもつことはできないはずだ。

 今回の事故で言えば、嘉手納を離陸して、何分後の事故なのか、いかに飛んでいたのか、エンジントラブルなのか、対地攻撃の過剰な負荷のせいなのか。パイロットは軽症で、24日に退院しており、比較的余裕を持って脱出できたのだろう。突発的な事故よりも、何らかの兆候を感じていたのかもしれない。

 私達が、軍事機密の壁を破るのは容易なことではない。だが、軍事機密の壁の前で立ち止まっていてはあちら様の思う壷なのだ。あなた(日米政府)任せのやり方を超えることはできないのだ。

 話題を新基地建設や高江や伊江島等に振りたい。新しい基地を造る、新しいヘリパッドを造る、基地を改築することは新しい運用ができることであり、新しい軍事機密が結ばれることだ。海を壊し、森を壊し、生活環境を破壊するだけではないのだ。このことは新基地建設をめぐるアセスは、オスプレイが飛ぶことを隠して行なわれたことにも現れている。

 軍隊が懸念していることは、周辺住民の安全ではない。軍隊の秘密を守ることだ。周辺の人口が少ないほうが、如何なる演習を行なっているのか、隠しやすいものだ。

 私たちが基地撤去を主張する以上、軍事機密に肉薄する努力が不可欠だ。首長の皆さんにもこの点の覚悟を求めたい。

 軍事機密とは金庫の中の重要な文書のなかにあるだけではない。すぐそこの現場に、現実にあるのだ。だからこそ、戦前、戦中の日本はどれだけの軍事機密法をもっていたか。

 今回のハリアーの事故から私たちが考えるべきとこはたくさんあるはずだ。

 

美しいもの、醜いもの(16年9月24日)

2016年9月24日。晴れ。今日も監視船が出ていた。

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朝の逆光の中で、監視船が見える。8時47分。

昨日、フェンスのバナーは何者かによって、すべてはがされていた、という。早速、新しいものを描く作業が始まった。

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どんどんできる。8時50分。辺野古テントの中。

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辺野古川河口は潮が満ちていく。逆光がいい。8時59分。

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すぐそこまで汀が迫る。外洋の水が入ってくると、ここらでも美しい。9時。

突然、バリバリ音が響いてくる。今日は土曜で演習はないはずだがな。音で言えば、CH-47か。外をのぞけば、これだ。

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陸自だ。2機とは珍しい。東側から。10時26分。

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やや近づいてきた。10時26分。

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正面沖合いを通過。10時26分。何だろう。

高江に行っていた人の情報では、高江上空にもこの2機飛んだと。稲田朋美防衛大臣ほかご一行様らしい(2機目にマスコミが乗っている?)。なるほど。上から視察か。順調に工事進んでいます、と。高江には今日300名が抗議行動。

ふとみると、辺野古の海から監視船がいなくなっていた。平穏ですよと、見せたかったのだろう。何を小細工しているのだろう。

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辺野古漁港にミジュンが入っている。小イワシの群れ(画面下の濃い部分)。14時5分。

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テントから漁港と外。下がミジュンの群れ。辺野古ブルーも微妙に違うと分かるだろう。13時55分。外の赤の柱は航路標識。

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長島を望遠で撮る。14時5分。今日は鮮やかだ。

テントの中に人がいなくなり、静かになった。リュウキュウムラサキが飛んできた。

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地上から約50センチの低い位置。距離1,5m。もう少しいい位置に止まって、羽を広げてよ。14時21分。

粘って粘って。木陰から出てこない。そこに出かけていた人たちが戻ってきた。もう今日のところ撮影の可能性はないだろう。静かにしてと怒鳴ったら、蝶は逃げる。そーっと、目配りしただけでは、人は気付いてくれない。

大浦湾から帰ってきた人たちによれば、大浦湾でもサンゴ礁に白化現象がでていると報告。水温が熱くなり、死滅しているようだ。台風が来ないと水温が上がり、自然環境を撹乱するのだ。サンゴたちよ、頑張って!生きて。










2016年9月23日 (金)

今日は市役所等に出かけます。

 昨日は体調不良で休養しましたが、今日は市役所等の急用があり、平日でないとダメなので、現場を連休します。

 昨夕、東京の友とばったり名護市街で会った。私の東京での「災難」について、最近知ったと。で、右ひじを見せたら、丸く腫れていると、愕かれてしまった。約3週間でかさぶたがとれて、痛みも和らいだが、まだ鈍い痛みがある。なぜかと思ってはいたのだが。確かに自分で両腕を見比べたら一目両全。右ひじが明瞭に丸く腫れている。触ればしこりもある。右腕の力が落ちていることと、まだ両肘を土台にした撮影ができないという支障が残っている。

 帰宅後に鏡で見たら、酷いの。改めて怒るわ。警視庁め!

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